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第47回 『発達障害』を都合よく使う人には要注意!

 千差万別、多種多様、十人十色、三者三様などなど、「みんな違う」という四字熟語がたくさんあるように、私達人間のパーソナリティは簡単にはカテゴライズできるものではありません。

まず、“パーソナリティ”とはなんぞやということを理解していないと話は始まらないのですが、“パーソナリティ”とは、先天的な“気性”と後天的な“性格”が一体となった、日本語で言うところの“人格”に近いと言えると思います。“パーソナリティ”については様々な解釈がありますが、その人の個性や人柄、人間の行動や判断のもとになる考え方や傾向のことを指すと理解しています。

人間が生まれつき備えている気性に加えて、家族や生活環境、周囲との人間関係など、子どもから大人になる成長の過程で次第に形成されるものですので、変化することはもちろん、何年後かにその人に会った時に、別人のように感じることも無きにしもあらずなのです。

それでは、発達障害とともに生きている人についてはどうでしょうか?発達障害についてなんの知識もない人が、アスペルガー症候群、自閉症、ADHDなどとともに生きる人と人間関係を持たなくてはならなくなった場合、多くの人はその人について「性格が悪い人」という感覚を持つでしょう。

協調性がなく共感性が低い
自己主張が過剰で承認欲求が強い
正義感が強すぎて自分の正当性をアピールする
空気が読めず寛容さに欠ける
などが特徴であり、よく見られる傾向なわけですから、人に嫌われてしまう要素が満載。

でも本人は、なぜ自分が人を嫌な気持ちにさせてしまうのか、なぜトラブルメーカーになってしまうのか、そして、なぜ人が離れていくのかということが理解できません。罪悪感や自責の念というものはほぼ感じることなく、正義感の強さから人を攻撃し、自分の正当性を主張します。なので常に相手が悪いのです。そこは多分、理解できる日が来ることはありません。

ですから、自分で自分のことを「私は発達障害です」と言う人は、ほぼ発達障害ではないと、私は考えています。診断がついている人は別としてね。診断がついている人は、自分はそうではないと信じたい気持ちでいます。“自分は正しい”が基本ですからね。

例えば、その傾向があると思っている場合は、すでに自分のことを客観視できているので、そんなに大きな問題にはならない。遺伝などから軽度である可能性はありますが、コントロールできる範囲であることは間違いないと、私は考えています。

だから、ご自身のことを“発達障害”であると普通に言える人は発達障害を利用し、周りの人達に自分に対する寛容さを強要し、わがままを言える環境を作り、何か自分がミスをしてしまった時には、発達障害を理由に許してもらおうと考えているのではないでしょうか。いわゆる伏線を張っているということ。

発達障害という個性とともに生まれ、生きることで、つらく苦しい思いを抱えている人の気持ちなど考えずにね。