コミュニケーションの土台石『仁と礼』
心身の活動『仁と礼』
💕「礼」を以って「仁」を成す
殆どの人間の心には、
煩悩と言われる人の心を迷わせ悩ませ、
苦しみや対人関係の悩みの原因となる
貪、瞋、癡、慢、疑、悪見などがあります。
例えば、
いい人と思われ「たい」、 好かれ「たい」、
愛され「たい」、認められ「たい」、
褒められ「たい」 と言った「たい」
と言う我的欲求願望と受動的意識があります。
この総ては期待・欲求・願望・要求・欲望
と言った感情を含む自己欲に因ると考えられます。
こう言う意識(思考)を持たないよう心掛け、
自発的で能動的に好きになる心身の活動、
愛する、認める、褒める、自他の良い処
を積極的に見付け出す心身の活動に勤める
ことは豊かな人間関係を育めます。
積極的に
【一体・連帯・安泰・態度・状態・応対・
大切・連隊・忍耐・歓待・土台・有難い】
の文言を意識するようにいつも心すると、
良い人間関係を築け色々な道が広がります。
そして、論語にある【仁・義・礼・智・信】
の文言の語彙を理解して置くと良いでしょう。
まず、「仁」と「礼」について考えてみます。
私達の住む社会は 人間関係の土台石『礎』
とも言える「認める」即ち「承認・信認」を表す
「感謝=謝意」や『礼』≒義の心の表現伝達が
疎かになりつつあると感じられることを
コロナ渦の様々な処で味わい見聞きしました。
例えば、
何らかの形で他人を動かしお世話に成ったり、
ビジネスや普段の生活で見知らぬ他人との縁
や繋がりに何らかの御尽力を頂いた人に対し、
人として自利や感情を抜きにして示し、
伝えなければならない心身の活動が「感謝」
であり、それは『礼』の心と所作を以って
表現伝達することであると思われます。
或いは、
ビジネスや私生活で挨拶やメールを
送付した時、送り先の方からの返事
ひとつで発信した人の行為・態度が
大体決まるのに返事もしないていたり、
メールもK・S(既読スルー)を平気でして、
何の返事もしない無視の行為は互い心を
ネガティブにし易く時にイジメ、様々な
ハラスメント、孤立化、引籠りなどと
犯罪の起因や誘因になり兼ねません。
その結果として
関係が途切れたり、ビジネスに繋がらない。
こう言うことが平気で行われていることを
残念ながら現実として体験し見聞きします。
さて以上を鑑み
人として大切な「仁」=相手への思い遣り、
「仁」があって生かされる「礼」の表現伝達、
有難い、お陰様の「感謝の心」の表現伝達
などについて考えてみます
💞「感謝」と💖「愛」の対義語
「感謝」と「愛」は共に、
認める心=承認欲求満足の活動が礎です。
例えば、
会話時に目上の方や上司との会話で
聞く側にあたる人が腕組みや足組み
の姿勢で聞いたり、目上の方への承諾
を「了解しました」と不適切なことばで
返事をしたり、目上の人や教えを受ける
人への言葉を一人称で「参考にします」
と平気で話したりする場面も見受けます。
また、喪中なのに不謹慎な
「新年おめでとうございます」
と言った言葉を平気で使ったり、
ビジネス上の金銭の授受の有無に
関わらず、教えて貰うことでけで
終わってしまいその後の経過などを
知らせなかったり疎かにしてるのに
平気で改めて教えを請う行動をしたり、
先人への節度の無いタメ語や無礼な
態度をしたりする無礼と言うか
自分だけ良ければ楽しければと言う
社会人が増えているのは残念です。
即ち、礼を利己的に捉え人としての
『礼』を尽くさずとも生きて行ける
と安易に捉え考える人が増えている
故であるかな❓と思われます。
誠に残念ながら、
現実の生活で国や地方の行政機関での行為
を取りざたされているように自己主張顕示、
利己、保身、自己都合と言ったことが行為
が大手を振ってまかり通る社会環境でも、
違和感なく平気になりつつあります。
世界で唯一無二の独自の文化を持つ
日本人としてコロナ渦で落ち込んだ経済
やGDP回復のためにもこのようなことを
少なくするには次のようなステージで
思考行動する意識で取組み、その気持ち
習慣づけることが大切と思われます。
◆一人称~三人称の「Stage」&「Eye」
そして、思い遣りはどのステージで
どう捉えることを言うのでしょうか❓
自心も他人にも嘘偽りがなく言訳のない
自らの本当の姿=本質を知るために、
自分を一番理解し愛せるのは自分だけだ
と自覚し「分と向き合う」活動をする際の
様々な視点の例を体験から記してみます。
皆さんは、
触合う人(=仲間)や物、物事・事象=
自社(自店舖・商品)をどのステージの
目線で見てどのステージに立って捉え、
どのステージ立って思考(想像)し、
夫々をどのように認識しどのような
言葉や態度に表現しますか❓
そして、思い遣りはどのステージで
どう捉えることを言うのでしょうか?
