なぜ被害者が責められるのか
2003年、アメリカでエリザベス・スマートという14歳の女の子が誘拐された。
彼女は誘拐から9ヶ月間、誘拐犯達と過ごした。
そして、誘拐から9ヶ月後、無事救出され、この誘拐に関するニュースが公になった時、多くの人はこう問うた。
「なぜ逃げなかったの?」
「なぜ助けを求めなかったの?」
と。この類の疑問は決して珍しい事ではない。
特に、悲惨なニュースや出来事を聞いた時、人は被害者に疑問を向ける。
この事件において悪いのは100%誘拐犯である。
エリザベスには何の非もない。
しかし、ニュースだけを見た人はエリザベスの行動を責めたのだ。
なぜ、このような事が起こるのだろうか?
これは「foundamental attribution error(根本的な帰属の誤り)」が原因である。
何かというと、人は他人の行動の原因はその人の内在的な原因に起因し、その一方で自分の行動の原因は外的な要因に起因する傾向の事である。
例えば、友達がテストで酷い点数を取ると「勉強してないやろ」と友達の勉強不足を責める。
しかし、その一方で、自分が悲惨な点数を取ってしまった時は、「教室が暑すぎて集中出来なかった」とか「問題が悪すぎた」と自分以外の所に原因を求めようとする。
他にも例えば、運転中に急に他の車に横入りをされると「なんやねん、こいつ!」とイラッとするのに、自分が急いでいる時には「ごめん、急いでるから許して」と心の中で言いながら横入りする人がほとんどだろう。
どういう事かというと、人は他人の行動を判断するときにその人の状況や事情を考える事が出来ない。
その代わりに、その人の中身に全ての行動の原因があると考えてしまう。
エリザベスの例も全く同じである。
彼女は好き好んで誘拐犯と共に9ヶ月間を過ごしたわけではないだろうし、
彼女のニュースを見て「なんで逃げなかったの?」という人がもし彼女の立場に立ったら、逃げ出せていた人は1%もいなかっただろう。
これは誘拐に限った事ではない。
レイプやいじめ、虐待にも同じ事が言える。
「虐められる方にも原因がある。」
「夜に女性が1人で出歩くのが良くない」
「性的暴行を誘発するような服装や言動をしていたんだろう」
これらは全て「根本的な帰属の誤り」である。
いじめや虐待、犯罪において原因の予測は人それぞれだろう。
それは仕方がない。考え方の違いである。
しかし、被害者を責めるのだけは間違っている。
かと言ってテレビの前、ニュースの前にいる人が加害者を責めるべきかと言われたら僕はそれも違うと思う。
被害者やその親族が非難するのは痛いほど分かる。
しかしニュースを見ている人のほとんどは関係のない人である。
他人の問題に一切関係のない人が簡単に口出し出来る様になってしまったメディアの在り方は考え直すべきだと僕は思っている。
なぜ被害者が責められるのか。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?