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回復へ 片付けが、苦しい。

 一人目の子供を出産して1年くらいした頃、中古の家を買った。古いけど、その代わりとても広くて良い家だった。リビングダイニングの他に4部屋もあるのだ。都内に住んでいた時は、考えられない広さだけど、ここは田舎だから、そういうびっくりするような広さの中古の家が都内でワンルームマンションを買うくらいの値段で普通に売りに出ているのだった。 

 私たちは、その4つの部屋を、①家族みんなで寝る寝室、②旦那の部屋、③子供達の部屋(大きくなるまではゲストルーム)、そして④私の部屋に振り分けた。私に自分だけの部屋ができたのだ!引っ越してから最初の1年くらいは、子供が小さかったので集中して部屋の片付けも出来ず、私の部屋はいろんな不要なものをとりあえず入れていく荷物置きと化していた。私の部屋には、私の独身時代からの荷物に加えて、子供の使わなくなったものや旦那の使わなくなったものが大集結していた。一日も早く片付けてスッキリさせたかったけど、子供が小さくて無理だったからしばらくは手をつけられなくても我慢した。

 「できるかな?」と思って一度息子がいるときに片付けをしてみたこともある。しばらく作業して、「なんだか大人しいな」と思ってふと振り向くとハンドクリームをチューブから全部出して自分もハンドクリームまみれになりながら床に塗ったくっていた。ヒィィ〜。1〜2歳くらいの小さい子供ってずっと見ていないと本当になんでも口に入れたりひっくり返したり、汚したりする。だからいろんなものを出して分類する作業を延々と行う片付けは、小さい子がいるときには向いていない作業だ。「妊娠しているときにしておきたかった」。産後にすごくそう思った。でも初めての妊娠で初めての子育てって、全く予想がつかないものなんだよね。妊娠中は旦那も自分もなんとなく独り身の気分だし、だから片付けもそのレベルの片付けになる。でも出産と同時に赤ちゃんが突然降臨して、独り身レベルの片付けや物の配置じゃ、全然足りないってことになる。そう、気づいた頃には赤ちゃんもいてなかなか集中して片付けられない、、、っていうジレンマを抱える新米ママは、世の中に沢山いると思う。

 ちなみに私は、片付けや掃除が、苦手な所謂「汚部屋女子」ではない。どちらかというと片付けや断捨離が、好きな方だ。片付け本を読むのも好きだし、片付けカウンセラーがお部屋を片付けるテレビ番組を見るのも好き。グチャグチャに置かれているものを一つ一つカテゴリーわけして、拭いて、綺麗に並べた映像なんかを見ると「うお〜気持ちいい〜もっとやれ〜」と思う。そんなだから、引っ越し直後からリビングやダイニング家族との共有スペースは、あっさりと問題なく片付けられた。だけど、そんな片付け好きなはずの私が、なかなか今回は自分の部屋に向き合えないでいた。向き合おうとするとなぜか息苦しくなるのだった。

 引っ越しして半年くらいが経ち、私の部屋は相変わらずの物置状態。でも、子供が保育園に行くようになった。ようやくまとまった時間をとれるようになったので、自分の部屋を片付けることにした。でもなかなか進まなかった。洋服、仕事、趣味、勉強資料、写真など、それまでの自分の人生が私の部屋に「いる」・・・そんな感覚を抱いた。ぞれぞれのものには、たくさんの思いや記憶、感情が絡まっているような気がして向き合うのが辛い、手を出せない。それは物であるにもかかわらず、物以上の、ある意味生き物のような威圧感・重みがあるような気がした。その物に向き合うと、その物を使っていた時の思い出がブワーーーー!!と吹き出す気がして。「高校時代、親に隠れて絵を描いていた自分」「文系の勉強は得意だけど、理系の勉強が全く苦手だった自分」「大学に行ったら自由になれると夢を膨らませた自分」「大学時代、お金がなくて絵を描くことや表現すること自体を全部諦めた自分」「会社員時代、ワーカホリックになった自分」「留学時代、過去を取り戻そうと必死すぎて、空回りしてボロボロになった自分」・・・本当に色んな自分を思い出す。私の人生は、幼少期は放置と過保護、十代は機能不全家庭に苦しみ、二十代三十代は不安障害に苦しむ人生だった。その頃の私は自分が生まれてから母親になるまでの全部の時代の自分に嫌悪していた。大分回復してきたとはいえ、まだ不安障害は完治しておらず、そんなわけで、目の前に広がる自分部屋のの片付けが辛かったのだ。片付けは自分の今と未来を見つめ、過去に向き合う作業だから。だから辛い・・・そういうわけなのだった。

