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孤独のカップ麺

カップ麺が大好きです。

毎日のように食べていた時期もありました。今はさすがにちょっと気を遣って、週に数回しか食べないようにしたり、2週間くらい禁カップ麺を行ったりしていますが、やっぱりあの、化学調味の妙によって作られた脂まみれのジャンクな食べ物を定期的に身体が欲するのです。

本物のラーメン、いわゆるラーメン屋のラーメンの方がクオリティが高いことは自分も承知の上ですし、カップ麺で満足して本物の味がわからないなんてかわいそう、と言われても、自分はなおカップ麺を愛し続けます。

自分はジュースやコーラをいっさい飲まないぶん、どこかで糖分を摂取しておかねばならぬのです。あ、ビールは別腹な。

セブンイレブンの一風堂ラーメンみたいなハイクオリティーなものや、どん兵衛やスーパーカップみたいな王道も良いですが、100円ローソンの段ボールに投げ売られているどこかよくわからんメーカーのカップ麺がまた、たまらない。

あからさまに既成商品のパクリっぽいシーフード味やカレー味が沁みる。だいたい元ネタを中途半端に薄くしたり濃くしたりしただけという感想。だがそれがいい。僕の脳内の前田慶次は喜んでいる。天晴。

そして、できる限りお行儀悪く食べるのが自分なりのカップ麺の作法というもので、音は出すし汁は飛び散る勢いで吸い込む。胡座をかいて汗まみれになって実に見苦しく食すのです。他人が見ていたら眉をしかめられそうなくらいがちょうど良い。

最近はイートイン付きのコンビニが多くて、買ってすぐに店内で食べられたりしますが、自分はあえて家に帰って食べますね。それも基本的に夜に。お風呂上がり、他人の目を気にせずに、ひとりで夜中に最高に下品に食べるのが実に心地良い。

『孤独のグルメ』の主人公、井之頭五郎さんも仰っています。モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。自由で静かで豊かに部屋の隅でこそこそ食すカップ麺、これこそが浮世の現代人に残された数少ない自由。

本当は銭湯でこれができたら……とも思うのですが、他のお客さんが大勢いる銭湯は当然ながら孤独ではないですからね……。

銭湯と家のお風呂はジャンルが違うのです。銭湯は快楽だらけだけど孤独はない。お風呂は快楽は少ないけど孤独がある。俺、お金持ちになったら、家にサウナ設置してやるんだ……。サウナの後のカップ麺とか最高だろうなあ。

サウナはたのしい。