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上質な「おばちゃん浴」を求めて vol.2

 「おばちゃん浴」それは、お母さんが、ただそばにいてくれているような雰囲気や安心感を身近にいる母親と同じくらかそれ以上の年齢のおばちゃんたちとの触れ合いを通して感じる擬似行為。例えば、私がぼおっとテレビを見ている横でお母さんがスーパーのチラシを見ながら「最近あの店あの商品売ってないわね」とか「あ、図書館に本返すの忘れたわ〜 今日近くに行ったのに、もぉ〜」とかいう独り言をなんとなく聞くような、そういうどうでもいい日常を感じる行為。これが、とても気持ちいい。

 よく行く自然食品や日用品扱っている雑貨屋もおばちゃんたちの溜まり場で、私にとっては絶好の「おばちゃん浴」スポットだ。店の一角が畳の部屋になっていて、50〜70代のおばちゃんたちが50歳くらいの店主とお茶を飲みながらワイワイガヤガヤと話をしている。そういうところになんとなく混じって年上のおばちゃんたちの会話を聞き流しているのが、またまた嫌いではない。

 店主はもともと飲み屋さんを経営していた人で話上手で盛り上げ上手。と言ってもその盛り上げスタイルは、時々、人にツッコミを入れたりいじってからかったりするスナックのママがよくやる手法だけど。私と同じ世代の30〜40代のママたちが集っている時は、そんなことないが、50〜70代の人が集っている時に30代後半の私が現れると、まだまだ若い子育て中のひよっ子ってこともあり、速攻でロックオン。冗談で色々突っ込まれたり、からかわれたりする。どうやら私は、からかう系の冗談がわからない人のようだ。軽快かつちょっと辛辣なツッコミやからかいに対してまともに「え!そんなことないですよ あーで こーで」とわざわざ一生懸命言い訳したり、たまに本気でムカついたりしてしまう。すると「あはは、冗談よ〜、なんでも本気にするんだからっ」とかテンション高く笑いとばされて、本日のからかい作業終了〜♪となる。その度に、あんまり面白くないからその冗談無くていいんだけど、、、といつも思う。

 世の中にはからかわれるのが大好物の人も沢山いる。からかうことが優しさにつながることも沢山ある。例えば、一人で飲み屋に飲みに来てる寂しがり屋のおっさんをおばちゃんが相手にしている場合である。例えばおっさんは、家で奥さんにも娘にも無視されていて、話しかけても返事返ってこない。寂しさ150パーセントだとしよう。そんなおっさんは、元気の良いスナックのママや娘のような歳のヤンキー上がりのバイトのオネエちゃんに色々ツッコまれたりからかわれたりするのが、まさに砂漠で喉がカラカラになったところにオアシス発見したような、手を合わせて拝みたくなるありがたさである。あぁ、久しぶりこの感じ。カ・イ・カ・ン・である(「セーラー服に機関銃」って映画知ってる?)。

わかる、わかるよ、そういう世界があることは。でも私、女だしさ、年下だしさ、おっさんじゃないしさ。正直年上のオバハンにからかわれても全然快感じゃないっす。スナック経営で鍛えたトークの回転速度についていくだけで精いっぱいです。そして疲れている時は、受け取り方もネガティヴになる。ひどい時は数日繰り返し思い出して引きずる。あん時なんであんなこと言われたんだろうな、もっとうまく言い返してやりたかったな、とか悶々。こうなるとかなり脱線している自分。そもそも、わたしはただ優しいおばちゃんたちが天気や食べ物について雑談してる側でボーっとしたいとういうシンプルな目的のためにその場にいたはずなのだ。かからかわれることに反応してしまったために目的とはそれたことを必死でやっている自分が、いる。

「数日繰り返し思い出して・・・」って書いていて今、ハッとする。オイ待てよ。あぁ、これってひょっとして軽いフラッシュバックなのかもしれない。もしそうだとしたら回復のために原因となる過去の出来事をたどって発見することが回復に繋がる。この胸の不快感。これと同じ感覚っていつ体験しただんだろうか、、、。この胸のいやな感じを手掛かりに記憶をたどる・・・この嫌な感じと同じ感じを味わったのはいつのどの出来事だっただろうか・・・。

