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第50回 プロコナオコ流★オンライン講座ジプシーにならないための心得…後編

 さてさて、やっと後編となった『オンライン講座ジプシー』についての私の勝手な分析と考察ですが、最後に気をつけたいのは講座主宰者オススメの高額の物販と、主宰者の友人インフルエンサーが登場しての超好意的な紹介と推薦、そしてなぜか講座内容とは少し嚙み合ってないように思えるビジネスへの勧誘です。

まず、前編と中編でも述べたように、果たしてあなたは、どうなりたくてその講座を受講したのか?何を求めて、何に魅力を感じてその講座で「学ぶ」ことにしたのか?

これね、大切です!あくまでも「学ぶ」という目的でお金を払っているわけです。新しい知識を得て自分の人生に役立てるための「学び」であり、受講料は自分に対する投資です。主宰者への上納金ではありません。

少々深刻な方については、その講座は人生を変えるための何かをつかむ場であって、まだ何もヒントを拾えていない足元がグラグラの状態なのに、さらにお金を払って次の投資(すでに上納金)をする、又はそのコミュニティ内で勧められた、ストレスを伴うビジネス、例えばネットワーク的なものを始めたりすることはとても危険だと私は考えています。

確かに今は『風の時代』と言われており、タイミングを逃さず波に乗りましょう!というのはよく聞く言葉です。でも、あなたがその方の発する言葉、講座で何もピンと来ていない、成長できそうなヒントや問題解決の糸口について何もつかめていない、違和感も含めてです。◯なこと、✕なことのどっちでもいいんです、何か感じるものがあってこそ、その講座を受講した意味があります。

それもなく、なんだか分からないけど、この方が勧めてくれるこれをやってみよう!は依存と責任転嫁。なんでもかんでも受け入れるという態度を続けることは、ただ単にその方の追っかけ、熱狂的ファンであるというだけで、その方から「学ぶ」という立場にはなく、次に魅力的なインフルエンサーが見つかると簡単に乗り換えてしまう、又は複数の講座を受講していて、毎日スマホばかり見ていることで時間に追われ、行動が起こせない頭でっかちの状態になってしまっている。

「知っている」というのと「やっている」というのは大きな違いです。知識を知恵に変え、行動を起こしてなんぼですからね。失敗しても何度もチャレンジすることで、何かがつかめる。そして学んだことが腑に落ちるわけです。

そして、忘れないでください!自分に投資をし「学び」を開始した時点から、その方とあなたは、芸能人・有名人とそのファンという関係性ではないということ。リスペクト(尊敬)によって繋がれた「伝える人」「届ける人」「与える人」「寄り添う人」と「受け取る人」「学ぶ人」の関係であるということ。そしてこの関係性においては、どちらも「成長する人」であることが大切なのではないでしょうか。

どちらか一方が得をする、どちらかが相手を利用する、軽んじている、見下しているという状況の場合は、必ず歪みが生じます。裁判沙汰にもなりかねない。

思うに、この言葉を超日本的に解釈した場合、実はズレが生じることもあるのですが、私は自分が「学ぶ者」であるときは、「師匠と弟子」「師範と門下生」という言葉でその関係性を表します。でも私の場合はあくまでも、師匠、師範と呼んでいる方が人格者であり、愛情にあふれるやさしい方であることが前提です。でもご本人は、決して自分のことをそうは思っていない。私流に言えば、自信と謙虚さの両方をあわせ持ち、リスペクトに値する方で、自分も止まらず学び続けている。そして「学ぶ者」を決して自分の信奉者、追随者、最悪な場合は部下、配下と位置づけることなく、ご自身の仲間であり、同志だと認識している方であるということです。

でもね、私達日本人は「忠誠心」「恩義」「犠牲的精神」「我慢」が美徳であるという人もまだまだ多いのが現状ですし、それが好きな人、そういう立場でモチベーションが上がる人も多いでしょ。だからそれはそれでいいんです、その人が幸せだったらね。

でも、私はそれはイヤだな…
私の中の信頼するもう一人の自分が、そう言っています。状況次第で人に多少の嘘はつけても、自分に嘘はつけないということだなとね。

あくまでもこれは、私の主観であり、私が持つ価値観と美学からの分析と考察ですので、異論反論ご容赦ください。おつき合いくださった皆さま、どうもありがとうございました。

The End.

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