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別冊・謎のコトバ解読ノート・その2


【概要】

  短子音と短母音を組み合わせた開音節が、それぞれ固有のセマンティックを有する日本祖語であることが発見されたことから、万葉仮名の成立時に、音節と文字が1対1で対応させられたわけが解明されました。本記事では、古事記に登場する馴染みのない単語「マホロバ」など、"親密度の極端に低い語"の謎・語源をサクッと解明します。
  また、万葉仮名の濁音は連濁ではなく、もともと祖語として濁音だったと考えることで、清濁表記の混在の理由も説明できるでしょう。

【はじめに】

  小林哲・著「日本語の起源 Japanese Language Decoded」の本編では、
・日本祖語は、五十音の各々が単語としての固有の意味を持ち成り立っていた。
・ヤマトコトバは、複数の祖語の単語が連なってできている複合語だった。
・他言語との比較系統分類学的手法では日本語の起源に到達できる訳がなかった。
と述べました。

  自然言語処理技術的な小難しい術語を使った表現をすると、”日本先住民族語(いわゆるヤマトコトバ)の言語アノテーション(annotation)として、民俗学的・考古学的・人類学的のみならず科学的なコンセプトやイメージにまで拡張した単語のメタデータ(metadata)を用いることで、同一の音節を有するヤマトコトバ単語群に対して抽出されるコンシステント・アーギュメント(consistent argument)を当該音節のセマンティック(semantic)と考えることに矛盾が無いことを見出した”となるのでしょうが、平たく言えば、”膨大な雑学的な知識や情報を駆使して、同じ音節を持つ単語のもつ概念の内で共通のものを探ることで「あいうえお…」各々が持つ言語的な意味を見出した”ということなのです。

  幸い、同定できた五十音各々の言語的な意味内容を使えば、実に多くのヤマトコトバの語源を解読できることがわかりました。
  その過程で、古事記・日本書紀(記紀)や伝承、地名に特異的に現れる馴染みのない語、いわゆる単語親密度(word familiarity)の極端に低い語が幾つもあることにも注目してみました。

【夜麻登】

  古事記には、「ヤマト」は万葉仮名で「夜麻登」と記されています。ここで使用されている漢字の中古音は大凡[jia-ma-təŋ]なので、近似的には「ィヤマタン」であったと考えられます。漢字を借字として似せようとしたオリジナルの音韻は「ヤマト」でよいのでしょう。これを構成する音節は[ya-ma-to]ですので、それぞれの日本祖語としての意味内容を連ねて語源を解読すると「錐形+大地+平坦地」、つまり「山+平地」を表現していると考えて間違いないといえます。
  単に「山と平地」を表現していた可能性もあります。「山に囲まれた平地」、すなわち「盆地」を意味していた可能性もあります。しかし、日本列島ではあまりにもありきたりな”山と平地”を用いて、特定の地域や組織の名称とすることは不自然です。また、日本各地に数多くの盆地が存在する割には、「ヤマト」を用いた地名が一般的であるともいえません。一方、「平地に山がある」ケースは珍奇といえます。固有の地名としては相応しいといえます。事実、大和盆地(やまとぼんち)=奈良盆地は、大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる山、畝傍山(うねびやま)/耳成山(みみなしやま)/香具山(かぐやま)が平坦な盆地の南端部にそれぞれ孤立するように鎮座していることは特徴的です。この「平地に山がある」地理的な特徴が「ヤマト」の語源であることに疑いはありません。