 中学、高校時代、わたしはとりあえず日常を生き延びるために優等生を演じていた。バイト禁止、髪型やスカートの長さまで決まっているような厳しい九州の私立の女子校に行っていた私だが、私の両親が私に定めた決まりは、そんな厳しい校則の何倍も厳しかった。ある日、三つ編みをしたらお継母さんに「こんげんことする暇あったら勉強せんねっ」と思い切り引っ張られた。学校でマニキュアが禁止だったので爪やすりで爪をピカピカに磨くのが流行ったから私もやったところ正座させられて何時間も説教をくらった。私服も下着も自分で買うことは許されず、すべて継母が「子供には、子どもらしいものを」と言って、文字通り女を全く感じさせない子どもっぽい服を買い与えてくれていた。そんな厳しさだったから私は、いつも規定のスカート丈でルーズソックス全盛期に規定の短いスクールソックスを履き、学級委員をやるキャラで生活していた。同級生の真似をしておしゃれをすると親を激高させてさらに禁止項目が増えるだけだし、大幅にグレて不良になればこの小さい町に埋もれるだけだと思っていた。だから高校を出て卒業してこの町を出るまでは、真面目ちゃんの皮を被って乗り越えよう、それが一番賢い選択だと思っていた。そんな真面目ちゃんな私は、同級生たちによくからかわれていた。思春期の子供は敏感かつ残酷だ。真面目ちゃんを演じて素の自分で生きてない不自然な同級生のことを見ているとなんだかムカつきいじりたくなる。まぁ、気持ちは分かるけど。普段は目も合わせないくせに、からかう時と学級委員などの雑用仕事を押し付ける時だけニヤつきながら話しかけてくる同級生につくり笑顔で応対しながら「今に見てろよ、このクソ野郎 」と心の中で毒づいていた。「あんたにはマヌケに見えても必死でやってんだよ、こっちは!この暇人が!暇つぶしのネタやったら他で探せ!」って感じ。あの時、言えなかったけど。そして結局、雑用係をやったていたけど・・・。そんな自分に一番ムカついてたけど。

 もう一つのからかわれた記憶は、父親の記憶。父親は、いつ母親に怒られるかビクビクする年頃の私にニヤつきながら「お前またなんかやったとじゃなかろうなぁ?えぇ?」近づいてくる。まるでありもしないお化けを恐がる小さい幼児を「ほら、お化けがでるぞー」と言って面白がってニヤニヤしながらからかう大人のようだ。きっと父親にとって私は永遠に自分の思い通りになる小さな子供だったのだろう。日頃から私を観察し、説教のネタになりそうなことがあるとすかさず継母に報告した父親。毎月の結婚記念日には花を買ってきて継母にプレゼントしていた父。借金だらけの会社を一族のために継ぎ、祖父に忠誠を尽くし、妻に誠意を尽くし、問題ばかり起こす娘に手を焼きながらも教育熱心で献身的で誠意のある九州男児・・・。「おいは、不器用やっけん」と高倉健からパクったセリフをうっすら微笑み、遠い目をして呟く父親のナルシスティックな横顔を見ながら「この人が一番狂ってる」と思った。思ったけど、口に出したら最後、何時間ものお説教とビンタが待っているから決して何も言わなかったけど。

 これらが、私の胸がイヤーな感じになる「からかわれた」記憶の断片だ。恐らくこれらの記憶が引き金で私は自分がからかわれることに弱く、生理的に受け付けないのではないだろうか。からかわれた時の対応も「そういうことは、やめてください」とはっきり言ったり、相手を騙らせるために何か相手がドキッとするようなキツいこと言ったりするようなものではなくて、むしろこちらが我慢したり、一生懸命返事をして場をとりつくろうものだ。要は、自分のことをからかう相手を不快に感じつつも、その相手に承認してもらうために一生懸命とりつくろうというもの。そして結局、自分の意に沿わないのに相手に合わせたままその場を濁してしまう。そして後から猛烈に悔やむ。くすぶった怒りを溜め込む。心の中の怒りは、溜まって溜まって溜まり続けて今にも爆発しそうなくらいだ。子供の頃から少しずつ、長年溜めこんだ怒りは、例えば言葉で表現すると「ぶん殴ってやりたい!」「ぶっ殺してやりたい!」そんな凶暴な感じだ。私は、そんなに強い怒りを抱えた人格を心の底に隠して蓋をしている。そして、また怒りの対象や似たような場面を目の前にすると、再びヘラヘラと気を使って従う人格が浮き出てきてしまう。嫌われないように怯えてしまう。こうしてさらに怒りの貯金は増えて行く。そう、私は、大人になった今も相手や出来事に対する自分の反応が、幼かったあの頃と同じなのだ。でも、もう私は、今はあの頃と違う。違うのだということをそろそろ自覚して、怒りの貯金をし続けるのはやめよう。やめたい。今、私は、自立した大人になったのだ。幼かったあの頃は、いじめやお金をかざして私を支配してこようとするような人たちばかりの場所で逃げ場がなかった。でも今は違う。私には、貯金がある、仕事もある、家もある、私は、安全な場所にいる。いつでも逃げることができる。それにも関わらず、私は周りの人たちに対して同じ反応を繰り返してるのだ。そうすることで小さい頃と同じような人間関係を自分の周りの人たちと繰り返してしまっている。そんなの嫌だ。もうやめたい。

