知的腸活のすすめ【便と勉強のアナロジー】
前回は「不便」について書いた。
今回は尾籠な話で恐縮だが「便」について書こうと思う。
「便」の語源
「便利・不便」と「便所・大便」の便は、詳細は明らかになってはいないものの、語源的な繋がりがあるそうだ。
「便」という漢字の本質は、「支障がなく安らか、都合がいい」だとされている。
つくりの「更」は平らにならした様子を表し、そこから「支障がない」というイメージに結びついたのであろう。
この語源、常日頃から便通が悪くウォシュレット至上主義過激派の私としては、いささか首肯しがたい。
しかし、このことは私自身の摂食過程に問題があると思っている。
というのも、とてつもなく早食いなのだ。
適切な咀嚼がなされぬまま食物を体内に取り込むと、消化器官に余計な負荷がかかるため、胃酸過多になったり消化不良になったりして、健康な便も出なくなる。
現代のファストライフにどっぷり浸かっているている私は、排泄・移動・一人での食事などにおいては、少しでも短い時間で済ませられれば良いと思っている。
そうでない場合には何かを同時進行で行わなければ気が済まず、ただふんばっている時間、ただ運転している時間、ただ食べている時間というのはそわそわする。
マルチタスクにはメリット・デメリットがあり、かえって効率が悪くなるという話もあるが、たとえば排泄中に読書をしたところで、それが原因で便の出が悪くなることもなければ、読書に集中できないということもないような気がする。
私みたいな人間がいるのだから、「スローライフ」が声高に叫ばれるのもさもありなんといったところだ。
咀嚼が消化を助ける
さて、日頃教鞭をとっていると、アウトプットを前提とした知識のインプットを行っていないように思われる子供を多く見かける。
インプットの段階でしっかりと咀嚼せずに丸飲みしようとするから、適切なアウトプットが行えない。
覚える段階で理解が不十分なまま飲み込むから、思い出すのに苦労するのだ。
丸暗記した知識はアウトプットすることに時間がかかる。
咀嚼不足による消化不良で硬便化してトイレにこもっているようなものだ。
「うんこ」の語源は、いきむ声の「うん」に接尾語の「こ」がついたものであるから(「ひよこ」「わんこ」なども同じ成り立ち)、思い出せずに「うーん」と唸っている時間はある意味うんこ中であると言えるのかもしれない。
また、食べたものは酵素を触媒として栄養に変わるが、咀嚼によって細かくなることで表面積が増えて栄養もしっかりと取り込める。
しかし、咀嚼が不十分だと未消化のたんぱく質や脂肪が大腸で悪玉菌の餌となり悪臭を伴うガスを発生させる。
これがおならだ。
咀嚼が不十分な丸暗記ストのおならも臭いに違いない。
と、出鱈目を言ったつもりだったが、ストレスとおならの回数には相関関係があるようだ。
丸暗記でストレスを抱えている人は、本当に腸内環境が悪くなっているかもしれない。
丸暗記という行為は、考えることを放棄した人間への罰なのだろう。
「勉強が嫌いだから丸暗記に頼る」は間違い
消化不良を起こすだけでなく、教科嫌いも引き起こすのも丸暗記の弊害だ。
食事においては、咀嚼して口の中で攪拌すればするほど、舌の味蕾の中にある細胞がグルタミン酸やイノシン酸などのうま味成分を感じ、副交感神経が優位となって多幸感が得られる。
勉強も同じだ。
嫌いだから丸暗記になるのではない。
噛まずに丸暗記などしているから、勉強という営みの旨味が感じられず嫌になるのだ。
丸暗記はメモリ容量を無駄に割く
さらに、丸暗記は脳のメモリーを無駄に割くために、負担が大きくとても疲れる。
社会科を例に挙げると、アンデスの高地でじゃがいもが栽培されていることは丸暗記せずとも、じゃがいもが寒さに強いこと(これもたとえば北海道のジャガイモ生産量が多いことから帰納される)、そして標高が高いと気温も下がることから十分推測が可能だ。
脳のメモリ容量などこれっぽっちも割いていない。
理解につまずいたときは一度後回しにして時間を置いてから再度挑戦するのもよいだろう。
牛に代表される反芻動物は一度食べたものを再び口内に戻して再咀嚼することで消化を助ける。
「食べてすぐ寝ると牛になる」というが、丸暗記するぐらいなら牛になった方がましかもしれない。
まとめ
このように、適切なアウトプットを行おうと思ったら、よく噛まず飲み込むような丸暗記の勉強はご法度(はっと)だ。
よく噛んで、反芻する知的腸活、それこそが正しい「便強」である。
お後がよろしいようで。
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