見出し画像

霊障とパニック障害の嫁を持つ夫

はじめまして。
こういう記事?を書いたことがないので、読み苦しいところもあるかと思いますが、最後までお目通し頂けると幸いです。
霊障?パニック障害とは無縁だった(むしろマインド次第でしょと思ってました…。)私が、最愛の妻と出会い、家族ができ、妻が霊障?パニック障害に…。様々な気づきを得て、今に至るまでの軌跡をnoteに記録しようと思い始めました。
まだまだ家族みんなで試行錯誤している段階ですが、
同じ境遇の方、悩んでいる方、他人に理解してもらえない方、こうなったら改善されたよ、みたいな参考になれば幸いです。

長文になるため、第1編として二人目が1歳になるまでを書きます。

自己紹介

まずは自己紹介。
私は30代の会社員。妻は2つ年上で、子供は2人。あと犬1匹。
学生時代に交際し、20代前半で結婚。子供たちは元気すぎるくらいです。

一人目の出産

お互い子供が大好きで妊娠が発覚したときはとても喜びました。お互いの親とかいろいろあったけど、子供が生まれてからは、親族全員がメロメロ。初孫ということもあり、いっぱい可愛がってもらいました。当時、出張が多い仕事でもあったので、家族の時間はあまり取れなかったけど、可能な限りいろいろなところに出かけました。もともと私と妻はアクティブな方だったので、いろんなとこに訪れました。
このころ私は父親になりきれていない部分があり、
東京の商社で働く私は始発終電、土日海外出張。平日週末問わず、先輩やお客様との飲みに狩り出される毎日でした。妻はそんな私も見かねて大阪の実家に帰省。ろくな仕送りもせず、隔週末夜行バスで帰阪するだけの生活を送っていました。この行動が妻を心配させていた事の基盤になります。が、大阪に帰ろうと決意、Uターン転職をします。

転機

1人目が歩き出したくらいに、待望の2人目を妊娠。そのころから、嫁の体調が少しづつ変化しました。最初はつわりがひどいのかな…?って思っていたくらいだったけど、今となってはこのころから既にはじまっていたと思います。(嫁が言うにその前からのようですが…)
特にその異変に気づいたきっかけが、不動産を探していたとき。
1人目をばあばの家に預け、4人家族になるため二人で新居(賃貸)探しをしていました。真夏の暑い日ではありましたが、物件を見学した帰路に嫁の体調が急変。急な動悸とめまいがあったみたいで、一人では歩けない状態。目に飛びつく近くの鍼灸院?みたいなところに飛び込み、すこし休憩させていただきました。
自分はただ嫁の体調が心配で、すこし疲れただけなのかな?程度。
歩いて帰ることもできなかったので、向こうの家族に車で迎えにきてもらいました。
もともと妻はつわりもひどかったので、妊娠中はよく横になっていました。気合と根性でなんでも乗り切れると思っている私も、さすがに膨らんだお腹を見ると理解できるもので、未熟ながらも妻をサポートしてました。

二人目の出産

そんなこんなで、二人目を出産すれば徐々に回復していくかな?と勝手に考えていました。二人目も無事元気に生まれてきてくれ、家族4人の生活はスタート。たしかに妊娠中より体調は回復。これから家族4人でいろいろなところへ出かけたりしたいなと考えていました。
ところが、なかなか体調は元には戻らず妻の実家にて過ごす日々が続きます(新居は妻の実家の隣町なので、歩いて10分弱です)。
二人目も生後間も無く、母乳をあげないといけないし、
平日日中は私が仕事なので、長男の公園遊び等、いろいろ妻の実家に頼っていました。

2016年〜(2人目が1歳まで)

二人目が生後半年を迎えても、実家をメインとした生活に変化はありませんでした。むしろ妻の体調はみるみる悪化。毎朝家族4人で実家に行き、仕事帰りに妻の実家によって、家族4人で家に帰るという生活でした。妻が生まれ育った地元、しかも10分弱の距離を歩くことができなかったのです。
私にはまったく理解できませんでした。気合と根性で乗り切ってきている分、「徐々にでいいから身体動かして体力取り戻さな、何もはじまらんで。」と言い、よく口論になっていました。
特にこのころから、喧嘩が増え妻の私へのあたりもきつく、よく罵声を浴びていました。それこそ足音一つ、扉を開ける音一つ、一挙手一投足揚げ足をとり、人格を否定される状況です。モラハラ状態です(笑)。
妻の家族は私に気を使ってくれるくらいなので、よっぽどだったと思います。もともとストレス耐性はかなり強い方だったので、腹立ちながらもなんとか過ごしていました。むしろ怒られないようにどうしようとかなり萎縮していたと思います。
週末は家にいることがどうしても嫌で、一人目を公園につれていく事を口実に二人目を抱っこ紐して、遠い公園によく遊びにいっていました。
妻から解放される事に喜びと、子供達と一緒に遊ぶ事が楽しかったのですが、公園でみる家族の姿や、母親だけで公園に連れてきている姿を見ると、
"どうして俺だけこんな思いをしないといけないんだ。"
まだ20歳そこそこだったこともあり、
"もっと自分の時間が欲しい。母親だけで公園にきている人の夫はゴルフとか行って自分の好きな事ばかりしているだろうな…。"
と、世間にイライラしていました。
ただ、これも自分が決めた人生の選択だから後悔したく無いということと、産後鬱のような、母親の大変さをよくネット記事で触れることができたため、自分なりにも妻を理解しようと努めていました。

この生活が2016〜2019年いっぱいまで続きます…
妻自身は今となれば2016年の記憶は一切ないとのこと…
確かにお互い写真もろくにとっておらず、妻が写っている写真は数枚のみ。
向こうの親族とも年に2〜3回旅行に行ってましたが、ほとんど正面で写っているものは無し。日中は実家なので、じいじとばあばの写真は大量です(笑)。旅行の記憶もほぼ無いそうで、体調的にも旅館で寛ぐ事がメインの旅行でした。

体調が悪いことに対して、本人も原因が分からず、このしんどさを周りに理解してもらえないことに一番苦しんでいました。特に一番身近な私が理解できないことに一番腹が立っていたと思います。
一番苦しいのは、辛い妻自身だとわかっていながらも、
24時間365日それを受け入れる度量は私にはなく、支えたいと思いながらも、なんで俺がこんな思いをしないといけないんだという感情が交錯してました。

まとめ

一旦は、ここまで。2017年以降は後日記載します!

正直、今となっては妻の考えや、多様性は理解しているつもりです。
ただ自分自身の考え方や価値観として、自分はそうなる人種では無いと強く感じているため、受け入れることはできても、本当に妻の気持ちを分かってあげることができません。
ましては当時はそのように思う事ができず、早くよくなれ!としか思っていませんでした。
このころから、鬱・パニック障害なのではと妻自身が向き合っていくことになります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?