自他の人間力と真摯に向き合う
🟠本気で「人」=人間と向き合う
相手を一人の人間(心有る人)として
認められていないと感じていても、
自ら積極的に【いじめ】のSOSや
様々なハラスメントに遭っている
ことを、適切に上手く発信できない人が
このような被害に合う人に多いようです。
全て方とは言いかねますが、
ネットで見る限りマナーを教えている、
子供を持つ親である先生方は、仲間や
境遇の同じ人と会話の話題にしますが
自分達に出来る、真摯に正対し触合う
「人と向き合う」ことや普段の「挨拶」
時から相手の心を察知することを考えて
直ぐ実行に移すことをしないと思います。
言換えるなら触合う相手と正対し、本気
で向き合わない人に多いようです。
言い換えるならマナーの原義である
他者を思いやる心を確り理解していれば
どうすれば一早く子供達からのS.O..Sを
察知出来るのかが解る筈だと思われます。
イジメやハラスメントが起きる教育の場、
校長先生や担任の先生方は、何故子供の
発するSOSに気付かないのでしょうか❓
大きく捉えれば、
本気でその相手の人と向き合えているのか❓、
子供の目線になって日々の当たり前の挨拶
を交わしそれに拠って子供達の心身の状態
を察知する努力をしているか❓
日々このようなことをシッカリと実行して
いればイジメによる自閉症・自殺や引き篭り
と言う事件は少なく出来ると考えます。
このようなことを書きながら、
より多くの人々にマナーの原義「思い遣り」
をより周知する必要があると強く思いました。
🟢ひとり一人の常識と当たり前は異なる
【社会人の常識≒心の礎】
躾、礼儀作法、行儀、モラル、マナー、
エチケット、倫理、道徳の解説とその
具体的な心身の活動を伝えられますか❓
以下は、以前の研修の場で体験です。
「躾が良いと言われるけど、躾って何?」
「礼儀作法と行儀はどういう意味?」
「マナーとエチケットってどう違うの?」
「行儀とマナーの違いを教えて?」
「モラルとマナーの関係は?」
「倫理と道徳はどう違うの?」
このような質問をされたことがあります。
そこで先ず、この各項目についての
夫々の原義(≒語彙・意味)を記します。
態度やマナーが悪いとは、
対人関係上で態度や礼儀作法が悪い
と言う自分自身のことを言います。
礼儀や行儀は「頭」でなく「体」で覚え
身に着け表現伝達する心身の活動です。
📚辞書検索
(以下の出典-日本大百科全書)
躾
躾は礼儀作法をその人の身に付くように
教え込み習熟化させること。
礼儀
人がその社会生活を円滑に営み、
社会秩序を保つために用いる規範と実践の総体。
礼とは温かい真心の具体的な表出であり、
礼儀とは他との関係においてそれを判断・
評価・行為の基準とする原則。
礼儀に基づいて社会的に様式化された
言語的・非言語的表現が作法。
主として社会の秩序や人間関係を
構築し維持する価値基準、及びに、
行動様式(仕来たり)の意味で用いられる。
行儀
礼儀作法に適った立ち居振る舞いのこと。
子供の頃には行儀が良いと言われることが
多々ありますが同じこと(行為)であっても
大人に対しては、躾やマナー、
エチケットと言った表現をします。
同時にマナーやエチケットには
モラルの保有は欠かせないことです。
人として適正なモラルを持っていなくては、
他者を気遣うことを表すマナーやエチケットを
正しく表現することは出来ません。
即ち、コンプライアンス≒モラルの保有は、
マナーやエチケットの礎であると言えます。
モラル
(moral)
「道徳・道義的な・教訓」などを
意味する英語から来ています。
即ち「道徳・倫理・良識」のことです。
それは、現実社会や実人生に対する
態度や気持ちの在り様を言い表し、
法による拘束力を持たないもので、
人間相互の関係において善悪の判断
を伴う感性のことを言います。
このモラルは
「現実生活に即した道徳・倫理・良識」
の全体を指して言う時に使われます。
エチケットはフランス語です。
注)マナーとエチケットは
「礼儀作法」を指す同義語です。
礼儀作法を意味し、どちらかと言うと
一人称で使う場合が多く、形式化された
作法とか仕草を指し示すと考えます。
マナー
マナーは英語です。
態度・礼儀。礼儀作法。
人称は限定されない。
形式化された作法とか仕草と共に礼、
態度と言った心の部分を含む。
(辞書検索はここ迄)
マナーの原義、
人に対する思い遣りや相手を気遣う(配慮する)
気持ちを言い、その心(気持ち)を動作や態度で
リアルに表した身体の活動です。
それは、正常な人間ならば誰でも持っていて
その心の根底にあることであると思います。
字義としては、
行儀、作法、礼儀、態度、様子、仕方、
やり方 、方法、態度、様子、挙動、
風習、習慣、流儀、様式、作風、
種類、手法、習癖が挙げられます。
💗道徳と倫理
道徳は、
