見出し画像

世の中「言ったもん勝ち」~僕があんまり忖度しなくなったワケ~

最近つくづく感じることがある。

世の中、言ったもん勝ちだということ。

何かとうるさいクレーマーが新しい商品を送り直してもらったり値段を安くしてもらったり、会社で鬱になった人が仕事を制限され本当に辛いのかどうかも分からないのにちょっとしんどい仕事を与えると「これ無理です」とか言ってちゃんと給料をもらえたりする。

鬱に関しては本当に辛い方もいるだろうし自分もなりかかったことがあるからなんとも言えないんだけど、そういう光景を見るたびに不平等だなーと思う。

とはいえ、自分が思っていることを言わないと、人には想像以上に伝わってない、というのも事実だ。

小さなことで言えば、きょうのランチはどこどこへ行きたい、ちょっと大きなことで言えば、会社で希望部署に異動したい、次はこんな仕事がしたい、人間関係で言えば、本当はされて嫌なことがあるのになかなか言い出せなくて向こうは気づいていないから言いたい、等々。

相手に察してほしい、なんて言うのは相当距離が近い人間じゃないと無理だ。昨日の夕食が揚げ物だったから今日はうどんが食べたい、なんて誰も察してくれやしない。でもそう思っていると伝えるだけで、聞いた相手は何かしらのリアクションをしなければならず、それで自分の思う方向に事が運ぶこともあれば、思い通りにならなくても1つ前進へのステップを踏むことにはなる。

結局「忖度」をしてしまうと自分が損するよって話。

得をすることを切望しているわけではなく、損しないために、自分を守るために、言ったもん勝ちになった方がよいときがある。

かつて僕は、気遣いというか臆病で、たとえ気に入らないことがあっても我慢して言わないことで相手に迷惑をかけないということを最大の美徳としていた。「人の嫌がることはしない」母親から教わった人生訓だった。

目立ちたがりやのくせに意外と受け身で、溜め込んで、強いものに巻かれるタイプであった。

それが今では、思ったらなんでも正直に言っちゃうタイプになった。

きっかけが何だったかと言われると、パワハラを受けた経験が大きいのだと思う。

最初の職場の初めての上司は、ゴリゴリの体育会系で、飲み会に行くと北海道で番屋の漁師に土下座しまくった話を毎度有名曲のサビを口ずさむように流暢に話す人だった。新人の僕はずっと追い詰められていた。上司に何か言われる度に怒られるんじゃないかとビクビクしていた。編集室で悩まれ続けて深夜の1時に終わったかと思ったら、「これじゃ放送できない、明日の朝イチで追撮(追加の撮影)してこい。舐めんじゃねえよ」と言われトボトボ帰り、2時間くらい寝て眠気眼で1時間半運転して、朝の漁港でマグロが釣り上げられる姿を撮りに行ったこともあった。このまま運転ミスって死んでしまえば楽なのにと何度も思った。

自分の考え方が変わったのは、初めて長尺の番組の提案が通ったときのこと。取材を進めて構成を立てているうちに「お前は取材相手のことを全然見つめられていない」と何度も言われ、上司に言われた通りに相手に何度も取材をして、何度も同じ事を聞いてしまい、終いには「私の人生、仲間をあなたなんかにかき乱されたくない!」と相手を怒らせ、取材拒否にあった。番組も飛んだ。そのときに上司に言われた一言。

「お前には重荷だったか」

散々だ、と思った。

お前に言われた通りにやったのに、と思った。

取材相手もなかなか強烈な人だったため、藁にもすがる気持ちで上司を頼りたくて「一緒に会いに行ってもらえませんか?」とお願いしたが、上司は「俺が頭下げに行ってもいいんだけど、それじゃ何の解決にもならない、ディレクターのお前自身がなんとかしなくちゃいけない」と如何にもなことを言いつつ会いに行く姿勢は全く見せない。

だから、僕は上司を信じることをやめた。

いざというときに頼りになるのが上司であるべきなのに、全く頼りにならないし、自分が向き合っているのは上司ではなく取材相手であったのに上司の意見に振り回された自分を後悔した。取材相手と接するのは上司ではなくまぎれもなく自分自身だけ、相手の温度感を見て取材の進め方を決めるのは上司ではなく僕なのだ。

相手を守るためにも、自分が上司と戦わなくちゃいけないんだと考え方を変えた。

僕はそこから信念を持って仕事を進められるようになった。

ただ、話はここでは終わらない。

東京に職場を移して、また別の試練が待っていた。

東京に来て初めて入ったドラマ班で僕は外部の人(会社の社員ではなく外から一定期間班員として雇う人)とペアを組むことになった。その人もその仕事についてからまだ間もない人で、能力のなさを徹夜することで解決するタイプの人だった。

