超訳・中論 1. 二句分別(ジレンマ)編

「歩行行為が自性を有する」すなわち歩行行為(walking)という属性が歩行者(walker)と関係なしに独立して存在する実体であるという見解が誤っていることを二句分別と帰謬論法によりに証明する。

 このような見解を持つ者の主張は次の2パターンに分類できる。 

① 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随する。(命題A) 

② 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随しない。(命題¬A) 


まず主張①が正しい(命題Aが真)と仮定する。 

すると、1人の行為者に2つの歩行作用(walk)が備わってしまうことになる。これを文で表現するなら「歩行者は歩く」となる。 

これは不合理であり、主張①が誤っている(命題Aが偽)ことが示される。(※わかりやすく言えば「頭痛が痛い」はおかしい、という話)


 次に主張②が正しい(命題¬Aが真)と仮定する。 

すると、その行為者は歩行作用(walk)を持っているにも関わらず、その行為者には歩行行為という属性が付随しないことになってしまう。これを文で表現するなら「歩行者は歩かない」となる。 

これは不合理であり、仮定②が誤った見解(命題¬Aが偽)であることが示される。 (※わかりやすく言えば「頭痛が痛くない」はおかしい、という話。)


 さて、もし「歩行行為が自性を有する」という最初の見解が正しいのであれば、命題Aと命題¬A(すなわち主張①と②)のどちらか一方は必ず真であるとともに、もう一方は必ず偽でなければならない(※排中律と呼ばれる論理学の原則)

 しかし、上述のように命題Aと命題¬A(すなわち主張①と②)はどちらも偽であることが示されてしまった(※排中律に反する結論、すなわち矛盾が導かれてしまった)

 何故このような矛盾が生じたかというと、歩行行為が自性を有する」という仮定がそもそも誤っていたからである。

よって、歩行行為が自性を有するという見解は誤りであると結論づけることができる。

(論証終わり)

また、上記の論証において歩行行為(walking)と歩行者(walker)を互いに置き換えることにより、「歩行者は自性を有する」すなわち「歩行者(walker)という主体は、歩行行為(walking)と関係なしに独立して存在する実体である」も誤った見解であることが示される。

結局、歩行者(walker)も歩行行為(walking)も、お互いの依存関係の上にのみ成り立つ概念に過ぎないのである。


〈参考にした文献〉
・仏教の思想3 空の論理<中観>(梶山雄一、上山春平)
・龍樹『根本中頌』を読む(桂紹隆、五島清隆)
「即」という名のアポリア(DJプラパンチャさん)

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