 ある日、ママ友が投稿したSNSを見ていると「片付けしました!」という記事が上がっていた。ビフォーとアフターの写真もあり、ものがうじゃうじゃして雑然としたビフォーの写真とすごくスッキリしたアフターの写真が載っていた。すっきりした部屋には、新しく買った素敵な照明がつけかえられていていた。部屋の持ち主が、久しぶりに部屋を綺麗に片付けられて喜びに小躍りしているのが伝わってくるようだった。彼女は、片付けカウンセラーに相談して一緒に片付けたらしい。私はすぐにその友達に連絡をしてその片付けカウンセラーを紹介してもらった。偶然にも、その片付けカウンセラーの方は、私の家から車で5分のところに住んでいて、連絡するとすぐに来てくれた。

 カウンセラーの方は、藤山さんと言った。私より10歳くらい年上の娘さんが二人いるお母さんだった。ショートカットが似合うさっぱりした感じの綺麗な人だった。

藤山のさんは私に聞いた。

「これからどうしたいですか」

「何を頑張っていきたいとか自分は将来こういう風になっていたいとかありますか」

「えっとダンスを教えているので、それをやりたいです。あと縫い物もやりたいです。パソコン仕事も。この家全体を家族もお客さんもくつろげる部屋にしたくて。あと物をできるだけ減らして掃除しやすい部屋にしたいです。子供が小さいからパッと片付けて、サッと雑巾で拭いたりとか、そういうことが手早くできるような家に機能的な家にして家事の負担を減らしたいです。」

 私の希望を聞くと、藤山さんは家をぐるりと見て回って。「これはここに置いてあるけれどこちらの方がいいですね。」と私が思いつかなかった場所に物を移動するアイディアを教えてくれたりした。「棚に物を並べる時に空間を開けたり、置く物の種類を揃えるととなんとなく綺麗に見えますよ」などと綺麗に見えるディスプレイのコツなども教えてくれたりした。普段から片付け本などを読んで参考にはしていたけど、やはり実際に来てもらって見てもらうと色々な便利なアイディアや自分では気がつかないようなことを教えてもらえてとてもワクワクした。

 そして自分の部屋へ。「この段ボールは、なんですか?全部出してしまいましょう」と言いながら私は二人でなん箱かあった引っ越しの時に使った段ボールやファイルボックスから全部中身を出した。淡々と必要なもの不必要なものに分別した。不要なものはゴミ箱へ、必要なものは、その物の「家・住所」を決めてそこへ入れた。爪切りは、リビングのこの引き出しとか、裁ちばさみは私の部屋の洋裁コーナーのここの引き出しという感じに。そして「爪切り」や「ハサミ」などの名前を書いたテープを、その物が帰る「家・住所」に細かく貼るようにした。これは、物の「家・住所」が、日々の生活でなんとなくいい加減になって崩壊するのを防ぐために有効なのだ。(とりあえず、ここに入れておくかな〜と入れておいてしばらくしたらどこに行ったかわからなくなるを防止するため)今時は、どの片付け本にも描いてあるような基本的な方法だ。

 この全部の物を広げて手に取り向き合い、不要なものを分別する作業が、藤山さんがそばにいてくれるだけでドンドン進んだ。ものすごい安心感。一人だといつも心がヒリヒリしながらやらないといけないのに。私はきっと「昔の自分を見るが怖い」のだと思う。もっと言うと、「私が過去に出会った苦しみやトラウマの原因を思い出させる物たちに一人で向き合うののが辛い」のだ。でも脳の中の「片付け好きな効率的なキャラ」の自分は何を捨てて、何を使い続ければいいのかをよくわかっていて「さっさと片付けなよ〜このままじゃ仕事進まね〜じゃん」と迫ってくる。もう一人の過去を思い出すのが怖いキャラは「・・・でも、辛い」とその場に固まる。藤山さんが一緒にいてくれるだけで、なぜかこの「怯えキャラ」が安心している気がした。そして、「怯えキャラ」が安心している間に「片付け好きな効率的キャラ」が手腕を発揮し、ひたすらに淡々と整理できるのだった。この片付けキャラに毎日せっつかれて「怯えキャラ」と「片付け大好き効率的キャラ」の間に挟まれずっとモヤモヤ、ヤキモキしていた私は、「ハァ〜これで助かった」と胸をなでおろした。




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