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遠くから海を見る

海を見るのが好きです。

といっても、ビーチにパラソルを立てて、水着にグラサン姿で、その下のデッキチェアに寝転んで、優雅なひとときを味わいたいとか、金髪ハーフの美女と波打ち際で海水を掛けあってキャッキャしたいとかではなく……。

いやまあ、それだってもちろん、できる環境下に自分がいるのならやってみたいですが……。

あいにく、シーズンオフの今それを実践するとなると、体感的な意味でも、体裁的な意味でも寒いし、水着とグラサンはともかく、パラソルとデッキチェアに関しては、悲しいかな現時点で持ち合わせがない。海の家でレンタルしようにも、たぶんこの時期に営業している海の家なんてほとんどないでしょうし。

それよりも、少し遠くから、ただ海を見るのが良い。

神戸市内は、遠からず近からずの程よい眺めの海を見られるスポットが多く、特におすすめなのは、山陽電車の滝が茶屋駅のホームです。

関西ではかなり有名な映えスポットであり、特に神戸市民の方々からすれば常識みたいなことなので、今さら自分が偉そうに紹介することでもないのですが、高台に位置するホームから見下ろす海の絶景は、実になんとも素晴らしい(語彙力)。

すぐ真下にはJRの線路があり、ときおり電車が通過するたびに少しだけ海を隠すのですが、それがまた、なんともいいアクセントになっているのです。

いきなり脱ぐより、ちょっとずつチラ見せされながらのほうが興奮するでしょう。それと同じことです。たぶん。

このように、すぐにゲスい喩えをする自分のような者は、海辺でのデートには向いていない。

JR須磨駅の出口は海に直結しており、電車からおりて数分でコバルトブルーの景色が見られるわけですが、まだ自分にはあそこは早い。舞子駅や朝霧駅も早い。

よって、神聖なる海からは少し遠ざかったところから、合掌しながらご拝見させていただきたく。

まあ、実際には合掌などしていませんが、遥かなる海に対して、最大限のリスペクトを抱きつつ、幼少期の自分を育ててくれたイカナゴをたくさん産んでくれたことに感謝しているのです。

イカナゴというのは小魚です。特にイカナゴの釘煮は神戸や淡路島の食卓には欠かせない定番で、ちりめんじゃこのような感じで、ごはんにふりかけて食べます、

関東でいえばコウナゴのことであり、近年は不漁なのだそうですが、かつては瀬戸内海で笑えるくらい大量に捕れたそうで、近畿圏のスーパーならどこにでも売られていました。

そのような市販の加工品ももちろん美味しいのですが、それが比較にならんほど美味いのはやはり、朝方に明石漁港の近くの市場で買ってきた、新鮮なイカナゴ。

市販のものは、多少なりとも味付けがなされていて、妙なクセがついているのか、ちょっと辛めなことが多いですが、市場のイカナゴには、ほんのりとした自然な甘みがある。

イカナゴがシャッキリポンと舌の上で踊るので、栗田さんもにっこり。胃の悪い人なんか、これひと口で治っちゃう……かどうかはわかりませんが、タンパク質は豊富です。

そして、ごはんが無限に進む。常に冷蔵庫にはタッパーに詰められたイカナゴがある家庭で育ったので、ふりかけが必要なく、そこそこ大きくなるまで、のりたまでごはんを食べたことがなかったほどですから。のりたまでごはんを食べるのは三宅裕司さん宅だけだと思っていました。

まあ、正確にいえば、ドラゴンボールふりかけだけは買っていましたけども。おまけのボール目当てに。あと、ドラゴンボールふりかけは袋ではなく缶なのが、なんか当時はかっこ良かったんだよな。

そんなわけで、イカナゴに育てられた、いちおう神戸で生まれた私なのですが、そこまで明確に味の違いを理解できている海の幸といえばイカナゴくらいのもので、他の魚介類については、産地直送とそうでないものの違いが、正直なところ、ほとんどよくわからない。

神奈川県の湘南地域に遊びに行ったときには海鮮料理店で夕食を摂りましたが、正直なところ、地元の磯丸水産で出るメニューとどう違うのか、あまりよくわかりませんでした。

高校の修学旅行先のホテルで食べた北海道のカニもよくわからなかった。いや、美味しかったのは美味しかったのですが、正月だけばあちゃんちの家で出されていたカニとどう違っていたのかは上手く説明できない。

直近では1月3日に両親とともにカニを食べましたが、そのカニが今までと比べて特に美味かったかどうかはよくわからないし、大阪港で獲れたカニか神戸港で獲れたカニか、はたまた全く遠くの地に生息していたカニなのかは謎。

ひとつだけいえることは、カニは美味しくて、海は偉大であるということです。ということを、三ノ宮の神戸サウナよりお届けいたしました。

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