見出し画像

2020

あけましておめでとうございます。

毎度のことですが、あけてしまいましたね。今年もひとつずつ、楽しいことを、積み重ねていけますように。

2020年。やっぱり東京オリンピックが、今年の話題の中心でしょうか。私は、スポーツに疎い。中学の頃に剣道をしていたのでそれには興味があったり、パワプロシリーズが好きだったので野球は観たりしますが、それもチラ見程度です。年末年始、お笑い番組を楽しみに四六時中テレビをつけている日々を過ごす中、何度も登場するラグビー選手が、誰一人わかりませんでした。こんなにも影響を受けるとは。ラグビー観戦は、2019年の必須教養だったのだと、未学習の自分にがっくりしました。情報番組を観なくなったからなのか、調べ物やニュースはネットで見るように。アンテナを立てていない分野の情報は本当に知る機会がなくなりました。

そんな私ですら、オリンピックは特別だと感じいます。ながら見のつもりで付けていて、いつの間にか釘付けになるのは、オリンピックマジックでしょうか。画面からビシビシと溢れんばかりの熱量を、感じるからなんでしょうか。体操やフィギュアは特に、目が離せなくなります。

「東京にオリンピックを呼べるか」で日本が持ち切りだったころ、そのニュースを追いかけて、ずっと気にしていました。ただ、自分が生きている間にオリンピックが来たら、どんなことになるだろうと興味がありました。東京住まいとしても、社会人としても、大きな影響を受けると思います。どんな風に、日本が変わっていくのか。そんなことを気にすると、目で追わずにはいられなかった。発表がどんどんと遅れ、あっという間に朝日が昇っていました。日の光を反射するテレビ画面に映し出される、「TOKYO」の文字を見て歓声をあげる人々の姿。誘致に向けて、おそらくはこの国のスポーツのために、努力を尽くした。当然、私もうれしくて、やった、おめでとう、と喜びました。テレビに向かって届くはずもないのに拍手して、つられて笑顔になったのです。加えて、それを見つめる観客の私は、また、誰かの努力、その恩恵を受けるのだと感じました。

自分が観客であることを自覚すると、少なからず、何事においても、じんじんと低温やけどするような、感覚を覚えます。じんじんと。じわじわと。その胸の中のやけどが、なんだか自分も何か動き出したいとか、熱中するものを作りたい、という感情に結びついていきます。自分には、なにができるんだろう、とか。でも、けれど、きっと、なにかはできるんだろうな、なにかは。なんだっていいけど。

大きく世の中を動かすだろうできごと。そんなめまぐるしい気運の中で、どんな一年が待っているのかと思うと、ワクワクします。不安にも思います。
ちなみにこんなとき、心で唱える言葉は
「さーて面白くなってきやがった!」です。
カリオストロの城で、乗ってる車を爆撃されてピンチになったときの次元のセリフです。
ワクワクの方をとるんです、次元は。かっちょいい。

話が逸れました。
オリンピックに、時代も、世間も、心も、グラグラと揺れるんでしょうね。
それをワクワクできるよう、自分にできることを、積み重ねでいきたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。 気が向いたらサポートしてやってください。 うれしいです。