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私がアボリジニコミュニティで働くことになるまでの話

「アボリジニ」
狩猟民族。裸で何か動物を狩っているイメージ。
でもそのイメージは現在のアボリジニの人ではなくて昔資料集とかで見た白黒の写真。
砂の上に座っている。そんなイメージでそれ以上のことは何も知らなかったです。

長くなってしまいますが、貴重な経験と強く感じ全てを書き留めておきたいと思い書きます。
私たちがこの人口200人のAMATA COMMUNITYで働き始めたわけ。

まず、私が働くことになるお店を運営している団体の写真を見たときに
直感で、「これだ!」と強く思ったからです。
その写真はアボリジニの人と色鮮やかな野菜や果物が一緒に写っていました。
私は言葉では説明するのは難しいですが、何かを道を選択するときにビビビッと直感を感じることが多いです。
そしてそれは本当に一瞬で、それを感じた瞬間に自分のエネルギーが内側から湧き出てきて即座に動き、周りが見えなくなるくらい掴み取ろうと突き進むそんなことが今までにも何度もあります。
そんな感覚がこの時にもありました。
この感覚で選択した道は自分が本当にやりたかったこと、興味があったことが多い。感覚で突き進んでしまうためその時に選んだ理由は後付けして言語化していく。

これは自分がここに来た理由で、
政府のPOLICEチェックもあるような場所で働くことができた理由は、アボリジニコミュニティがあるAPY LANDSで彼らに生活用品や健康的な生活を送れるような食料を届ける団体(NPO団体のような)を見つけることができ、その考えに深く共感したのと同時にアボリジニの人たちに対してどんな生活をしているのか強く興味を持ったからです。
そこでAMATAのことを紹介していただきました。

その団体を見つけるまでにも長い道のりがあり、毎日頭を抱え悩み考えていて、今思うとAMATAに行くための時間をくれたのだと思います。

オーストラリアに到着してから常に考えていました。「自分にしかできないこと、オーストラリアでしかできない経験をワーキングホリデービザという1年間オーストラリアに住め働ける貴重なビザだからこそしたい。」
かなり抽象的だけれども「自分だけの!私たちにしかできないこと」が一番の想いで譲れなかった。

私がAMATAと出会う前の話を少しだけ、、、
コミュニケーションを取る機会はなくてもAMATA以外でもアボリジニの人を目にする機会は多くありました。

私がはじめにオーストラリアに到着したのはケアンズ。

そこにも細長い木材で低い音を出す楽器ディジュリドゥを演奏する人や街の広場にたまり座っているアボリジニの人を見ました。
独特なコミュニケーションの取り方をしているのが印象的で大きな声で叫んだり、
馴染みのない言語のアクセントに少し困惑したのを今でも覚えています。
(今ではそんな彼らの話し方がとってもとっても愛おしく思います)
視力がいいのか、私からは誰に話しているのかはわからないくらいすごく遠くの人に大きな声で叫び呼び止め、大きな声で会話をする。
そんな印象で特別私は彼らと会話をする機会もなく関わる時は全くありませんでした。

ケアンズの次に到着したのはアリススプリングス。
もっと自然溢れる場所がいいと感じ10日間の滞在でケアンズを後にして、オーストラリアのおへそと言われている場所で砂漠や自然が好きな人におすすめという言葉に惹かれ、アリススプリングスへと移動をしました。

アリススプリングスに行く前にネットで検索しましたが、行ったことのある人の情報は少なく、数少ない日本人の情報からは、「オーストラリアで一番アボリジニの人が住んでいる町」「ハエの町」という情報ばかり出てきました。一体どんな場所なのだろう。

(実際本当にハエの数が多すぎるくらいいて、少し外歩くだけで口や耳を狙ってくるハエにいらいらしていました。ハエが多い!というのは誰もが口を揃えて言いそのくらい乾燥地帯であるということ。)

私にとってはあまり人が行ったことのないような場所を開拓していくのはとても好きなことなので、
楽しみな気持ちで不安な気持ちはほぼない状態でアリススプリングスに着きました。

中野不二男さんのアボリジニーの国を読み知ったことですがアリススプリングスは大陸の南北をつなぐ電信の中継地として発達した町であることとエアーズロック観光の時の基点としての利用でオーストラリア人で定住する人は少なく、それに対して砂漠地帯唯一の町であるためアボリジニの人口が増え、オーストラリア国内で最もアボリジニが多い町と言われているようです。

ここでもケアンズ同様大声で叫ぶアボリジニの人は多く、もともとアルコールに対して耐性がなく酔いやすいにも関わらず昼から飲み暴れている人や喫煙者が多かったのが印象的でした。

私はオーストラリアでの生活を楽しみに来た、そのためにも働こう!働きたい!ということで履歴書を作り、職探しをはじめました。
オーストラリアでは飛び込み営業のように自分の経歴を紹介する履歴書を持ち直接お店に行き、募集をしているのか聞き、マネージャーと話しをしたいと伝えます。
(簡単なようで働いている人は人を採用しているかは把握していないから、
営業ブロックをされ、責任者と直接話すのは意外と難しい!!)

