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シャーデンフロイデという病い

・問題なのは相手を貶めたり、その貶めた言葉を相手が肯定した時に、表情筋が緩むというのは、ある意味とても怖いことだ。人を貶めていることに快感を感じることは、心理学のなかでは「シャーデンフロイデ」と呼ばれている。

以下は、実際に筆者がシャーデンフロイデを感じた場面とその所見である。

第19回中央委を見直して、私に質問をした人間を細かく観察してみた。
第19回中央委員会はzoomというオンラインコミュニケーションツールを用いて相手の顔や発言する様子をモニター越しでは確認することができるようになっている。意思決定を行う場合においても、相手の顔が見ている方がその意思決定に自身の意思を反映させることが容易であることが分かっており、相手の顔が見えるということはある意味有用性の高いアセスメントコンテンツであると言える。

今回、丁寧なアセスメントをすることで、ある程度本人の人格形成だったり、人(私)に対して暗に行われた人格攻撃、あからさまな貶めの文言、表情や目の動き、気怠そうな態度といった態度行動を観察し、その人がどういった人間なのかを1人1人丁寧にまとめていった。

面白いことに、それぞれ異なる行動をしていても共通する点があった。その共通点は貶める時に必ず首を傾げて「あなたの意見には同意をしない」というジェスチャーを見せていたのだ。

これは非常に面白い。元来、人は誰かを攻撃する時に、眉をひそめたり、相手が不快になる行動を取る。その行動が、zoomというオンラインコミュニケーションの場になると、首を傾げるという動作に変わるのだ。

また、相手を不快にさせることができたと思った瞬間に、それぞれ少しだが表情筋が緩んでいた。このことは非常に面白いポイントであったと言える。表情が緩むことは、なにかしらの嬉しことやポジティブなことがあったときに発生することが一般的であろう。しかし、この場面ではそれが異なる。

人格を疑うかもしれないが、人を貶めた瞬間に快楽を感じているのだ。他人を非難することで、心理的な満足感を得ている。

しかし、問題なのは相手を貶めたりその貶めた言葉を相手が肯定した時に、表情筋が緩むというのは、ある意味とても怖いことだ。
人を貶めていることに快感を感じることは、心理学のなかでは「シャーデンフロイデ」と呼ばれている。

シャーデンフロイデは、ドイツ語を起源にしており、Schadenfreudeと綴られる。Freudeは喜び、Schadenは損害、毒、という意味になる。
近年、他人を非難する人間には、幼少期の際にオキシトシンの分泌があまり行われてこなかったのではないかという論説がある。

オキシトシンは、愛情ホルモン、幸せホルモンなどと俗に呼ばれて、基本的には人間に良い影響を与える物質とされている。しかし、この分泌が幼少期の際にあまり行われなかった人は、多くの場合、親や保護者からの愛情をきちんと与えてもらてなかったのではないかという言説があったりする。つまり、幼少期の際の愛情不足が生じ、結果としてオキシトシンを疑似的に得るために、他人を非難することで幸せを感じようとしていることが考えられている。

言い換えれば、愛情不足から他人を非難することで、その気持ちに満足感を与えようとしているのだ。社会心理学者であり哲学者であるエーリッヒ・フロムは著書「愛するということ(The Art of Loving)」の中で愛について次のように語っている。

「愛は能動的な活動であり、受動的な活動ではない。その中に『落ちる』ものではなく。『みずから踏み込む』ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。」

つまり、愛、愛情は「与える」ものである。これが人格形成における幼少期や青年期の際に十分に行われていない人間は、愛を与えることから、愛を奪う方向へと愛の方向性を勘違いしてしまうのだ。だからこそ、他人を非難することはその愛を疑似的に感じることができ、表情筋のゆるみなどから分かるように、疑似的な幸福を得るためにオキシトシンを自ら分泌させているのだ。

ここで、改めて当時の中央委の状況を確認する。
幼少期に愛を与えられてこなかった人間が多すぎるのではないか?と考える。自分が他人を非難することに酔いしれている人間が多く散見される。
愛情を与えられてこなかったから、他人を批難することで、自ら愛を求めにいっているのだ。言うなれば、オキシトシンの分泌を過度に求めるあまり他人を傷つけることに対する罪悪感があまりにも欠如していると言える。

自分自身の快楽に溺れるために、相手に対する配慮や言葉遣いがとても汚いものとなっているのである。元来、自分に心理的な余裕があるならば他人を非難することにやっきになることはないのである。

つまりは、心理的な余裕も相手を気遣う余裕も相手を尊重するという余裕も失っているのである。これでは自らがこのことに気づくことなく相手を無意識に傷つけることも簡単に正当化されてしまう。愛情不足が招いた人格問題であるということが言えるが、言うなれば実に悲しい人々なのである。

私に質問を多く投げかけ、私に対する意見に異議を申したて、それを私が受け入れるなどした人々は、皆等しく表情筋が緩み、そして安心したかのように自分が座っていた椅子に深く座り直すなどしていた。

この行動はオキシトシンの発生による、安堵感や満足感が大いにあふれていることが非常に分かりやすく明示されており、その瞬間に幸福感を味わっていることになる。
他人の非難は気持ちがいいことだろうが、その裏には自分自身の過去に大きなトラウマやジレンマ課題、愛情を思いっきり与えてもらえなかったという問題を抱えているということを忘れてはならない。

私に対して質問をした人々は、一度家族と自分の関係性を時間をかけて見直す必要があるのかもしれない。

見直すことで、他人を非難してオキシトシンを得る行為をやめる大きな一歩につながるはずだ。


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