普段はランチやスタバをおごってくれたり、笑わせようとしてくれたりと優しい人なのだが、ひとたびスイッチが入るとずっと文句を言う人だった。

それは僕に向けられることも多々あり、仕事上毎日朝7:00~22:00くらいまで一緒にいなければならないことも多く、僕はどんどん磨耗されていった。

その人との関係が崩れれば、今後仕事しづらくなってしまう。じゃあ今言われていることに反論するよりも、ぐっと堪えて笑ってやり過ごした方が得だ。

そんな日々が続いていた。

色んなことを毎日言われた。

そのキャラクターで許されているままじゃ君に成長はないよ。変わらないよ。
話すときにヘラヘラするなよ。笑って誤魔化そうとするな。
すみません、って言うな。こっちが悪いことしたみたいな気持ちになる。イライラすんだよ。

色々と言われ過ぎて、もう何か言わないとダメだと思ったが直接言いづらいのでLINEで長文を送った翌々日には、

もうあんな風にLINEで長文送られても困るし、やらないでほしい。言いたいことあるなら直接言ってこい。

僕は、どんどん会社に行きたくなくなった。

土日もその人が働くから働かないと白い目で見られる。ちょっと遅く出社しようと思ったのに、すぐに「どこにいるの?」「なにやってんの?」と電話がかかってくる。その人とペアでやらなくてはならない仕事以外の仕事を進めたいのに、自分との仕事のことばかり急かしてきて、僕の時間はどんどん奪われていった。

仕事のミスに関してだけならばまだ良いのだが、性格や口癖、仕草まで否定されると自分の人間性が愚かなものなのかと思えた。一方でその人だって、まだ手をつけていない仕事を人に急かされたとき「いま送るところでした」と嘘をつくような人だったにもかかわらず、真面目に嘘をつかずに頑張っている僕がけなされるのは道理が通らないなと思った。しかし散々言われすぎて他に相談できる人も会社にはいなくて、その人が言っていることが正しいのだと洗脳状態に陥ってしまう自分がいた。ただただ自分がいけないんだ、僕が悪いんだ、自己嫌悪と体の疲れが毎日蓄積されていった。

限界になった。

一番上の上司に、もう無理です、と相談することにした。その上司は困ったときに相談できるくらいに信頼が置ける人だった。

その上司に言われた最初の一言は、

「え?!まじか。そこ?仲良くやっていると思っていた」

ほら、言わないと分からないのだ。いつも近くで見ているわけでもないから仕方ないが、僕自身はみんな僕が辛そうなのは分かっているが知らんぷりしているだけだと思っていた。

結局人生で初めてメンタルクリニックに訪れて、抗うつ剤を処方され、上司の手を借りてその班を離脱することになった。

最大の学びは、仕事の話を妻にきちんとできたこと。

これまでは仕事の話は自分だけで解決すべきだという古くさい考えがあって、「なんとかやっているよ」と適当に話す程度だった。理解してもらえるとは思っていなかった。

ただ精神的にピンチに陥って、少しずつ自分の今の仕事、今の状態を話すことで、気持ちが少しスッキリする感覚を得た。それだけではなく「どうしたらいいのかな…。」と正直に道に迷っていることを相談する相手ができた。一回上司に相談した方が良い、と言ってくれたのも妻だった。そのおかげで自分の人生を好転させることができたのは言うまでもない。

人生の伴侶。
それはプライベートだけではなく、自分の全てをさらけ出す存在なのだ。

結婚式で神父に言われる「病めるときも苦しいときも~」を初めて実感できた瞬間だった。

ただ、妻でさえも、僕が何も言わなければ「あんまり仕事の話はしたくないのかな?と思って、敢えて聞くことはしなかった」と言っていた。

妻でさえ、全てを察することはできないのだ。

奇しくもパワハラを受けた経験から、「言ったもん勝ち」になった自分の話をしてきた。

なにもクレーマーになれ、と言っているわけではない。自分を守るために言っておいた方がいいこともある、ということだ。

ただ、何でもかんでも言っていると煙たがられるのは世の中の常だ。要はバランスだ。人と接する上で最低限の礼儀や相手への敬意はなくてはならないことは言うまでもないだろう。

僕はまた挫けるかもしれない。
それでも、誰か助けてくれる人は必ずどこかにいる。

その人に言ってみることから何かが始まる。殻に閉じ籠ってちゃダメだ。サザエじゃないんだから。

よろしければ怠惰な僕にサポートのお恵みを…。あ、でもお金を簡単に与えたらもっと怠惰になっちゃうから、ダメか(笑)