なぜ日蓮は「虚空浄土」ではなく「霊山浄土」と言ったのか

先日、鎌倉仏教を専門にご研究されている七円玉(https://twitter.com/taki_s555)さんとお話する機会があり、日蓮の大曼荼羅と本門戒壇に関する私の研究についてご助言を頂きました。お話する中で、「なぜ日蓮は『虚空浄土』ではなく『霊山浄土』という言葉を使ったのか」という疑問を七円玉さんが挙げておられましたので、これについての私の考え書いてみようと思います。


■ 霊山浄土とは?

霊山浄土とは、日蓮が説いた一種の浄土思想にみられる概念で、日蓮は弟子に対して「霊山浄土で会いましょう」ということを手紙の中で何度か述べています。

「乞ひ願はくは一見を歴来たるの輩は、師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん。」(観心本尊抄副状・真筆完存)

「後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん。」(国府尼御前御書・真筆完存)

霊山とは、インドにある霊鷲山のことで、法華経の説法の場とされています。ただし、霊鷲山が法華経の説法の場となるのは、法華経のうちの主に迹門(法華経の前半:序品から安楽行品)にあたる部分であり、法華経の本門(法華経の後半:従地涌出品から普賢菩薩勧発品)にあたる部分では、主に虚空(※1)が説法の場となっています。

※1:物事の分別を超えた仏の智慧を象徴する空間

日蓮の教説は、法華経の本門に真実の教えが示されていると考える云わば「法華本門仏教」ですから、「霊山浄土」と言うよりも「虚空浄土」と言った方が彼自身の教説のコンセプトに合致するのではないか、というのが七円玉さんの疑問の骨子です。この疑問は『死者・生者―日蓮認識への発想と視点』(上原專祿、1974)で提示されているとのことでした。

私は今までこの疑問を持ったことがなかったので、考察しがいのある面白いテーマだと思い、今回自分の考えを記事に書いてみようと思いました。


■ 法然の「西方浄土」に対しての「霊山浄土」

結論から述べると、日蓮が「霊山浄土」という言葉を使ったのは、法然の「西方浄土」すなわち隔絶された別世界への往生という思想に対して、死後も今生きているこの世界にとどまるという考え方を強調したかったからだと考えています。

霊山というのは上に書いたとおり、実際にインドに存在している山ですから、「霊山浄土」という呼称により、「今生きているこの世界」というニュアンスを出すことができます。ここで「虚空浄土」と言ってしまうと、「虚空」という言葉の響きが抽象的すぎて、この世界とはかけ離れた場所というイメージが出てしまうと日蓮は考えたのかもしれません。

また、少し専門的ですが、「霊山浄土」は権実相対(※2)の立場からの名称であり、法華経本門の「虚空」に言及して本迹相対(※3)を持ち出すまでもなかった、と説明することもできると思います。

※2:方便の教えである他経よりも真実の教えである法華経が勝るという考え

※3:法華経の中でも、迹門よりも本門が勝るという考え


■ 日蓮の生死観

なお、「死後も今生きているこの世界にとどまる」と書きましたが、これは霊魂がフワフワと存在しているということではありません。

日蓮の生死観が表れている文書として、「盂蘭盆御書」や「十字御書」があるのでご紹介します。

「目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心、仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。(中略)目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。(盂蘭盆御書・真筆完存)」

「地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。(重須殿女房御返事・真筆完存)

盂蘭盆御書では、「目連(釈迦の弟子の一人)の父母はすでに亡くなってしまったが、今生きている目連の色心(体と心)のなかに生きているから、目連が成仏することが、そのまま父母の成仏となる」という意味のことが語られており、重須殿女房御返事では、「地獄や浄土は、(死後に訪れる)地の下や西方にあるのではなく、生きている我々の身の中にある」ということが語られています。

これらの文書を踏まえると、日蓮の生死観は、「死後の心と体は、生きている者の身体を含めたこの世界と連続する区別できないものとして存在していおり、地獄や浄土もこの世界から独立して存在しているわけではない」というものではないかと思われます。日蓮が「霊山浄土」というとき、こうした生死観が思い起こされていたのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?