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真の自分軸!

平成から令和の時代になり、
欧米の心理学や自分立つ位置に関連する
マインドフルネス、自分軸と言う言葉を
多く見たり耳にするようになりました。
このnoteの投稿の中にも多く見られます。

これに関する投稿やネット上・本などで
読む内容は「確かにと感じ受止められる」
ことばかりですし否定より肯定します。

しかし、
私達の日本には日本人の心とも言える
先ず人を思う『思い遣り』と共に世界中に
唯一無二の文化『和の心と物創り』や
独自の『おもてなし』の心の文化があり、
その中の本質の心に学ぶことが多々ある、
と言うことについて目や意識を背けては
ならないと強く思います。

例えば、
奥ゆかしさ、何気なさ、さり気ない仕草
侘び寂び、不均等美、職人技と心、茶道、
花道、柔道、武道など、どれを取上げても
大変奥の深いことであると思います。

私は、日本のおもてなしやそれに伴う様々な
人間力(思い遣り・感謝・敬意・認知・謙虚)
などのことを深く知ることは心豊かな人生、
人として楽しく生きるために不可欠である
と言うことに気付きました。(心が未熟故😢)

さて、ここで上記のことに、繋がると思う
【真の自分軸】について色々と考えてみます。

先ず、誤解のないように、
自分軸を辞書・ネットで検索しておきます。
【自分軸】は、
 他人の考えを優先するのではなく
「自分がどうしたいか」
 を基準に行動すること
。とあります。

さて、
人により、自分軸を自己中心に捉える方、
自分の人生経験や学びの多少に関係なく、
書物やネット上の知識から誤っ知識として
持つ人も少なくないと受け留めています。

今迄の学びや人生体験からの私見ですが、
自分軸】はリアルバーチャルな人の支え
(土台石=礎)や日本と言う社会・自然環境の
下にある自分の意識(捉え方)が源であり、
それは、人の幸せ・笑顔・幸福感を導く尊い
思考軸(=意識・気持ち)であると思います。

それを、
端的に言うと人の文字の上に立っている
のが【真の自分軸】であると捉え意識する。

支えら生かされている私達

【自分軸と自利利他】

と「克己」
【自利利他】とは、
「自分の本当の利益は、人々の幸せを
 図っている行為そのもの」を表わします。

また、
「自利とは利他を言う」とも言われており、
他人に利益を与えて行く心身の活動が
結果として自分の利益に繋がると言う意です。

この自利利他の理念は、平安時代に、
天台宗の創始者である最澄薯「顕戒論」
の文中にある
大乗の菩薩の道にはすべて自利なし、
 利他を以って即ち自利となすが故に

と記されております。

自利利他-イメージ図

成功者や発展し続ける企業・組織は、
自利利他の思想が徹底し実践しています。
それは自分のことだけ考えていて
一時的に上手く行くことがあっても、
それは時流やたまたま運が良かったことに
拠るものであると捉え、自分の本物の力や
努力によるものではないと捉えて、
継続しない(稀)と言った考え方です。

日本のおもてなしの本質も、
お客様を笑顔にし幸福感を齎すと言うこと。

また、
一生懸命努力して成功を掴んだ人でも、
人間の持つ煩悩や欲により有名や地位が
高くなると、人はいつしか自分自身を
自制する気持ちが緩んでしまい感謝の
心身の活動を忘れてしまい、自分だけを
許し、愛する心エゴイストの気持ちが
起きてくることをこの目で見てきました。

或は自らが、
あの苦しい中を頑張ったと自画自讃し
奢って敬意・謙虚さを失うこともあります。

そうなってしまうと、
「世のため人のため」「誰かのために」
ということを忘れてしまい「自分のため」
だけの身勝手な自分軸の気持ちが芽生え
思考するようになり、それが身の破滅や
没落の引き金になってしまうこともあります。

古より人間は本来、
他人のためになることや幸せな気持ちに
なることを願い自ら行いそれを自らの喜び
とする天性を備えていると言われております。

しかし、
現在のように情報に溢れ、多くの有り余る物や
環境に恵まれた社会環境に於いてはいつの間にか
知足、本来の人間としての自分を見失い、
利己的な自己中心、自我の固まりとなり、
その結果、己の心の自制やコントロールが
利かなくなってしまい人としてあるまじき
悲しく辛い行為・行動や悲惨な事件を起こす
要素・原因・要因・誘因・起因になり兼ねません。

この様なことは、
人間の持つ様々な感情=煩悩や欲望
に依るものだと考えられます。

自利利他と切り離せないに大切な取組み
「克己(心)」があります。

📚辞書検索克己】
自分の中にある欲望や邪念に打ち勝つこと。

これは、西郷隆盛の残した文言の一部に
以下のように記されています。

自分の修養には、己に克つということを、
 いつも心がけなければならない。」

「すべて、人間は己に克つことによって成功し、
 己を愛することによって失敗するものだ。
 歴史上の人物を見るがよい。」

だから、常に自分に打ち克って、
 人が見ていない時も聞いていない時も、
 自分を慎み戒めることが大事なことだ。

一方で、人間は生きて生活して行く限り、
常に煩悩は付き纏われ其の侭放っておけば
心の中に常に様々な欲望が湧き起きます。

百八ともいわれている煩悩の中でも
三毒といわれる
貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)
三つの煩悩
即ち、
むさぼること、怒ること、理非の解らない
この三つを自制し抑えることが【克己】です。

