超訳・中論 2. 四句分別(テトラレンマ)編

「歩行行為が自性を有する」すなわち歩行行為(walking)という属性が歩行者(walker)と関係なしに独立して存在する実体であるという見解が誤っていることを四句分別により帰謬論証する。

 まず、このような見解を前提とする者の主張は次の4パターンに分類できる。

① 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随する。(命題A) 

② 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随しない。(命題¬A) 

③ 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随する、且つ付随しない。(命題A∧¬A) 

④ 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随する、又は付随しない。(命題A∨¬A) 

※ ①と②が二句分別であり、これに③と④を加えたものが四句分別である。

※※ ③は①と②の論理積(且つ、∧)による結合であり、④は①と②の論理和(又は、∨)による結合である。

※※※ 二句分別(ジレンマ)と四句分別(テトラレンマ)の関係を図示すると以下のようになる(図は①を「ブッダは死ぬ」とした場合)。

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前回の超訳・中論 1. 二句分別(ジレンマ)編で述べた通り、主張①と②は排中律を満たさないことから、そもそも主張①と②の前提である「歩行行為が自性を有する」という見解が誤りであると結論づけられる。(よって、帰謬論証としては主張①と②を扱うだけで完結しており、主張③と④を引き合いに出す必要は無いのであるが、今回は論証をより厳密に行う目的で主張③と④も扱っている)

さて、主張①と②に関しては、それらの主張が「正しい」かそれとも「誤っている」かが論証という作業によって示されたのであった(そして結論はいずれも「誤っている」であった)

一方、主張③と④はいずれも、論証するかしないかに関わらず結論が決まっており前者は必ず「誤り」であり、後者は必ず「正しい」ことがはじめから確定している(前者は「恒偽命題」や「矛盾命題」などと呼ばれ、後者は「恒真命題」や「トートロジー」と呼ばれる)

つまり、主張③と④に関しては、これらの主張が正しかろうが誤っていようが、いずれにしても元々の前提(今回は「歩行行為が自性を有する」)の正しさの保証にはなりえないのである。

【解説】 主張③が必ず誤りで、主張④が必ず正しいということは、主張①と②が排中律を満たすことから推論できる。主張①と②のどちらか一方は必ず「誤っている」のであるから、主張①と②を「且つ」で結合した主張③が「誤っている」のは当たり前である。また、主張①と②のどちらか一方は必ず「正しい」のであるから、主張①と②を「又は」で結合した主張④が「正しい」ことも当たり前である。


以上、主張①と②は排中律を満たさない上に、主張③と④は元々の前提の正しさの保証にはならないことが示された。

よって、歩行行為が自性を有するという見解はやはり誤りであると結論づけることができる。

(論証終わり)

〈参考にした文献〉
・仏教の思想3 空の論理<中観>(梶山雄一、上山春平)
・龍樹『根本中頌』を読む(桂紹隆、五島清隆)
「即」という名のアポリア(DJプラパンチャさん)

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