人間が人間らしく生きていくために
守るべき行動規範であると共に、
善悪を弁えて行動するために
守らなければならない規範です。
法律(≒社会のルール」とは違い、
内面的に存在する正しい行動の原理。
倫理は、
人として守るべき道(筋道・道理)。
善悪の判断の中での普遍的な基準。
道徳やモラルを含む。
★以下の二つも似たような語彙があります。
★良識 (出典 日本大百科全書)
物事を正しく判断する能力。
時として理性と同一視される。
「正しく判断し、真なるものを
偽なるものから区別する能力は、
本来良識あるいは理性と呼ばれるもの
であるがこれは生まれつき総ての人に相等しい」
(デカルト『方法序説』)。
物事の健全な考え方。健全な判断力。
偏らず適切・健全な考え方。
そういう態度の見識。「良識ある行動」
★規範 出典⇔【規範・軌範】大辞林 第三版
① 行動や判断の基準・手本。
「社会-」 「 -に従う」
②単なる事実ではなく、判断・評価
などの基準としてのっとるべきもの。
準拠。標準。規格。
〔類義の語に「模範」があるが、
「模範」は見習うべき具体的な例の意を表す。
それに対して「規範」は行動したり
判断したりするときの従うべき基準の意〕
👧🏻🧑🏻当たり前(常識)と真摯に向き合う
人の道・当たり前の生き方
数日前、
MLBでの大谷選手の言動・行為が
ベースボールの本場のアメリカの
常識を覆し大きく様変わりしたこと
はここ数年話題になっています。
そしてベースボールに携わる日本人
に対する意識も変化し、彼の発する
言葉はベースボール全体を大局的に
捉えて表れた結果であり、それが
空前の入団契約金に繋がったこと
は皆さん御存じの通りです。
そのような中、国内に目を向けると
これまで日本の社会を牽引して来た
人達の今迄の当たり前(常識)も時代
の進化に合わせ根底から見直す時期
が来た、のではないか、と思います。
いま政治家の裏金問題について国会
で紛糾していますが、国を動かす人
が裏金を作ること自体政治家の本質
(=在り方)ではないと受止めています。
一方、近年益々増えている自然災害、
人としてあるまじき自己中で刹那的
な行為や犯罪の多発が社会を暗くし
若者の引籠りや自殺行為、イジメと
言う形で表れています。
それは、IТや個人主義が広まること
と共に、日本の素晴らしさを軽視し、
ビジュアル重視になっている社会へ
の天から日本人へ警鐘ではないか?
と思われて仕方ありません。
また、国家公務員や人の上に立つ人の
中にはパワーハラスメントとなること
を気付かず平気でする人もいます。
自他の心の中にある「当たり前」には、
モラル、コンプライアンス、道徳倫理
マナー、常識などが当て嵌まりますが、
同時にそれは子供から大人まで差があり、
コンプライアンス意識は地位や立場、
置かれている環境により幅があります。
この違いを理解した上で、実際に日々
の生活に生かすことが何よりも大事と
受け留めています。
社会生活上の「当たり前」のこととして、
人と和するため、繋がりを持つために
なくてはならない義務・責任・ルール
躾・マナー・モラル・礼儀作法(所作)
と年齢や立場相当のコンプライアンス
など関することは個々人の主観だけで
「当たり前、知っている、判っている」
と思っているだけで終わらせないよう
自らの言行や態度に表し活動して行く
ことではないか、と考えます。
同時にそれは個人の主観の違い立場
や体験、社会や生活環境により差が
生まれます。
故に、自分自身持つ主観的な当たり前
の「ものさし」だけで測り選択判断する
のではなく相手の心やその状況活動に
照らして「人として正しい」(=人の正道)
と言うことに照らし合わせ平らな心で
冷静に考えなければならないと考えます。
「礼を尽くし、相手を立て、筋を通す」
豊かな人間関係上の「原点」(源)と言える
当たり前のことを意識することです。
🔶「礼を尽くす」
人は一人では絶対に生きては行けない。
そのために日々触合う相手を強く意識
する心が「仁」「人間は二人」と書く。
「仁」は目に見えない観念それが形として
現れるのが「礼」です。
この「礼」とは、礼儀や作法、接する相手へ
の敬意などの気持ちを表現出来ることです。
🔶「尽くす」
「筆舌に尽くし難い」と同様に、
残さず表現することです。
🔶「相手を立てる」
自分が正しいと思っても、相手の立場が
悪くならぬよう配慮し行動する。
自分が正しいという主張を過度に行うこと
を避け、相手の正しい部分を認め褒める。
その為に相手を立てることが大切です。
「あなたの気持ちが私には解かる」
このひと言がとても大切です。
🔶目上の人を立てる
下の者が自然に目上の相手に対して尊敬
の念を込めて表す言葉で自分から言う言葉
ではありません。
自分を立てて欲しければそれなりの日々の
努力と精進、自省が必要です。
