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日本人の心の大黒柱「思い遣り」

対人関係力-思い遣る心を働かす


自分に合った「思い遣り」の表し方を知る

思いやり

問-1.「思いやり」は、
  どんなことを言うのでしょうか?

問-2.相手を「思いやる心」
  その具体的な表し方?

問-3.「思いやる心」
  を伝えるための心の持ち方は?

(答えの参考)
私の場合、「思いやりってなに?
この一言がその後の生き方が
大きく変え道標になりました。

サービス業や人に関心を持ち、
その触れ合う相手の心や活動に
興味を抱かなければマナーの心と言える「思いやる」心は備えたい、 
持ちたいと考えているだけで持てるものでもなければ、どんなに本
を読んだり人からの話を聞いたり
しても備わらないと思います。

また、「思いやり」は、
人の触れ合いや人間関係に於ける
体験の積み重ね自分の心との闘いなどから、自らの心に自然に
生まれ育つ意識です。

こじ付けやゴリ押し、見返りを求める意図的な「思いやり」の意識や活動は、わざとらしさやよそよそしさを感じさせますから、平らで
冷静心と心を備えていれば接し
触合う相手が直感的に是非が
分かります。

自の心に背を向け、自分の頭の中だけで考えるだけの「思いやり
はただ単に「思い込み」であり
その人の心が表われる「思いやり」とは言えません。

それは、身勝手で独りよがりの単なる「重い槍」の「思い込み」である
と捉えます。

💞【思いやりの名言】-美輪明宏氏の言葉

 〇自分に思いやりが足りない人ほど
  相手に思いやりを求める。   
                  
 〇自分の言葉が相手を傷つけていないか、
  まず反省してみる。

📚辞書検索

「思いやり(遣り)」-(国語辞書検索 goo辞書)
1 他人の身の上や心情に心を配ること。
 また、その気持ち。同情。
2 想像。推察。
3 思慮。分別。

[思いやり解説]⇒意義素
 (=夫々の言語単位に一定して結びついている意義)
・配慮(思遣り)→相手の気持ちを察し、気付くこと。
 (心遣い・洞察)
・思慮→人の身について考え、思い巡らす(想う)こと
・同情(≒立場転換)→相手の立場や気持ちを理解しようとする心
・知恵→体験や知識を現実に応用出来る能力
・おもてなし→相手を心から歓迎しようと思う気持ち
・利他心・心尽くし→他人のために尽くす心
・配慮→他人を慮る(オモンバカル)気持ち
・想像→自分以外の者がどう思考するのかを考える
(以上辞書検索終)

日常生活は勿論、社会生活での対人関係、
コミュニケーションでも潤いのある人間関係構築
に他人への「思い遣りの心」は欠かせません。

この「思い遣り」は、人の心から出る個性豊かな
心の行動でその内容・表現法は人様々です。

人生半ばまでの私のように、
思い遣り」など気にせず情欲(我欲)が勝り、
人の心を意識せずに格好の良い表面上の所作
ばかりに気を取られ、人に認められたい、
好かれたいなどの自己欲求満足を求める人、

利己的な自分を理解せず自己顕示欲の旺盛な人、
また、誰もが備えている気持ち「思い遣り」の
大切さを知らずにいる人、何となく解っていても、
具体的にどんな気持ちなのか?を知ろうとしない人、

今現在、目の前にある楽しみや己の楽に
身を委ね、人の心など全く意識しない人、

自利利己・身勝手な安心・立場保身・世間体
と言う人の思惑や見た目・外面などを優先する人、
など「思いやりの心」や活動を意識しない人、
を見られるモノと情報に溢れ現代社会環境です。

この「思い遣り」の心を言行や態度などの
心身の活動に表せる人になるのは
周りの支えて下さる人の大切さに気付き、
一人の人として心の重さを知り、
そのために自分と真摯に向き合うことの
必要性を強く意識しない限り様々な情報が
飛び交う現在の社会環境では難しいです。
でも、実社会に目を向けると現実として
多種多様な事例があります。

例えば、客商売、ビジネス上の顧客、
ファンや支援者があっての文化人、
プロスポーツマン、芸能人、経営者、
コンサルタントなどに従事する方々は
この重要性を自覚認識した基礎からの
マインドやフィジカル作りをしています。

その合言葉は、
誰にでも可能性が有る「仁の心」、
「お客様やファンを心からの笑顔にし、
 心の満足感や幸福感、感動を提供する」
と言う心ではないか?と考えられます。

そしてその心は古から日本に伝わる
「情けは人の為ならず」「因果応報」
「陰徳あれば陽報あり」「善因善果」

と言う自らの心に返ることを表しています。

思い遣り」は、
自分が相手の心を感じ取る想像力(洞察力)
と純粋で親切な人として自分の気持ち
(思い・想い)の心身の活動の表れです。

その気持ちは受け取る相手にとって、
望み求める嬉しいことなのか?
それとは逆に嫌なことなのか?
どうなのかには全く関係がなく
相手の気持ち次第で行動様式が変化します。

思い遣りの心」が相手に伝わらず、
言葉や行動が空回りし不本意な誤解を受けたり
要らぬお節介になったしまったりして
相手を困らせ遠ざけてしまい、想定外な結果
として表れてしまい疎遠になったりして、
大切な人や友人を失ったことはありせんか?

また、「思い遣り」は、時に一方的な身勝手な
強い思い(想い)の押し売り(≒思い込み)となり、
結果として相手に重く受止められ思いもよらぬ
展開になり『相手を苦しめ、辛い気持ち
にさせてしまうことも時にあります。

相手の気持ちを考えず、
唯々「相手の為に」を思い行動をするのも、
相手にとってはお節介と感じ取り、
返ってお荷物になる場合もあります。

この行為の度が過ぎると「いじめ」「ストーカー」
「引き籠り・うつ病」の起因・原因や社会のルール=
刑法に触れる行為、人として成してはならない
事件を引き起こすことにもなり兼ねません。

先年の大阪のクリニックでの無差別殺人事件
昨年の身勝手な思い込み京アニ無差別殺人事件
など近年多発している悲惨な事件の誘因は
人を思い遣る心」の不足・人間力の未熟さ
に因ると私見ながら受け留めております。

インバウンドで経済が上向きな中、私達は、
和=調和の国と言われて来た日本人らしさに
改めてリアルバーチャルな眼を向ける時期に
あるのではないか❓と言う思いを強く抱いています。

人のために成ることをしよう(したい)
と言う心温かな優しい若者が増えている中
子供達の格差が生まれ子供食堂が無くなる
社会生活環境にするために欠かせない心、
先ず人を思い、思い遣る心の拡散に努めましょう。

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