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学校に行かなくていいという嘘

先日、産経新聞の記事でスクールカウンセラーの配置数が増えたことに合わせ、不登校の数は減っていないということについて語られた。

これについて、Youtubeで物申しているのだが本稿はあと語り的な側面を持つ。

この動画で語っている内容はある意味正論である意味論点ずらしであるとも思っている。たしかに記事で指摘されているようにスクールカウンセラー(以下、SC)の質というものはおそらくバラつきがあると思うしそういったバラつきを生じやすい体制であることは否定できないと思う。

そのような背景を理解した上で、SC側(というかこの記事の矛先は臨床心理士)の質を上げていくことは勿論その通り。その一方で、学校側はどうなのだろうか?というのが動画で主張している『SCが学校に自分たちをプレゼンする』ことの重要性の愚かさに通じている。これにはSCが来校する貴重な時間、つまり税金が注ぎ込まれている瞬間をプレゼンに使うのではなく少しでも有効に活用したい意図がある。私自身もまだまだ未熟で経験も浅いながらうまく立ち回ってSCとして働いていたと過去を振り返って思うが、若い心理シのSCはみな少なからずこの難しさに直面しているのではないだろうか?そもそも、プレゼンするなんてことを言っているが心理職の性質上自信過剰過ぎても「なんだか怪しいし疑わしい」というイメージを持たれがちだ。何方かと言えば謙虚でさりげない振る舞いが好ましい。

つまり、草の根レベルで1ケース、1ケース実践で、実績で信頼を得ていくことでしかその価値を評価してもらうことができないということだ。しかし、臨床心理士として誠実にクライエントと向き合っていればいるほど登校を焦らせることはしないし、対応は緩やかに進む。これが数字にばかり縛られるオトナからしたら、やはり使えないというレッテルを貼られても仕方ない点だ。

ただ、動画でも語っているように、「不登校の質」にも着目してほしいとは思っている。「もうダメだ。学校は嫌だ」という暗く不安な気持ちで不登校生活を送るよりも、「なんか今快適だ。でもいまの生活はちょっと物足りないしいつか学校にも行けたら良いな」と不安定ながら儚い期待を抱く不登校生活を送ってほしいと感じる。この、ちょっと学校に行ってみたいなと思ってもらうために臨床心理士は工夫して保護者や先生方とのやりとりの中でリソース(支援に活用できそうなヒント)を見つけ出す。無理をさせず、本人のペースでゆっくりと進めていくことが大切だと思う。

そして、自分を休め守るために学校に行かなくていいというのが嘘だということにも言及していく。結局のところ、学校という場においても自分を休めることができればそれに越したことはないよねという話。私自身当時を振り返っても学校は好きではなかった。それでも楽しいと思ったことは少なからずある。「つまらないけど、この時は行って良かった」この二律背反な経験が、大人になるにつれて大切になっていく感情で、大学生になりバイトを経験したり社会人になって8時間の労働をしていく中でもきっとこの過去の経験が活きることになると思う。

結論として、学校という場にもう少し安心感と余裕が必要なのだろうなと感じている。SC活用の周知から、子どもたちが安全を感じる空間をつくることなど、学校という空間のあり方から、見直していくきっかけがあればいいなと常に考えている。








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