言葉は、心という種から出てくるもの。
この考え方が私はとても好きです。
言葉には力がある、と子どもの時から感じていました。
それは、言葉と一緒に相手の心が伝わっていたからだと思います。
高校生の時に、国語の先生が教えてくれた古今和歌集「仮名序」。
”やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける”
和歌は人の心を種として、様々な言葉となったものである。
”(略)力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をも
あはれと思わせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士(もののふ)の心をも慰むるは、歌なり”
力を入れることなく天地(の神々の心)を動かし、目に見えない鬼神たちをもしみじみとさせ、男女の仲も親しくさせ、猛々しい武士の心をも慰めるものが和歌なのである。
驚きとともに感動したのを憶えています。
すっごい昔の人もそう思っていて、こんなにきれいな言葉で表現してたんだ!って。
だから、言葉遣いにはとても気をつけてきたつもりです。
もちろん、子どもにも小さいうちから伝えてきた・・・のですが、
どんなに気を付けてたって、子どもはどこからか色んな言葉を吸収してきます。特に男子は。
小学生になると、ちょっとずつ言葉が荒っぽくなり、
高学年になるにつれてそれがひどくなり。
ゲームを始めたら、ピークに。
やがて、心の裡をあまり話してくれなくなりました。
けれども、ぽつりぽつりと零すようになり、
語彙力が増えてくるにつれて、暴言は少し減っていき。
今は、自分の気持ちを伝えてくれるようになりました。
色々な気持ちの種は、心にずっとあって。
でも、上手く言葉にならなかったんだろうなあ。
そんなことを思った秋の日でした。
ちなみに長女はというと・・・。
特に言葉遣いが悪くなるということはないです。
一人称が学校や友達といる時だけ「ぼく」の時期がありましたが。
どちらかというと、彼女は言葉足らずなところがあったり、
たまに言葉のチョイスが「?」と思うことがあります。
それで何回か友達とのやりとりで苦い思いをしています。
語彙力はあるけど使うのに慣れてないというか。
親の対応としては、同じようにしているつもりなのに、
やっぱり子どもによって違うなあと思いました。
今日はやや短めの雑記になりました。
高校の時の先生、元気にしてるかなあ。。
先生は他にも万葉集の中の一首に、「恋水」でなみだ、と読ませるものがあって、自分はそれが好きだ、ってすごく力説してました。
うん。確かに素敵。
読んで頂きありがとうございました。
心から芽生えた言葉を大切に、書いていこうと思います。
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