ビジネスマンの礼儀 【礼と仁】
「仁と礼」の理解と認識
現代社会は『仁と礼』が疎かになっている、
と感じられることが様々な処で見聞きします。
例えば、
年長者、目上の方や上司との会話上での
謙虚さ、敬意、思い遣り、礼節と言える、
🔳腕組みや足組みをして聞いていたり、
🔳目上の方への承諾を
「了解しました」と返事をしたり、
🔳喪中なのに「新年おめでとうございます」
と言った挨拶言葉を平気で使ったり、
🔳目上や教えを受ける人に
「参考に成ります」と平気で話したり、
🔳教えて貰うだけでその後の経過を伝えなかったり
🔳先人への節度の無い言葉使い
無礼と思われる幾つかの姿勢、
態度、言葉使いがあります。
(敬意表現の未知)
このような礼(≒敬意)を体現しない社会人が
年々増えているのではないかと思われます。
即ち、
利他的な『礼』を尽くさずとも
自由に生活出来ると安易に考える人が
多くなっているのではないでしょうか❓
【他人への礼は形を変え我が身に戻る】
とも体験からの学びです。
以下、
『礼』の大切さについて以下、
学びメモと論語から記します。
新渡戸稲造氏は、その著『武士道』で、
「礼は寛容にして慈悲あり、
礼は妬まず、礼は誇らず、驕らず、
非礼を行わず、己の利を求めず、
憤らず、人の悪を思わず」
江戸中期の儒学者太宰春台氏は、
「仁は目で見え難いが、義は行動となり、
礼は形となって表れ目に見える。
従って、礼を厳しく躾ければ、
その過程でなぜそうすべきか解り、
悪い心を持った人間でもその行儀作法と共に、
心も自ずから正しくなっていく」
とそれぞれ著書の中で記しております。
「礼」は、
「仁」によって育まれた気持ちを形とする。
「仁」のみであってはいけませんし、
「仁」なくして『礼』はあり得ないと言うこと。
即ち、「礼」は「仁=思い遣る心」を
具体的な行動として表したものです。
元々は宗教儀礼のタブーや伝統的な
習慣・制度を意味し、後に人間社会の
上下関係で守るべきことを意味している。
また、武道の基本とされている
『礼に始まり礼に終わる』
も多く社会に周知周されています。
孔子の論語の中にある以下の語に
「礼」の心が窺い知れます。
📖[季子第十六]
『礼を学ばざれば、以って立つことなし。』
📖[尭曰第二十]
『礼を知らざれば、以って立つことなし。』
※[原文の意味・解釈]
孔子は長男の伯魚に、
庭先で「礼」を学ぶことを強くすすめた。
「礼」を知らないと人格形成が出来ず、
人間関係が上手くいかないからだ。
伯魚の告白によれば、直接の父である
孔子から教えを受けたのは、
庭先で会って
「詩(学問)の勉強と礼の勉強」
を薦められた。
この二つだけだったと言っている。
さしずめ現在ならば
「庭先での教え」は家庭で親が子に教える
「躾の教育」≒道徳教育と言うことです。
また、孔子は「礼儀作法」を重んじた。
「礼」を知らない「無礼者」になるなと。
「礼」とは「礼儀作法」のこと。
今流に言うと「礼儀」は
「マナー」と「モラル(倫理・道徳)」、
「作法」は、「ルール・規律・規則」
と言えると考えれています。
※礼(れい)は、
様々なな行事の中で
規定されている動作や言行、
服装や道具などの総称。
春秋戦国時代、儒家によって観念的な
意味が付与され人間関係を円滑に進めて
日常生活での社会秩序を維持するための
道徳的な規範を意味するようになった。
礼に始まり礼に終わる 武道の基本。
この言葉の初出1907年7月『武徳誌』
に内藤高治が発表した論文「剣道初歩」。
熟語 礼記・礼拝・礼儀・礼装・礼服
【礼の字源】
↑禮の古い時代から用いられている略体「礼」より。
「禮」は、
「示」+音符「豊」の会意形声文字。
「豊」は、
「豆」に形よく供え物をならべた様。
形よく整えられた祭礼を意味。
【意義】
1.形よく整えられた行儀作法。
儒教の徳目のひとつ。
2.形よく整えられた儀式。 婚礼、祭礼。
3.社会習慣、慣習。
4.相手を尊重する取り扱いや挨拶。
礼遇、敬礼「礼」の漢字の
成り立ちは由来 形声文字です。
※漢字の成り立ち事典より「礼」。
まず以前に学んだ「しめすへん」です。
神様へのお供えをのせた台を
かたどって出来た文字でした。
「豊」の文字と合わせて収穫の感謝を
表した「禮」の文字が存在しました。
「礼」は神への感謝の気持ちで
「禮」は五穀豊穣の感謝を示す
文字として使い分けられました。
今は「禮」は略され
「礼」の漢字で統一されました。
私見で
「人間の豊かな心」
と解しています。
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