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沖縄 ルーツ探しの旅②横浜鶴見からのルーツ探し

滞在開始から3ヶ月。沖縄を直撃した台風6号が過ぎ去った8月7日、台風後とは思えないほど雨が降り続く不安定な天気の中、鶴見から小中高生や先生たちが沖縄に到着した。彼らの旅は「第27回沖縄ルーツを探る旅。」沖縄から南米へ移民した先祖を持つ人たちが、つながりのある島を訪れる。私も沖縄に到着した彼らの活動に同行することになっていた。


沖縄と鶴見のつながり

タクシーの運転手やふらっと入ったbarで話した人たちに、自分が沖縄出身ではなく、生まれ育ちが横浜であることを話すと「あ〜、横浜ね!」と何か知っているような表情を見せる人が沢山いる。

「私は鶴見に10年くらい住んでいたことがあるよ」「兄弟が鶴見に住んでいるから、たまに横浜には行くんだよね」など、沖縄に来てローカルな話ができることがある。

横浜市鶴見区は、工業地帯であるため沖縄からの出稼ぎの人たちが集まる場所となり、多くの沖縄料理屋さんや、沖縄物流センターができるなど、リトル沖縄のような街になった。

鶴見区にある小学校や中学校の多くが、エイサー(沖縄の伝統舞踊)を運動会で踊り、沖縄の旧盆の日付に合わせて、道ジュネ〜(亡くなったご先祖様の魂が道に迷わず、帰って来れるようにエイサーで迎え入れる行事)を行う。お祭りの最後にはカチャーシー(沖縄の踊り)で、子どもから大人まで、年齢かまわずに盛り上がる。

鶴見は沖縄の文化を感じられる場所であり、昨年2022年にはNHKの連続ドラマ小説「ちむどんどん」の舞台ともなった。

鶴見区 島ぞうりを履いて踊る
鶴見区 エイサー
鶴見区 おきなわ物産センター前

そして鶴見は、沖縄から南米に移民した先祖を持つ人たち(日系)も沢山住んでいる。

1990年、入管法の改定により世界各国に住んでいる日系3世までを対象に「永住者」としてのビザの取得が可能になった。このことをきっかけに、多くの日系ルーツを持つ人たちとその家族が出稼ぎとして来日し、工業地帯の鶴見区は多くの「外国人労働者」とその家族が暮らす街となる。

鶴見は、沖縄や南米とのつながりが濃い街であり、多様な文化がごちゃ混ぜになった「ちゃんぷるー(沖縄の方言:ごちゃまぜ)」な街だ。

第27回 沖縄ルーツを探る旅

今回、鶴見から沖縄に来た人々は、神奈川県横浜市鶴見区にあるIAPE(イアぺ:外国人児童生徒保護者交流会)という団体が主催する「第27回沖縄ルーツを探る旅」の参加者である。この旅は1994年からスタートし、26回まで毎年連続で実施されていた。コロナの影響でしばらく実施できず、27回目の今年は3年ぶりとなった。

IAPEの会長である、沼尾実さんは「色んなところに繋がっている自分自身は何者なのか、アイデンティティを見つけるきっかけづくり」としてこの旅を位置付けている。

IAPE会長 沼尾実さん(右)

90年代、南米の国々から来た日系の人たちは「出稼ぎ」の大人たちだけではない。その子どもたちも一緒に日本を訪れ、日本語も日本文化も分からないまま、学校生活がスタートした。

移民としてのルーツを持つ学生が特に多かったのは、鶴見区にある潮田中学校。外国人差別の風潮が厳しい時代に生き、南米と日本どこにいても「外国人」として捉えられ、自身のアイデンティティに向き合えない学生たち。潮田中学校の教員として、沼尾実先生は彼らと出会うこととなる。来たくて来た訳じゃない、生徒たちの葛藤や、外国人差別に立ち向かうための社会への反攻に、沼尾先生は真正面から向き合ってきた。

このような状況の中、1994年に沖縄ルーツを探る旅がスタート。ペルー・ボリビア・ブラジル・アルゼンチンから鶴見に移住した若者たちが、始めて沖縄の親戚を訪れ、美しい海や横浜とは違った空、自然の中で楽しみ、BBQで盛り上がり、沖縄での時間を満喫しながら、各々が沖縄との、そして自分との繋がりを認識する機会となった。

以前までは沖縄から東京まで3日かけて船で帰るのがお決まりだった。その理由は南米に渡った人たちは船で3か月もの時間をかけて移民した歴史を追体験すること。そして参加者の学生と引率の先生たちが語りあい、一つの大きな家族として絆を深める機会となっていった。(現在は沖縄から東京に行く船がなくなったため飛行機で実施している。)

今回の参加者は18人。小学2年生から高校一年生までの児童生徒と、その家族や有志で集まる地域の学校教員が参加している。

家族全員で初めて飛行機に乗り、初めての親戚訪問をする人や、親戚に会えるか分からないが訪れてみる宛てがある人、今は誰も住んでいないが親戚が住んでいた場所を訪れる、など、ルーツを探る手掛かりはバラバラである。

旅の途中の景色

プログラム参加に至るまで

私がこのプログラムについて知ったのは高校生のときだった。

高校2年生で参加したスペイン語スピーチコンテストでは、沖縄からペルーに渡った自分の親戚について発表した。当時まであまり気にしていなかった自分と沖縄とのつながりについて「知りたい」と思うようになり、沖縄への気持ちが強くなっていったのを覚えている。

沖縄に住んでいるまだ会ったことのない親戚に会ってみたい、鶴見から同じ目的で来ている人たちと語って楽しい時間を過ごしたいと思い、沖縄滞在中にプログラムに参加することを決めていた。

実際、プログラムが実施された8月は沖縄にきてから3ヶ月が経ったとき。ルーツ探し①で綴ったように、自分の家族が沖縄戦の被害を受けていたことを初めて知り、「会えないルーツ探しの旅」を覚悟し始めたときだった。

「自分の持っている情報じゃ誰かに会える気がしない、会えなくてもしょうがない」少し諦め気味になっている真っ只中の沖縄ルーツ探しの旅は、自分が沖縄にきた本来の目的を思い出させる経験となる。

2度も沖縄を直撃した台風6号が過ぎ去った日を境に、1週間の旅が始まった。


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