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【短編】スノードーム

 十二月を彩る赤や緑に混じって、カラフルな光が乾いた空気に溶け込んでいく。
 地下街の広場に飾られたツリーは、毎年のようにデザインが変わる。ホワイトベースで統一した年もあれば、カラフルさを演出する年もある。今年は、様々な形を施したオーナメントが緑色のツリーに点在していて、懐かしさが喉元に込み上がる。子供の頃にはあんなにもクリスマスツリーにときめいたのはなぜだったのだろう。
 クリスマスまであと十日。仕事の疲れを引きずったまま呆然とツリーを見上げる私の傍を、手を繋いだカップルが歩いていった。クリスマスツリーの近くには当然のように幸せな空気が漂っている。私は思わずコートのポケットからスマートフォンを取り出した。約束の時間を十分過ぎているのに、スマートフォンに届いているのは企業アカウントからのメッセージのみだ。
 久しぶりに恋人に会えるというのに、周囲の空気が浮ついたものになればなるほど、私の心は冷えていく。いつからこうなってしまったんだろう。今夜の約束を電話で交わした時は、脳裏に張り付けた彼の笑顔や指先に覚えさせた体温を反芻しながら、会える瞬間を心待ちにしたというのに。

真帆まほ

 名前を呼ばれて振り返ると、ラフなニットにダウンジャケットを羽織った歩武あゆむが立っていて、その姿を見た途端にツリーと共に沸き上がっていたネガティブな感情が静かにしぼんでいくのを自覚する。自分をとても単純な人間だと思う。

「飯、どーする?」
「うん……」

 曖昧に返事をしながら、約束の時間を過ぎているよ、とか、久しぶりに会ったんだからもっと嬉しそうな顔をしてよ、とか、新たな不満が姿を見せ始め、それを押し込めるように私は返事を濁し、視線を落とした。その先にジャケットの袖口からはみ出した大きな手のひらが見え、しばらく手を繋いでいない事に気づく。
 歩武とこの季節を過ごすのは、何回目になるのだろうか。
 ツリーの前には、スマホをかざして自撮りしているカップル達が微笑み合っている。私達にも同じような時代はあったはずなのに、ひどく遠い世界のように感じた。

「行こうか」

 地下街を象徴するような巨大なツリーに目を向ける事もなくスマホを眺めながら歩き出した歩武の背中を、私は追いかける事しかできない。


 暦上の休日とは無関係に働く歩武とは、クリスマスというイベントに浸る事すら叶わない。
 結局、歩武と一緒に行った店は安いチェーン居酒屋で、平日の夜だというのに雑音に満ちた場所で薄いカクテルを飲みながら、私はいったい何をしているんだろうという疑念だけが残った。仕事の疲れを背負ったまま、盛り上がるわけでもない会話を交わすだけの時間。

「真帆」

 店を出て、私よりも二歩分ほど前を歩いていた歩武が振り向いた。冷たい風によって揺れた髪先から見えるピアスは、いつかの私がプレゼントしたものだ。

「まだ時間は大丈夫か?」

 そう問われ、私は思考を巡らせる。疲労感や残っている体力、帰宅後の家事や、明日の起床時間や仕事内容が混ざり合って、一瞬の隙を作る。付き合い始めた頃は、たとえ徹夜をしたって歩武と過ごす時間を優先したはずなのに。
 でも、歩武から投げかけらえる言葉の甘さに勝てる方法を知らない。私がうなずくと、歩武は少し歩幅を緩めて、ちょっと付き合ってよ、と言った。
 駅前から徒歩十分、歩武に連れられてきた場所は、毎年飾られているイルミネーションの広場だった。青や白が夜空に浮かび、幻想的な空間を作っている。

「綺麗……」

 声に出した途端、記憶の奥底で眠っていた情景が瞬く間にイルミネーションの光に乗って流れてきた。
 歩武と付き合い始めたのも、イルミネーションが輝いている寒い日だった。まだ学生だった私は、手を繋いだだけでも心地よい息苦しさを覚えていた。付き合おうと言った時の歩武の表情、貸してもらったマフラーの温かさ、家に帰っても冷めない夢心地、まるで雲の上を歩いているような浮遊感に溺れていた。
 初めて受け取ったクリスマスプレゼントは、優しく雪を降らすスノードームだった。あれは、どこにしまい込んでしまったのだろう。

「真帆、こういうの好きだと思ったから」

 私の隣で歩武が満足そうに笑った。その鼻先が赤いのは、アルコールのせいではない。付き合おうよ、と真剣な声で言ったあの時と同じ表情を浮かべた歩武を見て、思わず私は首元のマフラーに口元をうずめた。
 午後十一時。周囲にはコートを羽織った人々で溢れている。カップル、友人同士、会社帰りのサラリーマン、人々の数だけ光の形が存在するのだろうか。人が光を求める理由を、今なら分かる気がする。
 呼吸をするたびに、乾いた冷たい空気が気道を冷やし、恋に毒された熱が私の全身を駆け巡っていく。

「好きだよ」

 うなずくように私が言うと、歩武は目を見開いた。

「こういうの、好きだよ。ありがとう歩武」

 イルミネーションが瞬くたびに、歩武の頬に映る影が形を変える。私が歩武のダウンジャケットの袖口を掴むと、それをほどかれ、

「そっちじゃなくて、こっちだろ」

 繋がれた手のひらに歩武の体温が広がっていき、苦しさだけではおさまらない痛みが心地よく喉元を過ぎていった。
 そういえば、歩武の耳元で光るピアスは、私が学生時代にクリスマスプレゼントで贈ったものだった。
 決して短くない時間を想いながら幻想的な空気に浸っていると、ふいに近くから声が聞こえた。

「ここのイルミネーションって、今年が最後なんだって」

 近くにいた男女の会話に、私は思わず歩武の手を強く握りしめる。

「真帆、大丈夫か?」

 歩武が私の顔を覗き込み、私は「大丈夫」と微笑み返した。物事は常に変わり続けていく。私達の関係も、少しずつ形を変えていく。
 倦怠期と呼ばれた時期もあったかもしれない。惰性で付き合っているだけかもしれない。現実から切り離されたような場所から出れば、再び仕事に忙殺される日々が始まり、休みの合わない歩武への不満が積もっていくのだろう。
 まるでスノードームのようだ。逃れられない世界。幸せに満ちた夜も、寂しさに足掻く夜も、一緒くたに混濁した世界。

「そろそろ帰ろうか」

 冷たい空気にさらされた頬が痛み出した頃、歩武の声を合図に私達は広場を出る。すぐ横にある車道を、トラックが大きな音を立てて走っていった。
 手を繋いだまま、私達は駅に向かう。真夜中まで点灯しているイルミネーションを求めて歩くカップル達とすれ違う。私達も彼らと同じような表情を浮かべているのだろうか。
 帰宅したら歩武にもらったスノードームを探してみようと思った。綺麗に磨いて、雪を降らせた小さな世界を部屋のチェストに飾るのだ。



創作の輪2021 produced by 蜂賀 三月
Thank you so much for reading, and have a Merry Christmas !!

I’m looking forward to opening all windows of the Advent Calendar.

2021.12.15 宮内ぱむ
https://pummiyauchi.wordpress.com

Tomorrow is ゆうら 様 ’s turn, let’s enjoy :)


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