前職の営業の時のことを思い出し鋼のメンタルを持って、いざ!飛び込み大会!!を一人で開催し、履歴書を受け取ってもらえないとしても笑顔で努めました。
私はバリスタ経験がないながらも(コーヒーが飲めないけれども)カフェで働きたいと考えていました。
「人を採用している?」その次に言われることは「コーヒー淹れられる?」「ラテアートできる?」でした。



すごく内装の雰囲気やメニューから印象の良かったカフェが意外に対応が悪くショックを受けたり、
なに!ここのオーナーすごい優しくて話聞いてくれる!と高揚したり。
数十個の店を回り、自分の中でここで働きたいなと感じたのは2個でした。その2個のうちの1つからは今は人募集していないと責任者から言われ、残るは1つかあ〜なんて勝手に考えていました。

そんなことをのほほんと考えているときに一本の電話がかかってきました。
初めて海外で自分の履歴書を配り、その日に電話がかかってくる。それも話を聞いているとえ!自分がいいオーナーだなと思ったカフェからだ!と気づきました。
こんなにタイミングよく来るのか!えええ!ととても幸せな気持ちだった。
しかしオーストラリアにはトライアル期間という一定期間の試用期間があり、
そこで働き方やコミュニケーションが円滑に取れるかなど色々な視点から評価され雇ってもらえるかが決まります。
私の場合はトライアル期間が2週間もありました。正式に決まった時はこの上なく嬉しい気持ち。

毎日様々なお客さんが来て、「美味しかった」「今日もレーズントーストとフラットホワイト」「あら新しいキャロットケーキきたのね」と会話をしてくれるそんな雰囲気がとっても楽しく、段々と常連の方を覚え、カスタマイズのメニューも覚えました。

英語で指示をされ、メニューも全て覚えきれていない中で働く毎日は目まぐるしく、とにかく必死でした。
少しでも早く慣れよう。大変なのははじめだけだ、これをこえたら楽しみを知れる。と毎日の通勤路自転車を走らせながら考えていました。

(こんな道を毎日自転車で走り仕事場へ!満員電車とは比べ物にならないくらい気持ちよく風に吹かれながら進む幸せな通勤路)

とても働きがいがあり、毎日本当に充実をしていたカフェでの生活でした。

そんな中でもどこか心の片隅で
「私は何をしに、日本でお金を頑張って貯め、仕事も辞めてきたんだ。これが求めていたものなのか、この生活をするために私は毎日満員電車に乗り朝から働いていたのか」
と考える時もありました。
それは今の生活に満足をしていないのではなくて、さらに充実させたいという気持ちから。
しかし、今は目の前のことでいっぱいいっぱいで、必死にメニューを覚え、これを頑張ったら!と毎日希望を持って働きつつも自分を納得させ自分のしていることを正当化させようと必死だったのかもしれない。今考えるそうと思います。

大都市ではなくこの砂漠地帯を選んできた人はどこか個性的で本当に魅力的な人間性溢れる人ばかりとのシェアハウス生活も大満足な時間でした。

履歴書を配り即決まった私とは裏腹に一緒に日本から来た彼氏は少し苦戦をしていました。

私が毎日カフェで働いている時も継続して履歴書を配り続けていたので私も引き続き求人情報やGoogleマップ上からカフェやホテルを探していました。
Facebookでも求人情報が入手でき、そこに一つの広告が載っているのを発見しました。
ここから私の胸は高鳴りはじめました。

野菜と果物とその周りで笑っている人たちがいました。
え、ここに写っている顔の人たちはあのいつも街にいる人たちと同じアボリジニの人だ!と。

健康をうたい、体に悪い糖分の多いものは値段が高く、野菜や果物など健康にいいと考えられているものは手頃な価格で販売をするという考えで運営されているお店の広告でした。
日本で働いていた八百屋とはまた異なる考え方の販売の仕方で単純に興味が湧きました。

掲載されていた記事は2ヶ月後にアリススプリングスにそのお店がオープンするという内容の広告でした。
自分にあったポジションはなく、責任者募集と書かれていましたが「これだ!」「これこそオーストラリアでしかできないこと!」と何か感じるものがありすぐに履歴書を送りました。

