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茶碗悶着

夫と付き合い初めのころ、きれいにナイフとフォークを使って食事をする人だなぁ、と思った。
私は食べるのが好きなので、夫のそれは私の眼には好もしく映った。
が、結婚してから一つだけ気になる点があった、ごはんを食べるときの茶碗の持ち方がどこかおかしいのだ。
茶碗の底部に指を添えるのが一般的かと思うのだけど、夫は茶碗の側部を片手で包むように持つのだ。どうかすると茶碗を持たないことさえある。
口うるさくて面倒な妻かもしれないが、私はそこだけは譲れない。
これから先、うまくいけば何十年も一緒にごはんを食べる仲なのだ、可能な限りきれいに食べていただきたい。
もやもやしながら食べていてはせっかくのごはんも味が落ちるというものだ。
思えば、付き合っていた時は外で食事をすることが多かったし、彼は大抵ビールを飲むので、茶碗でご飯を食べる姿というものをそんなに見てこなかったのかもしれない。
「ねぇねぇ、お茶碗はこう持つんだよ」と手本を見せた。あれはもう五年以上前。
「ふうん」気乗りしない返事だけが返ってきた。
カチンときたが私も負けない。その日から長期戦を覚悟した。
こういうのは毎日しつこく言ってはだめだ。
会話がうんと弾んで非常に睦まじいお食事の時に、おやおや、という具合に伝える。
長年の習慣を変えるのは簡単なことではないのだ。

それから五年。
夫の茶碗の持ち方は一向に変化しない。
夫は非常に頑固だと思い知った。
そのことで喧嘩になるようなこともこれまでなかったけれど、夫はごくしなやかに私の作戦をかわしてきたらしい。

そんなある日、夫が茶碗の底部に指を添えてご飯を食べているではないか。
長い闘いが実を結んだのか、と心の底から嬉しかった。
ついにこの日が来たのだ。
茶碗を持つ夫と目が合った。
夫はにっこり笑って言った。

「茶碗の持ち方ひとつでお里が知れるんだってさ。メルマガで見た」

それはそれは爽やかな笑顔だった。
あの顔を私は生涯忘れない。
私とは縁もゆかりもないどこか遠くの中年男性が自己啓発やらなんやらを発信しているメルマガを夫は購読しているらしい。
メルマガには何の罪もないけれど。
結果オーライで感謝すらするべきかもしれないけれど。
でも、もやっとするくらいは許されると思っても罰は当たらないと思う。な。

また読みにきてくれたらそれでもう。