【麻本呂婆】

  古事記に記され、「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 倭し麗し」と詠まれていると解釈されているこの歌、「ヤマトはクニのマホロバ」、「棚のたわわな実り」、「青カキ」、「ヤマゴモレル」、「ヤマトは麗しい」という内容だといわれてきた歌です。「マホロバ」という謎の言葉が出てきます。学校では”すばらしいところ”とか”パラダイス”というような意味だと天下り的に教えられていると思います。何が根拠でそう言われるようになったのかはわかりません。何といっても特徴的なのは、他ではお目に掛かることのない語だということです。
  歌の末尾にある「麗し」に囚われて、冒頭にも同様の内容が謳われていると想像したことに基づく(情報発信力のある歴史上の人物の)放言が元になり、俗説ではあるものの広く流布したために定着したのではないかとも想像します。しかし、ヤマトが麗しい場所だ「パラダイスだ」と礼賛しているのだという解釈が正しいとするなら、「国の」は明らかに余計です。なぜなら、「ヨソのことは知らないけれど、ウチの国の中では素晴らしいところ」と称賛の度合いをわざわざ限定して、たいして素晴らしくはないような印象を与える表現になっていることになります。つまり、”マホロバ”が麗しいところを表す単語だという解釈は根拠も不明な上に推測としても不合理なのです。というわけで、謎の言葉”マホロバ”の意味・語源を解読してみます。
  この歌を原文に近い漢字で表記すると、「夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯」であるようです。万葉仮名で”麻本呂婆”と記されているのが”マホロバ”です。この語”マホロバ”を構成する音節[ma], [ho], [lo], [ba]のそれぞれの日本祖語としての意味を連ねると「大地+突起物+岩盤+放散」であることがわかります。意訳すると「地面に石棒状の岩塊が放射状に配されている/散在している」と解釈できます。結論を急ぐと、いわゆる環状列石(ストーンサークル)等の石組遺構を意味していると考えられます。秋田の大湯環状列石に代表される縄文時代の遺構・環状列石には、数十メートルにも及ぶ文字通り環状に配された岩石列の構造中に日時計状組石と呼ばれる放射状の組石構造が配されています。この棒状の岩石を組み合わせ構成された遺構は、「マホロバ」の音節が表現する意味とよく整合します。
  縄文時代の遺構である環状列石の起源は明らかではありませんが、コミュニティーの中心に置かれ、墓地や広場としての機能を担っていたことはほぼ間違いないでしょう。日本列島の土地で、氾濫原でもなければ砂地や沼地でもなく、岩や樹木も無いような起伏がほとんど無い平地は人工的に整地された場所です。先史時代に人類が快適な生活を送るために切り拓いた広場が特別な場所であったことに疑いはありません。音節の意味から解読した”マホロバ”の語源は、共同墓地や大きな公共の広場を有する地域の中心地を表していたと考えられます。日本の古代文明に限らず、世界中の先史時代の遺跡に列石が認められます。記念すべき場所やモノの在処を示すランドマークには人工構造であることが簡単に認識される必要があるうえに、位置が不変でしかも明確にわかる程の大きさが必要とされますので、質量の大きな岩石の幾何学的な配列はたいへん適しているわけです。縄文時代から千年以上の時間を経たヤマトの時代には、環状列石の存在や意味は忘れ去られていた可能性がありますから、”マホロバ”は「墓地/中心地/都」を意味するコトバとして継承されていた可能性が高いです。この歌にも同様の意で詠まれたと考えられ、辞世の歌とされることとも整合します。

【夜麻碁母禮流】

  この歌の中で”ヤマト”は”夜麻登”と表記されています。中段の”夜麻碁母禮流”の”夜麻”は、”ヤマト”の”ヤマ”と同じ万葉仮名表記で、山岳の山を表していると考えられています。”夜麻碁母禮流”は”ヤマゴモレル”と読むと考えられますので、これまでは「山籠(やまごも)れる」つまり「山に囲まれた」の意味だと解釈されてきました。しかし、ヤマ”コ”モレルではなくて”碁=ゴ”なのです。これは”コモレル”が濁音化した、いわゆる連濁と考えられてきたのですが、直前のセンテンスの”アヲカキ”が”アヲガキ”と濁音化していないように、連濁の万葉仮名表記説は甚だ疑わしいと言えます。日本語の文字表記が始まって間もない時期の万葉仮名を用いた音韻の清濁の書き分けは、連濁が作用した音韻の変化ではなく、祖語がそもそも濁音であったと考えるとスッキリと整理できます。問題の”夜麻碁母禮流”が「山籠れる」の意味だという解釈はかなり怪しいと言えます。ここでは素直に、濁音化は存在せず、ヤマトコトバ本来の発声が”ゴ”だったのだと考えてみたほうがよさそうです。
  音節[go]の日本祖語の意味は”叩く/打つ”であると考えられます。音節[mo]、[le]、[lu]の意味は、それぞれ「地下/地中」、「集積/収束/堆積」、「丸/球/輪」ですので、これらを連ねた”ヤマゴモレル”は、「山を突き固め、地中に(何かを)集積させ形成した円」を意味すると解釈するには高い合理性があります。墳墓の構築工程を表現しているのだと考えて良さそうです。人々が盛んに戦争を行うようになってからは「丸(まる)」[ma-lu]という言葉は「砦/城」を示す言葉として用いられてきましたが、[ma]+[lu]すなわち「マル」の祖語としての意味は「地+円」です。「モレル」の語意も、元々は環状列石の構造のように「地中+集積+円」という意味であったものが、古墳時代を中心にした大きな墳墓が作られる頃には「墳墓を築く」という意味になったと考えられます。「唸り」を意味する[u]が付加した「うもれる/うずもれる」も語源を同じくすると考えられます。つまり、この歌は「ヤマトは国の聖地だ」、「ステップ状になった垣/棚にはたわわに実る青い柿」、「山を突き固め」、「墳墓が築かれている」、「ヤマトは凄い」と詠んだものだと解釈できます。

