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空想の中で生きている、現実を生きているとは言い難い

古代ギリシャのストア派哲学者のセネカは『多くの人は現実世界よりも空想の中で苦しむ』と述べた。

ストア派哲学とは『ストイック』という言葉の語源にもなった考え方で、『禁欲主義』と言われる哲学であり、まぁマゾヒスティックな人が好みそうな哲学である。

哲学においては大体がそうなのだが、ストア派哲学においても『悩み苦しみは物事そのものよりも、その物事の捉え方によって生じる』という考え方を採用している。

ストア派哲学の有名な哲学者はセネカの他にアウレリウスやエピクテトスなどがいる。

アウレリウスは『自省録』という、毎日の日記をまとめた本が有名で、非常に頭の良い人間だと言われていた。

ただの日々の日記が本になり、こんなにも長い間読み継がれているのだから、どれだけ優秀であったかは想像に難くないだろう。

エピクテトスは元々奴隷として生まれた。

なので、彼の哲学は『奴隷の哲学』とも呼ばれている。

そんな奴隷としての辛い時期を支えたのあが哲学だった。ストア派の考え方にもあるように、問題はその物事自体にあるのではないということをエピクテトスは体現したように思う。

どうしようもなく辛い状況に意味を見出し生き延びた人の中では実存主義のビクトール・フランクルが有名だが、まぁそれと似たようなものだろう。

そんな『禁欲主義』、ストア派を代表する哲学者の一人であるセネカが述べた『多くの人は現実世界よりも空想の中で苦しむ』とはどういうことだろうか。

人はよく、今目の前にない事を想像して心配になる。

『仕事をクビになったらどうしよう』

『受験に失敗したらどうしよう』

『彼が浮気していたらどうしよう』

『子供が誘拐されたらどうしよう』

そんな風に、今現状は起きていない事を想像して悩み苦しむ。

もしくは、

『なんであんなこと言ってしまったんだろう』とか、

『あの時もっとこうしておけば良かったかな』とか、

そんな風に過去のことを振り返り、悩み苦しむ。

禅の世界では、『今ここ』に意識を向けることを大事にする。

その考え方の背景には、目の前のことに集中していれば悩んだり不安になることもないという考えがある。

100%そうかは分からないが、極めて100%に近いと思う。

確かに僕らが目の前にあることで悩んでいたり不安になっていることはほぼほぼない。

そのほとんどが空想の中の物語だ。

人の脳は物語を作り出す能力に長けているそうだ。

それは一種の自己防衛かもしれないし、ヒューリスティックな機能かもしれない。

そして、そうやって作り出された物語は大体の場合、歪んでいる。

事実通りの物語を描くことはほぼない。

その歪みは良い方に歪むこともあるが、よっぽどの楽天主義者じゃない限り、それもあり得ない。

だから、皆ネガティブな空想の物語を頭の中に思い描き、悩み苦しむのである。

ではどうするのが良いのか。

一見すると、ハッピーエンドな物語を作る練習をするのが良さげに見えるかもしれない。

しかし、僕はそれをおすすめしない。

なぜなら、無駄に楽天的な物語は後々自分を虚しく感じさせるからだ。

だから、物語を作らないように鍛錬してみるのが良いと思う。

目の前のことに集中するための瞑想なんかもその原理だし、『心配しても仕方ない』と考えることを放棄することも一つの才能だと思う。

それが100%上手くいく保証はない。

しかし、少なくとも、空想の中で苦しむことは減るだろうと思う。

空想の中で生きている、現実を生きているとは言い難い。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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