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元新聞記者にとって村はネタの宝庫!自治体の仕事は案外クリエイティブで面白かった

※PUBLIC CONNECT編集部注 こちらは、「特集」に掲載されている記事の転載版となります。※

多様な経歴を持つ公務員人材に、これまでのキャリアを振り返り語っていただくインタビュー企画。

第1弾は、新聞記者や海外での就業経験もあり、山梨県丹波山村で職員として働く矢嶋澄香さん。「公務員になろうと思ったことは生まれてこの方1度もなかった」という矢嶋さんですが、入庁してすぐにクラウドファウンディングを実施、村中を巻き込んだイベントも企画し成功するなど、影響力の大きい仕事を多く行っています。そんな矢嶋さんが、どのようなキャリアを歩まれ、そしてなぜ公務員になって、どのように公務員キャリアを楽しまれているのか、お話を伺いました。

<矢嶋澄香さんプロフィール>
山梨県丹波山村出身。高校進学と同時に村を出て一人暮らしを始め、大学進学を機に上京。在学中は、外国にルーツを持つ子どもたちの学習を支援するNGOに所属し、精力的に活動した。卒業後は山梨県内の総合情報メディアグループ企業に就職。事務職を経て新聞記者として勤務したのち、ニュージーランドに留学。現地の専門学校を修了後、日本人向けマガジンの制作を手がける企業に就職。企画、編集、ライティングを幅広く担当する。その傍らで英語教師の資格も取得。2018年に帰国後は、専門学校での英語講師や理化学研究所の広報担当などの職を経て、2022年丹波山村役場に入庁。地方創生関係をはじめ、幅広い業務を担当中。

—これまでのご経歴を教えてください。

矢嶋:私は丹波山村の出身で、中学までは丹波山村に住んでいました。村には駅もなく、バスも1日に数本なので、親元から高校に通うことはできないため、高校進学のタイミングで村を出て山梨県内で一人暮らしを始め、大学進学と同時に上京しました。

学生たちで運営するNGOに所属するなど、大学生活は充実していましたが、その一方で卒業後、どんな仕事をしたいか、明確な目標はなく。家庭の事情もあって、山梨へ戻り、総合情報メディアグループ企業の事務職員として就職しました。最初は調査や統計の業務を担当し、その後広報の仕事も兼務するようになりました。

具体的な目標がないまま入社したものの、新聞社や放送局で記者として働く同期を見ているうちに、私も外に出て取材がしたいと考え、異動希望が叶い、入社3年目からは新聞記者として働くことになりました。

24時間問わず呼び出しがかかるような警察担当や、1年間じっくりと特定の社会問題を取材し、報道する企画報道も経験しました。事務職からのギャップは大きかったですが、記者の仕事はとても楽しかったし、好きでしたね。

—そこから海外へ行かれたんですよね?

矢嶋:はい。元々海外志望もあり、ワーキングホリデーをしたいと考えていました。ノーベル医学・生理学賞を取られた大村智博士の授賞式の取材などの大きな仕事や、長期連載も区切りがついたタイミングで、ビザが取れる年齢制限に近づいていたこともあって新聞社を辞め、ニュージーランドに渡りました。記者というといろんなことを知っていると思われがちですが、どのようにして世の中が回っているのか、改めて勉強したかったので、専門学校のビジネスコースを選びました。

留学生は私一人という環境で、年齢が10歳くらい離れた現地の学生たちの中で、会計やマーケティングなど、ビジネスの基礎を学びました。ニュージーランドの中でもオークランドは特に多国籍の都市なので、色々な考え方や文化に触れることができ、自分の求めていたものに近づけたなと思いました。

学校を修了するタイミングで運良く現地の日系企業でスタッフの募集があり、日本人向けのフリーマガジンのライターとして就職しました。新聞社を辞めたときは、記事を書くことはもう二度とないと思っていましたが、幸いにも赤道の向こう側でもまた取材して記事を書く生活が始まりました。

ニュージーランドに住む日本人向けの生活情報やイベント情報、留学や移住をされた方へのインタビュー記事などを中心に書いていました。日本人への取材もあれば、英語でインタビューし日本語で記事にすることも。デザイナーさんと二人三脚で毎月発行していたので、とても忙しかったですが、企画から取材、編集、営業も担当し、密度の濃い時間を過ごしました。

初めは1年間のワーキングホリデーの予定でしたが、就労ビザを取って引き続きその会社で働き、現地で出会った方と結婚しました。その後長男を授かり、出産・子育ては日本でしたいと思い、2018年に帰国しました。帰国前にもう一度専門学校に通い、英語指導資格(TESOL)を取りました。子育てをしながら記者の仕事をするのは難しいだろうなと思っていたので、日本に帰った時に食いっぱぐれないように、という考えからです。

—では日本では出産のため休まれたのですか?