【宇流波斯】

  ところで、「宇流波斯」と記されている「ウルワシ」の本来の意味は、この語を構成する音節[u], [lu], [wa], [shi]の言語的意味を連ねることで「唸り+円+割る+広げる」であることがわかります。現代語に意訳すると「唸り声を上げて、両手腕で丸をつくり、その手を離して、広げる」という動作を表していると考えて良さそうです。人物を賛美したり称賛したりするときの動作です。大仰に「オー!本日も眉目麗しく!」とかなんとか声を上げながら、両手を接して輪を作り、それから手を左右や前後に広げるジェスチャーでしょう。本編を通じて論じている様に、音声言語が成立する以前には、ジェスチャー/サインランゲージを通じた映像(イメージ)表現が情報伝達の手段であったことは想像に難くありません。音声言語の黎明期には、ジェスチャーが表現するセマンティックを言語表現がそのまま継承する過程が存在していたはずで、人間の動作を意味する言語表現が直截的であることは極めて自然であると言えます。

【邪馬壹国】

  “魏志”の”倭人伝”に書かれていることで有名な”邪馬台国(やまたいこく)”は、倭人伝には「邪馬壹国(やまいちこく)」と記されています。そもそも邪馬台国の名称は、中国で「倭」つまり大凡「ユゥェ」[jue]と呼ばれていた東方の地に在ったあると考えられる特定の地域あるいは組織を”魏志”に表記するときに用いられたものです。借字の選択作業は魏志の執筆者が行なったのか、邪馬台国側の自己申告であったのかも不明ではあるものの、その地域あるいは組織を”表現”するために用いていた音韻を模したものであることは、ほぼ間違いないでしょう。。
  邪、馬、國の古代中国語としての発音・代表的な中古音はそれぞれ「ィヤァ」[jia]、「マ」[ma]、「クゥェク」[kwək]に近い音韻であったと考えていいでしょう。
  問題の「壹」が記されているのは、誤記や誤転記だとする説も散見します。しかし、そもそも「やまたいこく」という発音だったはずという根拠が無いのですから、「やまたいこく」の「たい」の部分が「壹(いち)」と記されているのは「臺(だい)」を書き間違えたものだ、とするのは無茶な話ですし、誤記なのか否かを考える為には、さらに困難な仮説を幾つも積み重ねる必要があります。
  ここでは先ず、「邪馬壹国」の記述が正しいと考えてみることにします。「壹」の中古音は「ィイェット」[jiet]に近いと考えていいと思われますので、「邪馬壹国」の表記を用いて模倣した音韻は[jia-ma-jiet-kwək]、つまり「ィヤァマィイェットクゥェク」に近い音だったと考えられます。次に、「壹」が誤りで「臺」が正しいとすると、その発音は「タィ」[dəi]だったと考えてよさそうなので、問題の名は「ィヤァマタィクゥェク」に近い発音だったと考えていいでしょう。誤差を許容してザックリこれらの近似的な発音を書いてみると、それぞれは「ヤマイェト國」と「ヤマタィ國」ということでしょう。結論としては、どちらが正しい表記であろうとも「ヤマト」をオリジナルの音韻として、似た発音の漢字が選択された可能性が高いと考えて良さそうです。
  邪馬壹国の記述に沿うと「山井」や「山江」、邪馬臺国であるなら「山田/八俣/八岐/矢又」や「山門/山戸」の地名と関連している可能性もないことはないかもしれませんが。

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