前向きな生き方にこだわるのをやめた日。
【自分を好きになりましょう】
【ポジティブに生きよう】
と、言われるのが小さいころから苦手だった。眠れなくなるくらい、自分を責める時間が増えてしまう。でもそれと同じだけ、今の私ではだめだと、明るくポジティブな子にならないといけないと、信じていた。
教授との出会いが転機だった。
大学は文学部に通って、現代日本文学を専攻していた。昭和女性文学を専門とする先生のゼミに入って、女性作家の文章についてを学んだ。
ゼミの、何の時だったか、節目に飲み会に行って、教授とお話しをした。私はその教授が大好きで、(というか、ゼミ生はみんな教授が好きだった)、教壇を挟むことなくお話できるのがとっても嬉しかった。
教授の、緩やかで、穏やかで、優しく、それでいてきっぱりとした考えや言葉が、計り知れないほどの知識量から来るものだと、私のような駄目学生にでもわかった。こんな人になりたいと、心から思うような人だった。
同世代の友人にも、バイト先の先輩にも、高校の担任の先生にも言えなかった、長年の悩みを、聞いてみた。
「やっぱりポジティブな方がいいんでしょうか。」
こどもっぽい悩みもしれない。でも確かに、当時はネガティブよりポジティブが偉い、みたいな風潮があったように思う。不安だった。周りが求める自分と、本来の自分とのギャップに、つぶされてしまいそうだった。
「まぁ。今はポジティブが流行っているからね」
金色の炭酸が入ったグラスを傾けながら、先生はため息をつくように言った。青信号は進めである、と、当たり前のことを言うように。え、流行っている、というのはどういうことですか?私は、間髪入れずに質問する。
「いや、つい数十年前にはネガティブというか、暗くて、人生に思い悩むほうが流行っていた。みんな太宰や芥川みたいな考え方をかっこいいと思ってたから」
確かに、彼らはただの小説家、作家の域にとどまらず、その生き方そのものに注目されるアーティストであり、スーパースターだった。若者は、彼のように生きたい、そう思わずにいられないほどの引力と影響力を持っていた。
「だから別に、またすぐネガティブが流行るかもしれないから、ポジティブでもネガティブでも、どっちでもいいんじゃないかな。また、変わるよ。」
(また、変わる)ほろほろと、自分の中の塊が、ほどけていくような感覚があった。長年積み重ねた地層は、一番底にひびが入ると、あっけなく崩れていく。
どうしたって、何もかもは前向きに捉えられない自分がいた。悲しいことが、私は、悲しかった。それはいけないことではないかと、前向きに生きることが正義なのではないかと、そんな風に思っていた。
「ネガティブ芸人とか、増えてるしね。だんだんみんな、ポジティブ疲れしてるのかも」
くすくすと、いたずらっぽく笑う先生。多くの人がどっちをいいと思うかは、幾度となく変化していく。たまたま今が、そっちに風が吹いているだけ。なんだ、そんな大したことではなかったのかと、そう思えた。
恥ずかしながら、その時の私は「ネガティブでもいいよ」と言われたかったのだと思うのだけど、先生は、そんなこと見透かしていたと思うのだけど、私の精一杯のことばを、決して大げさに受け取らず、まるで天気の話をするみたいにさらりと受け流してくれたのが嬉しかった。そのくらい、この悩みは大したことではなかったのだ。
その日から、前向きに生きることにこだわるのをやめた。というか、私にとってどっちが前とか後とか、上とか下とかを、他の人からみた定義づけに当てはめるのをやめてしまった。やめることができた。
私が進んでいる方向が前だ!くらいに、思う自分を心の中に飼っていると楽だ。今日は、とことん落ち込もう!と思える自分も、時には必要。
そっか、ポジティブとネガティブは、使い分ければいいんだ。
おわりに
私は、自宅の押し入れの奥に何かいるんじゃないかと思ったり、空と宇宙は同じなのか違うのかを考えていたりしたら、眠れなくなるような子供だった。もともと、考えて過ぎてしまうタイプかもしれない。私にとっては、誰かに悩みを話すということ自体が、勇気のいることでした。
誰かのひとことで心が軽くなる、なんて漫画みたいな経験が自分にも起こるとは思っていなかった。先生に出会えて本当に良かったと、そう思います。
先生のような素敵な女性になりたいのだけど、まだまだ私にはほど遠い。「たくさん本を読んでね」という教えだけは、守れるように努めよう。
また、何か壁にぶつかった時は、先生に笑い飛ばしてもらいたいな。
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