また、目下の者が目上の人(年長者)に向って
「あの人は本物」と発するのはその触合う相手
を立てることにはなりません。
「筋を通す」
筋は、自らが正しいと信じる「心の軸」です。
それは人間の精神の指標を指しその個人が
持つ選択判断基準です。
「筋を通す」とは“道理に叶う様にする。”
“物事の首尾を一貫させる。”と言うことです。
『命』という文字は、
人は、人生で「一度は叩かれる」と書きます。
長い人生で叩かれる試練は一度二度でなく、
何度もあると体感しました。
命を大切にすると言うことは叩かれること
を覚悟しなければなりません。
人間は、感情があるからこそ喜びや楽しみを
分かち合い、人生を豊かに出来ると思います。
感情
人は感情があるから悲しい思いや寂しい思い、
嫉妬、罪悪感、と言った、辛く苦しい思いも
体験して生きています。
また、解っていてもその苦しい思いと仲良く
出来ず、行動が感情に左右されてしまうこと
も度々あります。
※思い遣りの語彙を知る前の私もそうでした。
人間は考える動物ですから損得や保身を考え
自己の安全・安心を意識して動くこともあり
一方で人は、感情が相手に対し好意を覚える、
覚えないかで好き嫌いの感情が湧きます。
そして自然で自心に素直な「人徳」のある人
の話は心を楽にしてくれます。
人は、一般的に理屈よりも感情で動き、
その感情に訴えられることで納得します。
例えば、理屈で思考して動き言行する人と、
建前より本音をそれとなく何気なく語る人。
一般的に人は前者よりも後者のタイプの人
に好感を覚えるものです。
自分の価値基準(尺度)でルールや判断基準
を細かく決めて、しかも他人にまでそれを
強要する人には背を向け苦手意識を持って
しまうのが普通です。
これは今年のスポーツ界で話題になりました。
なぜならば物事の価値は人の心は人それぞれ
であり、それを無理やり押し付けられるのを
嫌がるからです。
但し、「人としての正しい基準」と言うに照し
合せる場合はそう言うことに当て嵌まらない
と思われます。
得てして、人としての正しい基準は感情に
逆らう場合もあります。
そのような場合は、その基準を素直に
一度受容れ理解することで成長を促します。
理性(≒コンプライアンスの認識)
今社会で多発している、
いじめ、各種ハラスメント、引き籠り、
孤立、自殺、犯罪などと言ったことは
自分の心と向き合うことに背を向けて、
感情を優先し「理性」を失うことが原因
(=起因)の一つであると体験しました。
そしてこの「理性」は、自心に人として
生きる道を正すことでもあります。
理性は、辞書に載っている(下記)以外に、
自分の心と真摯に向き合う活動に拠り
芽生える能力であると私は解します。
📚辞書検索-理性
1.道理によって物事を判断する心の働き。
論理的、概念的に思考する能力。
2.善悪・真偽などを正当に判断し、
道徳や義務の意識を自分に与える能力。
自らの感情を理性で省みる
「感情と理性のバランスが取れた
心身の活動をしているか?」
「人間として正しいのか?」
「コンプライアンスや人として
モラルに適しているか?」
「筋が通っているのか?」
「道理(人の道)に叶っているか?」
「相手への思い遣りが表れているか?」
などに照らし合わせることも大切です。
人は好意的な人の話は素直に聞き入れます。
相手にとって解り易い言葉使いや話し方、
好意的な感情を持って貰えるように思う
心から生まれるのです。
そうなれば相手は真剣に話を聞いてくれます。
人は感情の動物で、本能で動くことが「楽」です
故に、理性で我慢することに苦痛を感じます。
感情の侭に流され「刹那」に生きる人(体験有)、
感情を我慢でなく自分の中に在る感情と仲良く
して上手く自制出来る人、どちらが長い人生に
役立つかは言うまでもありません。
自分の感情と仲良く付き合うことは人生を
楽しくする一つではないかと思います。
また、自分で生み出した感情は自分自身で
何とかしながら仲良くすることも出来ると
体験し思いました。
これは、自分の感情と仲良くしそれに責任
を持つと言う「心の在り方」の考え方です。
自分の感情と仲良くしてそれに責任を持つ
考え方をした時、その感情を変えて行こう
と理性が働き自制します。
この活動は苦しい感情から抜道になります。
このような考え方が出来るようになると、
今感じている気分をどう変化させるかを
誰かに救いを求めるのではなく自らの
考え方で変えさせようとすると「楽」です。
己のその時の感情と理性=在り方・本質の
「人間として正しいか否か」に照らしてみる
ことを上手く組合せ生きることで人の心は
育まれるとも思います。
社会人の心得【本質・当たり前・正しい姿】
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