その会社(団体)のことを調べれば調べるほど気持ちが前のめりになり、毎日その会社のことを調べていました。
webで応募しつつも、まだ先のオープンのためか返信は特にきませんでした。
「もう気になる!どうしよう!アリススプリングスにオフィスがあるじゃん!今日オフィスに直接行こう!」
とカフェで働いた後に彼氏と二人で履歴書を持ってオフィスに行きました。
「二人で応募する場所なんてなんか不思議だね。もし同じところで働くことになったら面白いね。」と少し笑いながらも到着したのは、とても綺麗なオフィスでした。
外の壁にはリンゴの絵と健康をうたう文面が描かれていました。
あいにく履歴書を人事の人に渡せず、総務の人はとても驚いていました。
オフィスに直接履歴書を持ってきて、しかも日本人が来たから。

二人でとても楽しみな気持ちになり、まだ何も決まっていないけれどもどこか心が晴れ、軽くなったそんな感じでした。

限られた選択肢のカフェやホテルの中から自分が行きたい場所を選び、履歴書を数十件に出し電話がかかってきてもどこからかかってきたのか一瞬戸惑うのではなく、自分が行きたいと思った場所をここだ!と自分から選ぶ方が自分の意志で行動できとてもやりがいを感じました。
同じ選ぶでも全く気持ちの入り方が異なります。

オフィスを出て1時間後彼氏の携帯が鳴りました。
何日間も履歴書を配り続け、電話を待っていた彼にとってその着信は驚きでしかなかったようで、
あまりの驚きからかぼーっとしていて、私は「早く!早く出て!」と。
その電話の相手は先ほどオフィスに行き、二人で履歴書を出しに行った会社でした。
人事の方はとても丁寧なオーストラリア人で好感が持て、私はスピーカーで会話を聞きつつもテンションがとても上がっていました。

話は面接がしたいことと2ヶ月後にオープンするアリススプリングスのお店ではなく「AMATA」という場所はどうかという内容でした。
やる気に満ち溢れていた私は「YES」と勢いよく言ったものの電話を切る直前に「ん?AMATA?」となり「やはり一度考えたい」と一応伝えました。
電話を切り、「え?AMATA?どこそれ!!」と二人で急いで初めて聞いた場所「AMATA」を調べました。

調べても情報は少なく、まずアリススプリングスではないことがわかります。
地図を見てみると、アリススプリングスのあるNorthern territoryではなく、South Australia州でアリススプリングスからは約450km離れた地に存在していることを知りました。

「え、どうする、え、家の契約もあるし、カフェと掛け持ちできたらとか思ってたけど、それどころか、これ引っ越さなきゃいけない!え!アリススプリングス去らないといけないということじゃん!えええええ!」
と二人は驚きと不安と楽しみと言葉では表現しきれない感覚になり、慌てた、とにかく慌ててました。

しかも「もし行けるのであれば、明日ちょうどマネージャーがアリスからAMATAに行くから連れて行く!」と言われ、決断の時間も十分になかったです。

とりあえず気持ちを落ち着かせるために、自転車を押しながら近くのBotanic Gardenを散歩しながら一度状況を二人で整理しました。
これは大好きなカフェの仕事も辞めるということなのかということも。
行きたい気持ちが7割、好きなカフェで働いていたい気持ちが3割。文字にすると答えは簡単に決まっているようでしたが、私にとってはとても大きな大きな決断でした。
頑張って勝ち取った仕事を自分から手放すことへの悔しさ。

しかし自分では確実に行くことはなく、知ることすらなかったであろう場所に行くチャンスが目の前にある。
それならば行くか。と思っているときに二人の口から同時に「行くか」という言葉が。「よし、行こう」

そして私たちは調べても豊富な情報は出てこず、政府が出しているAMATAに関する統計情報の人口や男女比、車保持率とか数字の情報だけを見て、行くことを決断しました。
地図見て「うわ〜人少なそう!かなり僻地!!」という驚きと「どんな生活しているのだろう?」という興味が湧き上がり楽しみな気持ちが溢れてでてきました。

今思い返すとこの時にAMATAに行くことを決断して本当に本当に良かったと心から思っています。
これこそ私たちにしかできないことだと。
目の前にあるチャンスは確実に自分のものにしていかないと、掴み取って自分に吸収しないと、と。

そこから面接をしたり、責任者の人と話をして、AMATAに無事行かせてもらえることが決まりました。

この場所にたどり着くまでにケアンズに到着した初日から自分の中でこれでいいのか!自分!ととても迷いがあったようでこの決断をした日からは
私の心はとても軽くなり、楽しみな気持ちで胸がいっぱいになりました。


本当に長くなりましたがこれが私がアボリジニコミュニティAMATAに行くまでの話です。


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