矢嶋:帰国後は夫の地元である埼玉で、産院と家探しを始めました。帰国時に妊娠5か月だったのでぎりぎりな感じでしたが、子どもを迎える準備をしながら、仕事探しもしていました。せっかく資格も取ってきたし、パートタイムでも働ける場所があればいいなと思って。

妊娠中ということを伝えると、ほぼ全滅でしたが、ある専門学校は面接で「今妊娠中ですが、夏休みに出産予定で後期の授業には復帰するつもりなので働かせてください」と正直に伝えたら、校長先生が理解があるというかおもしろい方で、「妊婦さんなんですか。それなら教室に椅子を用意しておかなくちゃね」と言って採用してくれたんです。

そうして、非常勤講師として英語を教えることになり、4月から週に1日、授業のために都内に通勤し、夏休みの8月に長男を出産し、宣言通り10月の後期の授業から復職しました。今考えるとめちゃくちゃだし、出産に備えて大人しくしていればいいのにと思いますが、休んでいられない性分なんでしょうね。

—出産後、1,2ヶ月くらいで復職されたんですね?

矢嶋:そうです。次の年からはフルタイムで働ける仕事がしたいと考えていたので、転職活動と子どもの預け先を探す「保活」を同時進行しました。住んでいた街は待機児童が多い、激戦区だったので、あの頃が一番しんどかったですね。

晴れて大学の事務職に就職できたものの、条件が合わず半年で退職し、理化学研究所の広報室へ転職しました。私は理系とは正反対で、科学的な素地は全くなかったのですが、日々新しく出てくる研究成果を、わかりやすくプレスリリースという形で発信するという報道担当の業務で、記者の経験が生きました。

理化学研究所が発表するプレスリリースは、他の研究機関との共同研究も合わせると年間400本を超えます。1日に1本以上の計算になるので、複数のプレスリリースを同時進行で担当し、文部科学省の記者クラブに投げ込みに行ったり、記者会見方式でレクチャーしたりと、工夫しながら仕事できたのが楽しかったです。本来超文系の私には縁がないような研究者の先生方ともお話ができ、とても勉強になる毎日で、上司や同僚にも恵まれて、この仕事をずっと続けたいなと思っていました。

それなのに、新型コロナウイルスの流行で世の中が一変。第二子の出産もあり、産休育休やフルリモート勤務で丸1年出勤しない状態になりました。プライベートでも長男の保育園でも登園自粛を呼びかけられたり、近くの公園で遊ばせるのも人の目を気にしていました。それまで頻繁に丹波山村の実家に遊びに帰っていたのに、このころは帰省もままならずストレスを感じるようになっていました。

仕事は契約職員という形だったのですが、希望して試験を受ければ正職員になれる可能性もありました。ただ、日本各地や海外にも拠点がある機関なので、正職員になると転勤が伴う異動もあると聞いていました。小さい子どもを抱えながらこれからどうしようと悩んでいたところ、夫から「丹波山村に行けばいいんじゃない?」と提案されたんです。

—むしろ夫さんから丹波山村移住の提案があったのですね。

矢嶋:本人は自分が言い出しっぺということをもう忘れていますけどね(笑)私はそれまで一度も村に生活拠点を戻そうと思ったことはなかったんです。子どもの頃から村には仕事もないし、人口は減るばかりだから外に出て好きな仕事をしろと言われて育ったので。移住して大丈夫だろうかと悩む私に反して、夫は楽観的でした。自然の中で子どもを育てるのもいい環境かなとも思い、移住を決めました。

—丹波山村に戻ってからは自治体職員として働かれていますが、どうしてその仕事を選ばれたのですか?

矢嶋:フルリモートの仕事も考えましたが、丹波山村で働くなら村の仕事がしたいとも思ったし、保育所から中学卒業までずっと一緒だった同級生が1人、役場で働いていたので相談に行きました。相談をしたのが冬で、夏に職員採用試験を受けて、2022年の4月から職員としての勤務が始まりました。

—自治体職員としてどんな仕事をされていますか?

矢嶋:公務員になりたいと思ったことは一度もなかったので、役場でどんな仕事をするのかはあまりイメージがありませんでした。クリエイティブとは逆の職場だと思っていたし、「お役所仕事」的なものに偏見すらあったくらいです。

配属された総務課は、課長を含めてメンバーが7人。正職員は出先も含めて30人という小さな役場なので、どの職員もさまざまな業務を掛け持ちしています。私も総務課で給与計算などの事務や採用業務、ふるさと納税担当や地域おこし協力隊など地方創生推進関係の仕事を担当することになりました。掛け持ちをしている仕事の繁忙期が重なってしまう時とかは本当に大変です。

地域おこし協力隊の採用や活動の管理、相談の対応をしながら、まったく畑違いの給与計算もやって、突発的に発生する仕事もこなす。受け持ちの業務を回していくだけで手一杯だったので、とにかく仕事に慣れようと、与えられた業務だけを頑張ろうと思ったのですが、すぐに転機が来まして。

—何があったんですか?

