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ノンアルコールでも同じ

酔い潰れなければ酒を飲む意味がねえぜ、と、かつては思っていました。

アルコール度数75%のロンリコ151をストレートで煽って、その途端に視界がどんどん消えていき、快楽に溺れながら死んでいったあの日の夜。

ああ、これか。かつて村上龍先生が書いた、そしてLUNA SEAの河村隆一先生が歌った、限りなく透明に近いブルーとは、これなのか……などと感銘を受けながら気絶したのが、20歳になって間もない頃。

あえて具体的な経緯は書きませんが、トイレの底からなんとか蘇生しました。そして、こういうのは非常によくないと反省。

とはいえ、バカ飲み自体はその後も何度もやらかしました。しかし、若気の至りを繰り返しているうちに、だんだん自分のアルコール処理能力の限界値を把握できるようになってからは、酒を途中で打ち切れるようになりました。

タバコもそうだったのですが、結局のところ、いちばん美味いのは、1本めや1杯め。

とりあえず1杯めはビールで、というのは居酒屋の定番ですが、むしろ1杯めをどれだけ楽しめるか、というのが肝心です。

1杯めをちゃんと楽しめなくするイッキの強要などは愚の骨頂。急性アルコール中毒の恐れとかパワハラとかの観点ではなく、酒に対する向き合い方がなっておらん。

だから私は体育会の飲み会が嫌い……そして合コンが嫌い……そして街コンが……。すみません、なんか辛いトラウマを思い出してしまいました。気にしないでくれ。まあ、今やそんな飲み会も淡き日々の思い出となりつつあるのですが。

ひとりでの宅飲みが多くなった、ここ2年。

自粛期間が始まってからは、引きこもってアマゾンプライムを視まくる生活もそれはそれで楽しくて、夕方にスギドラッグで大量のビールとおつまみを買って、無限に懐かしアニメを視ながらヘラヘラしていたのですが、だんだん虚しさを覚えてきました。

なんやかやで自分は、年に2〜3回は旅行に出かけていたし、もともと休日は銭湯巡りのために他府県に飛び立つのが当たり前だったので、一応はアウトドア派。

それを紛らわすかのように、部屋の中でひとりアルコールに逃げた末に、ひとつの結論に至りました。それは何かといえばというと……。

アルコールをずっと摂取し続けるの、飽きた。

いや、やっぱり仕事の後に飲む1本の缶ビールなんかは、確かに美味いのですよ。でも、2本めはともかく、3本め以降はもうほとんど惰性。究極的にいえば、味がしなくてもいい。

75%の限りなく透明に近い世界を体感してから、もう15年も経つので、今さら5%や6%なんかのビールでは狂えない。

梅宮辰夫さんは晩年、ノンアルコールビールのアサヒ・ドライゼロを愛飲されていたそうです。

80歳の誕生日に行われたディナーショーで、「どのみち自分はビール程度では酔わないから、ノンアルでも一緒」と豪気に笑っておられたといいます。かっこいい。

梅宮アニキと違って、ビール程度でもほろ酔いくらいにはなってしまうものの、もともとは狂うために酒を飲んでいた身。空を飛ぶルーシーたんの幻覚が見えないのなら、ビールもノンアルも一緒。

というわけで、最近は3本めはノンアルにしています。本当は2本めからそうしたほうが健康にいいのですが、まだそこは修業が足りず、自分に甘くなってしまいます。

でも実際にノンアルを取り入れてみて、2本めの中盤くらいが楽しさのピークであることを実感しています。

これが最初からノンアルでも耐えられるようになれば、無事に酒を卒業できるようになるのでしょうが、それはもうちょっと先のことに……。

週1〜2ペースで休肝しているのだから、少しは大目に見てほしい。すこしはおおめに、って、ひらがなにすると変な日本語だな。しかし、2本めの本麒麟うめーわ。


サウナはたのしい。