 そんなにからかわれるのが、苦手ならいっそのことその場所に行かなきゃいい気もする。でも、おばさんたちの話し声に包まれて母親を感じたい。だから、からかわれたら嫌だなぁと思いながらもまたその雑貨屋に行ってしまう。その50代の女店主も普段二人きりの時は、そんなには私のことをいじったりからかったりしてこない。多分50〜70歳の人たちの輪に私が入ることで雰囲気が盛り下がらないように気を使って、わたしを中心にその場をワイワイさせるためにからかっているいのかもしれない。もしくは呑み屋時代の盛り上げ癖がうずうずしちゃってやっちゃうんだろうか。よくわかんないけど。

 要は店主にきっと悪気は、ない。そして、これはきっと普通の人にとっては大したことではないのかもしれない。でも私はできたらあんまりからかわれたくない。いじられたくない。苦手な「いじられ行為」だけを避けて、ただ私の母と同じくらいの年齢の女性たちから発せられる「熟練のお母さんオーラ」だけをマイナスイオンのように浴びられないものか。それでなんとなく癒されたい。圧倒的に空っぽな「お母さんとの優しい時間」を入れておく自分の中の引き出しを少しずつ満たしていきたい。

 これは、つまりトラウマと癒しが混在する場で癒しだけを得るにはどうしたらいいかという課題なのだ。色々考えた末、そういうことだなと分析完了。分析が完了したら次は、対策を考えて実行してみるのが順序というものだ。考える。そこで、とりあえず思いついた方法。みんながよくやる「スルーする」というやつ。心が「イラッ」としたり「ドキッ」として思わず言い訳したくなったり、反論したくなるような「冗談」を振られたら、いわゆる「スルーする」というやつをやってみよう。

 私、39歳にして、「スルーする」ということをやっと実践してみる。遅いっ!そんなことみんな中学高校時代にとっくにやってることですよね。ひょっとしたら小学校の頃からもうやってるんですよね。はいはい、すいませんね。うんうん、そういうところ、私って未成熟なんでしょうね。わかっていますよ。でもね、これは他の機能不全家庭で育った人のためにも言いますけど、元々始終緊張を強いられる家庭で育って、冗談なんか全然通じない両親にじっとりと上から下まで監視されながら息苦しー雰囲気の中で逃げ道を塞がれて育ったんだから、そういう一般に使える便利で手軽な逃げ技を持っていないのは仕方ないんだよ、きっと・・・ってことで、今回は自分をゆるしてあげた。そういう便利な小技は、今から身につけていけばいい。とりあえず今まで諦めずに生きてこれた自分に合格点をあげようということにした。

 これまでは、「ああ、こんな、ことも出来ないなんて人間失格!こんなわたし、、、最低!もっと変わらなきゃ!」って、まずは全面的に自己否定して別の人間に変わる努力をするように自分のケツを叩いていた。でも、このやり方だと自己嫌悪のメリーゴーランドをぐるぐるまわって、あんまり変化がない。また、結局同じことで発作が起きて苦しむ自分を発見する。やっぱり自己肯定がベースにあって全てをはじめるほうが上手くいくように人間の脳は、できてるのだ。

 そもそも冗談が通じるような家庭で、リラックスして育っていたら、学生時代も同級生に対してもっと軽く、しかも堂々と対応して、からかわれなかっただろうしね。リラックスしてる人は、からかい甲斐ないよね。暖簾に腕押しみたいで。緊張してドキドキしている奴に横やり入れてからかう方が、反応が手に取るようにわかって面白いよね。やり甲斐あるよね。いじめたり人をからかったりする人は、相手が真に受けて凹んだり、動揺するのが目に見えた時に達成感を感じるんでしょ、多分。そういう手応えが、嬉しいんでしょ。

 なんでも真に受け止めてイチイチ真面目に相手をする私の中の私に「大変だったよね、もうやらなくてもいいよ」って言ってあげよう。あの頃の私は未熟だった・・・私変わるわ!とか自分を蔑んだ上で変わろうとするような反省は、しない。あえて。日本人が大好きな自分を蔑め健気にひたすら努力することを美徳とする考えかたは、自己肯定感を下げるから、とりあえずゴミ箱にポイ。

 そして39歳の私は、今時子どもでもやってるであろう「スルーする」という新たなスキルを実践練習してみた。とりあえず入店早々いつものようにふられた「冗談」に対して何も言わないで「いや〜今日も暑い、暑い、もう嫌になりますね」とか「さっき階段で転んで足打った〜ピキッて言いましたよ、ピキッって、イタター」とか全然違うことを言って、相手が落ち着くまで関係ないこと言い続けて、その場が私の存在も忘れて別の話題になるまでのらりくらりとやり続けるということを初めてやってみた。多分、まぁまぁうまくいった気がする。これを何度か繰り返せば、もうからかわれなくなるんじゃないかな。凹みがあるから凸が、できる。自分が凹まなければ、相手は凸ってこないよね。

 どうだろう。でもおばさんはたくさんいるから、他のおばさんにも目を向けよう。わたしは、より心地よい、上質なおばさん浴が、したいだけなんだから。

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