※以下『仁と礼』について
学びメモと論語から転載します。
新渡戸稲造氏は、その著『武士道』で、
「礼は寛容(かんよう)にして慈悲(じひ)あり、
礼は妬(ねた)まず、礼は誇らず、
驕(おご)らず、非礼を行わず、
己の利を求めず、憤(いきどお)らず、
人の悪を思わず」
📖【文言の解説】
寛容
宗教や民族にはじまり自分とは異なる意見、
考えを持っている人にも一定の理解をする
慈悲
誰に対しても平等な愛情・気持ちをもつ
妬む
他人が自分よりすぐれている状態を
うらやましく思って憎む
誇らず
偉そうにしない
驕らず
思い上がった行動をしない
非礼
礼儀に背くこと
己の利=自利
自分だけの利益など
憤らず
激しく怒らない
人の悪を思わず
人を中傷しない。
悪口を言わない。
の意です。
礼とは、みんなと常に平等に接し
人を憎んだり 人を見下したり
自分の損得や情欲だけを考えて
思考行動するのではなく、
常に平常心を大切にし、
人を誹謗中傷しないこと。
江戸中期の儒学者太宰春台氏は、
「仁は目で見え難いが、義は行動となり、
礼は形となって表れ目に見える。
従って、礼を厳しく躾ければ、
その過程でなぜそうすべきか解り、
悪い心を持った人間でもその行儀作法
と共に、心も自ずから正しくなって行く」
とそれぞれ著書の中で記しております。
「礼」は「仁」によって育まれた気持ちを
形として表すもの。
「仁」のみであってはいけませんし
「仁」なくして『礼』はあり得ない
と言うことです。
即ち、
「礼」は「仁」を具体的な行動として表し
元々は宗教儀礼のタブーや伝統的な
習慣・制度を意味し、後に人間社会で
の上下関係で守るべきことを意味する。
また、武道の基本とされる
『礼に始まり礼に終わる』
も多くの人々に知られています。
孔子の論語の中にある以下の語に
「礼」の心が窺い知れます。
『礼を学ばざれば、以って立つことなし。』
[季子第十六]
『礼を知らざれば、以って立つことなし。』
[尭曰第二十]
※【原文の意味・解釈]】
孔子は長男の伯魚に、
庭先で「礼」を学ぶことを強く勧めた。
「礼」を知らないと、人格形成が出来ず、
人間関係が上手くいかないからだ。
伯魚の告白によれば、直接の父である
孔子から教えを受けたのは、庭先で会って
「詩(学問)の勉強」と「礼の勉強」を薦められた。
この二つだけだったと言っている。
この「庭先での教え」は家庭で
親が子に教える「躾」と言えます。
また、孔子は「礼儀作法」を重んじた。
「礼」を知らない「無礼者」になるなと。
「礼」とは「礼儀作法」のこと。
今流に言うと
「礼儀」は「マナー」と「モラル(倫理・道徳)」、
「作法」は、「ルール」「規律・規則」と言う。
※礼(れい)とは、
様々な行事の中で規定されている
動作や言行、服装や道具などの総称。
春秋戦国時代、儒家によって観念的な
意味が付与され、 人間関係を円滑に
すすめ社会秩序を維持するための
道徳的な規範をも意味するようになった。
前記した「礼に始まり礼に終わる」
は武道の基本。
この言葉の初出1907年7月『武徳誌』
に内藤高治が発表した論文「剣道初歩」。
📖熟語 -礼記・礼拝・礼儀・礼装・礼服
📖字源⁼禮の古い時代から
用いられている略体「礼」より。
「禮」は、
「示」+音符「豊」の会意形声文字。
「豊」は「豆」に形よく供え物を並べた様。
形よく整えられた祭礼を意味。
📖文字の意義
1.形よく整えられた行儀作法。
儒教の徳目のひとつ。
2.形よく整えられた儀式。 婚礼、祭礼
3.社会習慣、慣習。
4.相手を尊重する取り扱いや挨拶。
これが礼遇、
敬礼「礼」の漢字の成り立ち由来
形声文字です。
※漢字の成り立ち事典で「礼」を知りました。
まず以前に学んだ「しめすへん」です
神様へのお供えをのせた台を
かたどって出来た文字でした。
「豊」の文字と合わせて収穫の感謝を
表した 「禮」の文字がありました。
「礼」は神への感謝の気持ちで
「禮」は 五穀豊穣への感謝を示す
文字として使い分けられました。
現在は「禮」は略され
「礼」の漢字で統一されました。
※私見ですがそれは豊かな心と解します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?