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チェーホフ「ねむい」読んでみた

こんにちは!カシオペイアです。

なんだか最近寒くなってきましたねー
布団からなかなか起きられない日々が続くばかりで。睡眠不足も相まって眠いんですよ💤

というわけで、今回はチェーホフの「ねむい」を紹介していきたいと思います♪(無理矢理感強め)


あらすじ

超短編で、3分あれば読めるので割愛します。青空文庫で無料で読めますのでぜひどうぞ↓

感想がネタバレを含むので、読み飛ばさないほうが良いかも?です。

感想(ネタバレ含む)

まあそれにしても、、、

ラストがショック😨

もうなんというか言葉も出ませんよねぇ。
だってまだ小さな女の子ですよ、ワーリカは。

精神的に極限まで追い詰められると、人間はなんでもできてしまう、、、ということか。

一時的には赤ちゃんを殺して「自由」を得たワーリカですが、多分先はないでしょうね。殺害を犯した身なので、警察のお世話になるに違いない。そう考えるとなんともです。

赤ちゃんを殺して一応生き返ったワーリカですが、先に待っているのは精神的・社会的な死。

内容はともかくとして、作者の文体はほんとにすごい。みどり色の燈明の描写や、夢と現実の境界が曖昧になっていく様子とか。
ねむくて、こっくんこっくん舟をこいでいるワーリカの様子が目に浮かぶ、、、というか完全にワーリカ視点になってますよね。すごい。

あと、「ワーリカ」という名前がまたネックになってきます。

ロシア語の人名には幾つかパターンのようなものがあって、
例えば「アンナ」という名前の人がいた場合、愛称で「アーニャ」「アーネチカ」というふうに呼びます。(キャサリンの事をキャシーと呼ぶ、みたいな)

「ワーリカ」は「ワルワーラ」(英語読みだとバーバラ)の縮約形ですが、これはどちらかというと馬鹿にした呼び方で、
日本語のイメージだと、織田信長が豊臣秀吉のことを「サル!」って呼ぶ、あの感覚に近いかなー
(あれは信長なりの愛情表現だったかもしれないがw)

要するに何が言いたかったかというとワーリカには最初から人権がないということです。

作者のA.チェーホフについて

まず作者の紹介からということで、、

この人が作者のアントン・チェーホフ。ロシアを代表する劇作家ですねー

チェーホフ。wikiより引用。
なんか誰かに似てる気がする、、誰だろ。

ざっくりいうと。

1860年にロシア帝国のタガンログで産まれます。
生活は楽ではなく、16歳の時に一家でモスクワに夜逃げ(彼だけは地元に残っていたようですが)

その後モスクワ大学の医学部に入学し、医学の勉強をしながら短編小説を書いていました。生活費を稼ぐために、主にユーモア小説を執筆していたようです。

ただ、あるとき老作家ドミートリー・グリゴローヴィチ氏から「お前は才能があるんだから、ユーモア小説をかいて時間をつぶすな!まじめに純文学を書け!」という激励の言葉を受け取ります。
(「純文学」って日本文学独自の用語なんですけどまあいいや)

それ以降は主に戯曲の作品に集中することになります。
1899年、「三人姉妹」のマーシャを演じた女優、オリガ・クニッペルと結婚。

(あんまりざっくりじゃなかったかもw)

チェーホフといえば、短編小説と戯曲の名作を数多く残した人ですね。代表作は「桜の園」とか「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」とか。

「私はカモメ」
戯曲「かもめ」の名言であると同時に、人類初の女性飛行士のワレンチナ・テレシコワさんの言葉としても有名です


「チェーホフの銃」という文学用語もあったりします。ストーリーに不要な要素を盛り込んではいけないという意味ですね。(簡単に説明すると、フラグを立てたら絶対回収しろよっ!っていうこと)

作品の説明

本作は、チェーホフがまだ一応ユーモア作家だったころ(もうそろそろ字芸術的な作品に移行しようとしていましたが)、アントーシャ・チェホンテーというペンネームでかかれたもの。

ユーモア作家といっても、どこがユーモアだ、、、というレベルで重いですね。作品が発表された当時も、「このエンディングはありえない!」と批判が殺到したのだといわれています。

彼自身が明るい人なので、「どうしてこんな作品がかけたんだ、、、」と疑問ですが、一説によると幼少期の経験が響いているとかいないとか。

まとめ

ってわけで、チェーホフの「ねむい」、読んでいきました!
なんだかタイトルの予想と反して重たい作品です、、、まぶたも重たくなってくる。

寒くなってきましたね。みなさん睡眠はしっかりとりましょう。ではさようなら!ありがとうございました。

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