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「お正月にふぐを食べました」

年越しは義実家で過ごした。
義実家は大変飽食な家庭で、年越し、お正月ともなればそれはもう飽食に輪をかけて飽食な上に豪華さもトッピングされる。
大晦日の晩餐はお蕎麦と大盛りのお刺身、サラダ、そしてお化けみたいに巨大な伊勢エビ×2だった。

明けてお正月の朝、私が起きた頃には机の上に所狭しといろんなお店のお節料理が並んでいて、お寝坊な嫁はお雑煮と一緒にありがたくいただいた。
みんなでテレビを観たり、大きなケーキを持って近くに住む夫のおばあちゃん(元旦がお誕生日!)のお誕生日のお祝いに行ったり、初詣に行ったりしてあっという間に夕方。

夕飯の食卓に用意されていたのは、てっちりにてっさにそして霜降りステーキが永遠に食べられるのでは、と思うほどたくさん。
ここ数年、義実家でのお正月にはてっさとてっちりがある。
私は結婚するまでふぐというものを食べたことがなかったのだけれど、うちの子どもたちは物心がついたときからふぐを食べていることになる。
なんというアンフェア感。
私はまだまだふぐに対して、「君ほんとに大丈夫なの」という感覚が抜けない。
ふぐがおいしいと知ってからの人生より、ふぐには毒があるという知識だけで生きてきた年数のほうがはるかに長い。
まだ気を許すことはできないのだ。
名探偵コナンでもテトロドドキシンというふぐの猛毒がものすごく危険だと言っていたし。名前がもう迫力満点だもの。
確かコナンでは皮とか内臓が危険だと言っていたと記憶している。

さあどうぞ、めしあがれ、と言われても、ふぐに手放しで浮かれることができない私は、一口食べるごとにドキドキしてしまう。
ふぐは有名なふぐ料理のお店屋さんでさばいてもらったものだから安心してよいのはよく分かっている。
けれどこわいのだ。
この安全とされる筋肉部の延長にテトロトドキシンという恐ろしい毒が潜んでいたのだと思うとなぜそんな危険を冒してまで人はふぐを食べるのか、と胸がざわざわしてしまう。
ふぐはおいしいし、お正月にふぐを食べる、というおめでたい感じもとても好き。
「お正月にふぐを食べました」ってとても幸福度が高めな感じがしませんか。ね、するでしょ。
おそらく確定しているであろう安全という事実を心に貼り付けて「おいしいね」とてっちりをつついていたら、なんだか黒いものが目に入った。
はてとつまみ上げたそれはふぐ模様がついたまさにふぐの皮だった。
「あ、皮だ」とよけようとしたした私に義母は「皮がおいしいのよ」と朗らかな声で言った。
心に張り付いた「安全」を見つめなおして口に放り込み咀嚼、ごっくん。
ふうん、そうか、皮がおいしいのかと思った刹那、不安が押し寄せた。
義母はふぐ模様の皮をちゃんと見たのだろうか。義母が言うところの皮って、皮の下のゼラチン質を指すのでは。実際にふぐ模様がついた私が食べたあの皮は実はいわゆる猛毒をはらんだそれなのでは!!!!!!
パニックが頭を駆け巡る。
急に動悸が激しくなってもう食事に手を付けることができない。
正月早々胸をかきむしって苦しんで死ぬのだろうか、ここは田舎も田舎だから救急車を呼んでもなかなか病院まで着かないし、毒に当たれば絶命必至なのだ。
食事も摂らずに別室で長いお昼寝をしていた夫の枕元へ行って、「私ふぐの皮を食べたのだけど……死なないかな……」と訴える。
突然パニックを起こす嫁に夫はすっかり慣れているので寝起きでも冷静だ。
「大丈夫。ふぐ屋さんのふぐだから死なない」
そう言い残してまた寝てしまった。
よせばいいのにその場でGoogle先生にも訊いた。すると、
「種類によっては皮に毒があるよ。1mgでも死んでしまうよ、猛毒だから。特効薬もないから助からないよ」
というようなことが書かれてあった。
やややややばいのでは。死ぬのでは。
Google先生によると1時間半で症状が現れることが多いとのこと。
私のいのちはあと1時間半かもしれない。
ふらふらと食卓に戻って平静を装う。すすめられた雑穀ごはんものどを通るはずがなく、お断りした。
子どもたちをみて、ああ、あと1時間半でお別れかも知れない、と心がさあっと真っ白になった。
と同時に、いやいやでも、この季節毎日ふぐ屋さんはふぐをさばいているのだよな。それもとても有名なお店だし、数えきれないほどのふぐをさばいているよね。そしてそして、今日まで絶賛営業しているということは死者は出ていないのだよね、つまり信用に足るし、あのふぐ模様の皮も食べても大丈夫なのだよね、と思い直す瞬間もあったりした。

結論から言うと、私は今元気に生きていて、自宅に帰り、このnoteを書いているのでやはり、ふぐ屋さんはふぐ屋さんだったし夫の言ったことも正しかった。
私は自分の行動をまったく信用できなくて、家を出てから「ヘアアイロンのツイッチを切ったかしら」「コンロの火を消したかしら」と不安になって引き返し、遅刻する、ということを年に5回くらいはするのだけど、ふぐ屋さんってそういう不安と毎日闘っているのだろうか。
それとも、そもそも不安というネガティブマインドを感じることがないのだろうか。

「ふぐ屋さんって私みたいな心配症の不安がりからするととてもすごいお仕事だなと思ってしまうんだけど」
と言ったらみんなが「ほんとだねぇ」とからから笑っていて、ああ、みんなも笑い飛ばせるくらいにはふぐに安心して、心からおいしく食べているのだな、と羨ましくもなった。
いいな。

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遅ればせながらあけましておめでとうございます。
今年もざわざわと落ち着きのないnoteをなにとぞよろしくお願いします。

また読みにきてくれたらそれでもう。