超訳・般若心経
(あるとき、王舎城の霊鷲山にて)
シャリホツ「ゴータマさん!悟りとは一体何なのですか?教えて下さい!」
カンノン菩薩「こらこら、シャリホツ君。ゴータマさんは今瞑想で忙しいのですよ。」
シャリホツ「えー!だって今すぐ知りたいんだもん!」
カンノン菩薩「仕方ないですね。それでは私が代わりに教えてあげましょう。」
シャリホツ「うーん、本当はゴータマさんに教えてもらいたかったんだけどなぁ。」
カンノン菩薩「何かいいましたか?」
シャリホツ「いや、何でも。」
カンノン菩薩「いいですか?悟りとは、一言で言えば『あらゆるものは空である』という気づきです。」
シャリホツ「『空』ってどういう意味?」
カンノン菩薩「『実体がない』ということです。」
シャリホツ「なぜあらゆるものは『実体がない』の?」
カンノン菩薩「それはすべてのものが他のものとの関係によって一時的に成り立っているに過ぎないからです。この道理を『縁起』ともいいます。」
シャリホツ「なるほど。いかなるものもそれ自身では成り立たない。ものとものの関係が変われば失われてしまう。それが『空』であり『実体がない』ってことなんだね。」
カンノン菩薩「そうです。しかし、人は財産・肩書・容姿などに『実体』があると考え、永遠に続くと思ってしまいがちです。そのため、これらが失われることを恐れて、悩んだり苦しんだりするのです。」
シャリホツ「なるほど。すべての物質は『空』だということを知っていれば、何かを失うことを心配する必要はないんだね。」
カンノン菩薩「その通りです。ところで君は今『物質』と言いましたが、実は『物質』だけでなく、感じたり知ったり判断したりする『精神』の働きも『空』なんですよ。」
シャリホツ「マジか(笑)」
カンノン菩薩「ええ。ですから、『善』と『悪』、『清』と『汚』、『大』と『小』などといった概念はどれも『空』なのです。こうした区別は精神の働きによるものに過ぎませんから。しかし、人はこのような区別にこだわってしまい、その故に、互いに憎しみ合ったり、自己嫌悪に陥ったりして苦しむのです。」
シャリホツ「固定観念に囚われるなってことだね。」
カンノン菩薩「そうそう、その通りです。ところで、ゴータマさんの弟子の中には物質と精神の働きを『五蘊』や『十二処』といった構成要素に分けて、あーだこーだと論じている人たちがいます。しかし、実のところこれらはすべては『空』なのですから、彼らのように難しく考える必要はありません。」
シャリホツ「あれ複雑で頭いたくなっちゃうんだよなぁ。」
カンノン菩薩「他にも『十二支縁起』や『四諦』といった複雑な考え方がありますが、これらもすべて『空』なのですから、特に気にする必要はないのです。」
シャリホツ「適当すぎだろ(笑)」
カンノン菩薩「シンプル・イズ・ベストです。すべてを『空』ととらえることによって執着を捨てる『中道』の生き方を身につければ、何かを失うのではないかという恐怖もないし、妄想に囚われて誰かを悪者と考えたり自己嫌悪に陥ったりすることもないのです。」
シャリホツ「僕もそんな素晴らしい悟りを開けるかなぁ。」
カンノン菩薩「できますとも!しかし、そのためには私が説明した『空』という考え方も忘れる必要があります。理屈に囚われてしまっては悟ることはできませんから。」
シャリホツ「どうやって理屈を忘れればいいの?」
カンノン菩薩「呪文です。私が今から教える呪文を唱えれば万事オッケーです。」
シャリホツ「マジか(笑)」
カンノン菩薩「では、その呪文をここに書きますから一緒に読み上げてみましょう。」
シャリホツ「お、おう(笑)」
カンノン菩薩「では行きますよ!せーの!」
カンノン菩薩&シャリホツ「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー!(分かった!分かった!仏の心が分かった!仏の心が完全に分かった!悟りよ!ありがとう!)」
超訳・般若心経(完)
参考文献:
「般若波羅蜜多心経」玄奘訳
「サンスクリット原文で『般若心経(大本)』を読む」大崎正瑠
「般若心経・金剛般若経」中村元・紀野一義訳注
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