この克己心と自分軸は、
自分の心の中で深く関係し合います。
誤ると利己・自己中となり兼ねません。

どんな人の心の中にも湧き起こる煩悩
自分の意思の力で抑える努力をしないと、
いつまでも付き纏って来ます。

それを克服するために体の鍛錬と
同じように心の鍛錬が必要なのです。

自利利他】の実践、正しい自分軸に
克己」の意識は決して欠かせません。

中でも特に、経営者や管理者、リーダーほど、
その鍛錬と修得が大事であると思われます。

克己復礼≒自制心を育てる

自制心=己を律する意識!

克己復礼

21世紀に入り、
日本の社会環境は個人中心の生活になり、
廻りかまわず人前で大声で会話をしたり、
色々な交通機関で床に座り食事をしたり、
コロナ禍では路上飲み、自粛拒否の行為
行動が様々な場面であったりしました。

また、人の通行する場所(歩道)でも
自転車を走らせる人が目に付きます。

「どんなことをしようが私の勝手でしょう」、
「若い今の歳しかできないから」
「公道だから、俺の自由だろ」
などと、
その人達はきっと思っているのでしょう。

このような行為は、コンプライアンス、
モラル、ルールやマナーエチケットを
弁えた立ち振る舞いとはとても思えません。

場合によっては自分軸と言いその何気なく
していることが社会で生活している周りの
人達に不愉快な思いや迷惑をかけている
状況にどうして気が付かないのでしょう。


これはも自分軸・個人中心主義を、
はき違えた利己的で自己中心的な社会に
不適応の行為ではないかと思われます。

多分、自分の中にある自分軸と誤解した
「当たり前」の基準が正しくない故でしょう。

このようにモラル・ルール・マナー違反
の自分の行動を自らが「律し正す」ことが
出来ないのは日本の社会が個人優先意識が
強くなり、 個々人の姿勢や行動、心も含めた
自らの自己顕示欲=自分軸の誤解した意識
が強まり「律する」(≒道徳意識) ことよりも
「自由に開放し楽をする」ことに重点を置いた
結果なのではないかと考えられます。

個人主体の社会生活環境になり、
人は繋がって生かされ生きていられる
と言う人間関係の根底にある個々人の
自らの意識を「開放する」自己主張や
自己顕示・自分軸の意識が強くなった結果、
「認められたい」と言う自己中心意識が
高まり社会で生きるモラルである「律する
ことへの意識が 薄れお座成りになってしまう
悲しい結果なのかも知れません。


先年の東日本大震災時やその後の災害時で、
世界中から「律する国民性」を称賛された日本です。

少子高齢化社会に突入した現在、
人口減少の社会で生き抜きオリンピック後
に世界中の方が訪日された方々を「おもてなし」
する上でも、 今こそ古からの素晴らしい教え
克己復礼」の文言と日本人の調和の心と
言える自制心
を、確りと心に刻み、
実践・実行する必要があると思います。


「克己復礼」の解説
・・以下、論語から引用

顔淵が孔子に仁の意識を尋ねた。
先師が答えられた。
「私利私欲に打ち勝って、
 社会の秩序と調和を保つ
 礼に立ち戻るのが仁である。

 喩え一日でも己に克って礼に帰れば、
 天下の人もおのずから仁になっていく。  
 その仁を行うのは自らの意思によるべきで、  
 他人の助けによるべきでない」

 顔淵が更に尋ねた。
「それではその仁の実践についての
 方法をお教えください」
先師が答えられた。
「礼に外れたことは、視ないように、
 礼に外れたことは、聴かないように、  
 礼に外れたことは、言わないように、  
 礼に外れたことは、行わないように
 することだ」

顔淵は言った。
「私はまことに至らぬ者でございますが、  
 今お教えくださいましたお言葉を
 一生かけて  実行して行きたいと存じています」

門人の顔回が仁について質問した時、
孔子は 「己に克ちて禮に復るを仁と為す」
と答えました。
顔回が続けて 「請う、其の目を問わん」
とその実践上の要点(大切な事)を更に訊ねます。
孔子は、見る事・聴く事・言う事・行動の全て、
何事に渡っても 礼から外れないのが大事だ
と答えているのです。
【以上引用終り】

己に克つ-訳


 

私見ながら、克己復礼は自制心を働かせ

私利私欲・我がまま・自分勝手なことをしない。

自分の欲望を制御・コントロールし、

我が身を慎んで礼の規準に従って行動する

ことが「仁」であると言っていると解します。

 

「克己復礼」五常の徳「仁」「義」「礼」「智」「信」は、

 決して切り離せないと文言であると思います。

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