矢嶋:仕事を始めて2か月半ほど経った、2022年6月15日のことです。この日のことはずっと忘れないと思います。村を通る主要道の国道411号で落石事故があったんです。道路に落ちた石の撤去は難しくなかったようですが、斜面には不安定な岩の塊が残り、調査や作業に時間がかかって通行止めが解除できない状態が続きました。私は道路の担当でもないので詳細もわからず、何もできず、住民の方からのいつ開通するのかという問い合わせを毎日受け、「まだ解除になりません」と答えるしかなくて。

ただ、時間が経つ中で、自分の担当業務の範疇で何ができるだろうと考え始めたんです。落石現場を迂回する道路では、大きなバスは走れません。これで観光客が激減していたのですが、来れないなら迎えに行けばいいと考えて、シャトルバスを運行できないかと上長に相談しました。始めは土日祝日だけの運行だったのですが、夏休みの間は平日も走らせることになりました。

バスを走らせる費用は、担当していたふるさと納税業務でふるさと納税型のクラウドファンディングで寄付を募ろうと考えました。落石で道路が通行止めになり住民が困っていること、村の外から観光客が来られないために観光事業者も困っていること、この状況は村にとってコロナ禍よりも打撃が大きいということを発信して、丹波山村を応援してもらうプロジェクトを立ち上げたんです。それが、7月初旬のことでした。

目標額の100万円はわずか2週間で達成し、最終的にはなんと240万円ほど集まりました。結局、シャトルバスの交通費は他のところから補填できることになったので、通行止めによって収入が減ってしまった事業者さんへの見舞金に全額活用させていただきました。

—新しい仕事をするにあたって、反対はありませんでしたか?

矢嶋:反対はなかったです。村中が本当に困っている時でしたし、クラウドファンディングならすぐに使えるお金を得ることができるからと、総務課長や村長にも直談判しました。プロジェクトに掲載する文章や写真、いくらを目標額にして実現に向けてどう動くかを考えて決めてから提案したので、「やってみなさい」という感じで許可してもらえました。

ここまで動けたのは、国道の通行止めによって生活が変わってしまった人は観光事業者さんをはじめ村内にたくさんいるのに、我々公務員のお給料は変わらないでいられるという温度差への疑問からです。何かアクションを起こしたいけれど、私が落石現場で撤去作業ができるわけでもないし、歯がゆい思いがある一方で、道路状況の問い合わせの電話にも、通行止めが続いている日常にもだんだん慣れていってしまう自分に嫌気がしていました。

—メディアでも新たな取組として注目されたんですね。

矢嶋:はい、プレスリリースを作って配信したり、留学前に勤めていた会社にも直談判に行ったりしたことで、この取り組みが新聞やテレビの取材を受け、多くの方に協力してもらえて本当によかったです。クラウドファンディングの寄付者の方からも「応援しています」「頑張ってください」というメッセージをもらえて、とても励まされました。

その後、国道の通行が再開したのは、10月になってからのことでした。担当している地域おこし協力隊の協力や寄付してくれた人など、多くの厚意があったおかげで4か月という長い時間を乗り切ることができました。その感謝の意を込めて再開記念イベントを11月に開催しました。イベントというと、1カ所の会場に集まって行うイメージがありますが、村全体を会場にしたんです。丹波山村はとてもコンパクトな村で、徒歩でまわることができるんですよ。車なら、端から端まで行っても15分くらい。

—すごい、、、それも自身の業務範囲内だったのですか?

矢嶋:「イベント担当」という業務が与えられていたわけではありませんが、地域創生といった意味では自分の業務の範疇だったので、巻き込んでやってしまったという感じです。イベント会場を一か所に集約しないことで、地域のお店はいつもの場所で営業しながら参加することができたし、イベント限定の商品を用意してくれたり、特典を用意してくれたりしてとても協力的でした。

お店や観光施設など、村のいたるところにあるスポットをまわってもらえるようにチラシやアプリで地図を用意したり、抽選券を配って、村の特産品が景品でもらえるくじ引きができるようにもしました。

当日はたくさんの人が足を運んでくれ、クラウドファンディングで協力してくださった方や、丹波山村の「ファン」のような人たちもいて、普段の村では見られない賑わいでした。いろんな人が村を応援してくれるのを直に感じることができてうれしかったですね。評判もよかったので、イベント後は燃え尽きそうでしたが、すぐに給与の年末調整業務で忙しくてそんな暇はありませんでした(笑)。そうしてあっという間に最初の1年が終わりました。

ー1年目から非常にアグレッシブに働かれたんですね。新聞記者や広報など、これまでにさまざまなお仕事をされていますが、その経験は自治体で活かされていますか?

