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本当の自分を知り、自分らしく生きる

周りのの👀や💓思惑を気にせず生き抜く!

日本人の本質と日本人らしさを生かす

日本人は良し悪しに関らず
人の目、思惑を気にする体質を持ち
それは他人に笑われるとか、
人に恥ずかしいことはしないなどと、
子供のころから家庭内で
「恥の躾」の教育をされて来ました。

過去に出逢った方々で“心の虚飾
を優先し人と触合っている人は
殆ど幸せで愛情あふれた家庭生活や
豊かな人生を手に入れられず、
心寂しい生活をしている人が
多く居るのを見聞きして来ました。

本物は飾らない

私も40代半ばまでは、
人の目・思惑を気にした言行態度をしたり
見た目の内外の心を飾った言行をしたり、
表面上だけの姿形(ファッション)や恰好
ばかり気にかけて生きてしまいました。

今の日本社会は
本物は虚飾を嫌う』の同義語である
人形作って魂入れず』の諺の如く、
リアルもバーチャルも“虚飾”
満ち溢れていると感じられてなりません。
(過去の自分を顧みて😢)

現代の日本の社会は、
人も物も、志や信念、と共に心に自信が
ないのか自分軸の意識過剰の言行態度、
わざと周りの人と異なることをしたり、
他人の注意(👀)を引こうと自分を偽る
言動縦度をしたり、飾ったりして、
心にもないパフォーマンスをする人が
年々増えているように受け止めております。
(Fと言う芸能人はそれを逆手に取り成功❓)

実際に出会った人から知ったのですが、
人は中身=(心)が充実してくる度に、
その飾りを一つずつ剥がし落として
生活して行くようになって行きます。

そして、
中身(心)が本物に近づけば近づく程、
人は自然体になり、もともと形ある物も
とがった角が取れて丸くなって行きます。

そしてそれは、
中身の無い唯のノーマルとは違い、
本物の心眼を備え持った人が見れば、
その違いと本質をどこかに見つけられます。

例えば、
本物と言われるロレックスやルイビィトン
と言われるブランドは手入れをしながら
大切に長く使い込める物ほど本当の
価値があると言うこともその表れです。

また、
セリフが少ない映画の小説化は難しいと
言われる名作を造ると言われる人は
心理描写を活字に表し自らの感性で
巧みに描くことで生れています。

自分の心にもない作られた言葉と言う飾りは、
すればするほど駄作生まれ失望をします。

本物・本質と世間から評される
コトやモノ
は、虚飾もハッタリも
誇大して顕示も全くありません。

これと類似しますが、
お洒落と着飾る」の言葉も同様なことが
当て嵌まるのではないでしょうか。
(自分軸のお洒落、他人を意識した着飾る)

生きてきて得た人生での気付きが
僅かでも何らかの形で今後出合った方との
人間関係上のサプリメントになれば幸いです。

上記したことを踏まえ、
虚飾の例を取り上げてみます。

🔽自分の心に都合の良い言訳や
 嘘を付きながら生きている

🔽己の弱い心を素直に認め、
 受容れられないで生活している

🔽自分の言行について、
 無理な言訳付けをしながら生きている

🔽人も物も見た目の恰好の良さ
 ばかりに注目され重点を置かれる

🔽人や物の本質を自ら知ろうとせず外見や
 人の思惑スキルテクニックを重視する

🔽ブランドの本質を見抜けず、
 名前だけが優先され使っている

🔽他者に好かれることに重きを置き、
 自ら進んで好きになるように努めない

🔽月日が経てば人の中身(本質・本心)が
 知られてしまうのに見た目や形だけの
 対人テクニックやスキルを磨き納得している 

🔽自らの活動や思考に保身や
 自己顕示の言動、表現をしている

🔽自己顕示の為の様々なツール
 を注視し使っている

🔽虚飾の為の活動に走り、その弊害を考えない

🔽物と心を「以って成す」ことが
 日本のおもてなしの本質であるが、
 「形あるリアルな物を以って成す」
 言い換えるなら、御馳走や物を与える
 ことだけがおもてなしと誤解している。

このようなことの起き無い社会にする目的
での心身の活動、意識付をすることは、
ビジュアル重視社会の日本で薄れつつある
日本人の本質=日本人らしさ」を
改めて見直し育み令和のNippon人力up
に繋げられるのではないか、と心から思います。

簡単に言えば
和の心を持つ日本人の心への原点回帰
知足の意識
こそが、豊かな社会で生活し
活動している私達に気付くように、神が
求められているのではないかと考えられます。

自心への嘘や言訳


その為に
自心に嘘や言い訳をせず、
真摯に本当の自分と向き合い、
今現在の己の本質を理解し受容れ、
今の自分に出来る範囲で活動をする
ことではないかと過去の人生からも思います。



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