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ひとりで車を走らせても

GLAYの『pure soul』の歌詞に、「夜明け前 独りで高速を走った」というくだりがあります。

まだ自動車免許が取れない年齢の頃、この歌詞をかっこいいと思っていて、自分もいつか車が運転できるようになったら実行してみよう、と考えていました。


それから時が経ち、筆記試験の日になぜか免許センターに来て演奏していたオーケストラの爆音に集中力を削がれて落ちたり、免許証の写真が香港マフィアの下っ端のチンピラ以外の何物でもない仕上がりになるなどの災難に見舞われつつも、晴れて自動車免許をゲット。

さっそく、近所のレンタカー屋へと向かいました。親はその少し前に車を手放していたので、我が家にはマイカーがなかったのです。

あと、他人の車ではなく自分の車でドライブしてみたい、という気持ちもありました。いや、レンタカーだから、別に自分の車ではないのですが。

どうせならスポーツタイプのものを借りたい。セリカとかソアラとか乗ってみたい。などと期待を膨らませたのですが、あいにく最寄りのトヨタレンタリース様はスポーツカーの貸し出しは行っておらず、結果的に小型車のパッソに落ち着きました。


なんだか想像していたのと違うものの、気を取り直して、パッソのエンジンをかけました。

教習車だったマツダアクセラとは違い、運転席の横ではなく前にレバーが付いているコラムシフトの仕組みに戸惑いつつも、いざ公道へとゴーアウト。

人生で初めてのひとりドライブ。カーラジオなんぞをかけてみる。誰かが天気のことについて喋っている。テンションが上がるなあ。まあ、ただの天気予報なんですけども。

車でケータイが充電できることにも感動。我が家の平成6年式マツダファミリアにはなかった機能なので。

AT車はブレーキから足を離したら転がるように走り出し、隣のアクセルを踏めば加速する、という、一度でも運転したことがある人なら誰でも知っている常識にいちいち興奮し、ぐいぐいとパッソと昼間の大阪府北摂地域を駆け回る。教習所を卒業したときにもらった、まだ新しい初心者マークを光らせながら。

はっきりとした目的地があるわけではありませんが、とにかく高架道路に出たい一心で、大阪高槻京都線とも呼ばれる国道14号線をひたすらに走りました。

この道路は高校生の頃に自転車で走ったことがあって、地理も把握していたし、吹田市に差し掛かるところからは高架になるということも事前に察知していました。憧れの高速……ではなく、無料の高架道路ですが、そこに乗り込みました。夜明け前ではなく、午後3時の真昼間なのですが。

この時間帯の道路はわりと空いていて、スムーズに移動することができたのですが、これが免許とりたての若葉ちゃんにはプレッシャー以外の何者でもなく、いつのまにか時速60キロ地点を超えて、ノーブレーキのまま走ること1時間。

いちおうカーナビは付いていましたが当時の自分はとにかくGLAYの真似をしたいとイキっていたので、とにかく目的のないドライブをしたい、ということでスイッチを入れませんでした。初心者マークのわナンバーでイキってどうする。


もうここがどこの市なのかわからないところまで行き、日が暮れてきたので帰ることにしました。

行きはものすごく遠い場所まで辿り着いたような気がしたのですが、せいぜい1時間しか走っていないうえ、後半は運転に慣れてきたぶん感激も薄まってきて、あっけなく、よく知る地元へと戻ってきてしまいました。なんだか、思っていたドライブと違う。

免許を持ってひとりで車を走らせても、自分はどうやらGLAYにはなれないらしい。歌詞のように、過ぎゆく景色、季節、憤り、全てを超えてみたかったのに。

そこでようやく、あの歌詞は暗喩であったことに気づくのでした。『pure soul』を発表した頃のTAKUROさんの年齢に達するのはその数年後のことですが、この不思議な虚しさこそが大人になったということなのか、と納得……したような、していないような、変な気分でした。


そして、誰にも言わずに車でひとりでどこかへ行くのも楽しいけど、誰かと車に乗るのもまた楽しいということに気づいたのは、友達がスバルインプレッサを買った30代に入ってからでした。

その頃の自分はすでにペーパードライバーで、無意味に枚方に行きたいとか言ってその友達に怒られた思い出。やっぱり大人になりきれていなかったようです。

もし今の自分が車を手に入れたら、あてどもなく走りたいですね。夜明け前の高速とかを。その先に何もなくても。



サウナはたのしい。