矢嶋:働く場所は色々変わりましたが、一貫して「伝える」という点に共通項がある気がしています。村のピンチに助けが必要な時に困っていることを伝えなければ知られることはないし、感謝の気持ちだって伝えなくちゃ伝わりませんよね。

これまで携わってきた記者や広報、ライティングといったクリエイティブな仕事と、自治体での仕事に交わる部分はあまりないように見えて、実はかなりあるんです。日々変化していく時代に合わせて工夫して仕事をしていかなきゃいけない公務員の仕事は、案外クリエイティブだと思います。

先日、プレスリリースを受け取った全国紙の新聞記者の方から「丹波山村からプレスリリースが出てきてびっくりした」と言われました。こちらとしては情報をまとめてプレスリリースを出せば、何回も同じことを口頭で説明しなくていいし、それぞれのメディアにFAXやメールを送るだけでPRできるので時短にもなってメリットばかり。この情報合戦の中、黙っていたら誰も見つけてくれません。どんなにいいことをしたり、何か新しいものを作ったとしても、そこで満足しているだけではいけないと思っています。

—丹波山村の仕事の魅力を教えてください。

矢嶋:新聞記者だった身からすると、この小さな村はネタの宝庫です。子どもの頃は小さな村の公務員なんて何が面白いんだろうと思っていましたが、完全に偏見でした。小さな村だからこそ職員同士の距離が近いし、何なら村長にだって直談判できる。思い立ってから行動に移すまでのスピード感が早いんです。

新聞記者も英語講師も、研究所の広報も、これまでの仕事はどれも楽しかったです。でも、それよりも今の役場の仕事が楽しい!それは、自分の仕事の効果や影響がどこよりも見えやすいからだと思います。もちろん良い反応だけでなく、厳しい意見をもらうこともありますが、対象者が目の前にいて、誰のために仕事をしているのかが明確なのは、小さな丹波山村だからこそですね。

—これからチャレンジしたい仕事はありますか?

矢嶋:今は移住定住促進の取り組みもしています。
丹波山村に移住したいというニーズって結構多いんです。コロナをきっかけに田舎暮らしに興味を持ったり、自然豊かな土地で子どもを育てたいというニーズもある。ただ、それに応えられる体制が整っていないのが課題です。

同じ移住でも、相談内容によって庁内の担当がバラバラだったので、移住に関する相談を一括で受ける、丹波山村移住定住推進協議会という組織を作りました。また、そもそも移住したいという人を受け入れる住宅も不足しているために、チャンスを逃すこともあります。落石をきっかけに始めたクラウドファンディングで、移住者用住宅整備のプロジェクトも始めました。

移住に関しては広範囲に及ぶ業務なので、やりがいだけでなく、関係者との調整など大変な面も多いです。でも、この村出身で、かつ移住者としての視点も持っている私だからこそわかることもあります。村内外のコミュニケーションの潤滑剤になりたいですね。これまでの経験を活かして、いろんな人をつなぐという、自分にしかできない仕事を作る面白さを感じているところです。

仕事で「矢嶋さんだからできる」と言われるのはうれしい一方で、矛盾するのですが、私だけでなく誰でも同じ仕事ができるようになる仕組みも作りたいです。それぞれが得意なことを持ち寄って、職員全員でそれを高めあいながら仕事ができたらもっと面白いだろうなと。誰かと話すことによってアイデアがブラッシュアップされていくと思うし、それが職場の魅力アップにもつながると思うんです。

最近、新しい村長が着任されたのですが、もともとこの村の生まれで長く役場職員としても働いてこられた方で、自分がやりたいことがはっきりしています。私はどちらかというと勝手に仕事を作ってはいろいろとやってきていますが、それでも優先事項はこれだ!と言って旗振りをしてくれるトップがいると働きやすいと思います。

これからは、「村で力を入れていることは何ですか?」と聞かれたとき、村長でも課長でも、1年目の職員でも、みんなが同じことを答えられるような組織づくりをしたいです。行政だけでなく、地域住民や村外の企業なども巻き込んで、この村の未来のために働きたいし、面白いことをしたい。やれることはまだまだあって、この村には伸びしろしかない。公務員として働くのって結構面白いですよ。

この記事は2023年10月23日にパブリックコネクトに掲載された記事です。
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