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波野ノリスケはかく語りき【過度な機械化を憂う】

ノリスケ、n度目の出禁

2022年9月4日放送の『サザエさん』で、ノリスケが磯野家をn度目の出入り禁止となった。

叔父の波平が急病だと偽り、会社に遅刻する言い訳にしたことがバレたのだ。

相変わらずの人間臭さで実に愉快な男である。

その放送後に行われた公民の授業で、核家族と拡大家族の違いを野原一家と磯野一家で説明するということがあった。

その際に件のノリスケ出禁話になったのだが、そこで話した有名なエピソードの一つとして、「全自動卵割機」というものがある。

露店で全自動卵割り機という商品が売られているのを見掛けた後、波平がそれを買っていたとは知らずに

「あんなものを買うのは、自分で卵も割ったことがない関白亭主ぐらいだ」

と本人を前に痛烈に批判する。

波平は怒髪天を衝き(?)、

「ノリスケ!お前は当分出入り禁止だ!」

とお決まりのセリフを吐く。


相手の批判に過剰に反応する時というのは、その批判が芯を食ったものであることが多い。

潜在的にしろ顕在的にしろ、わかってはいるものの目を背けたい事実を他者から指摘されたときにこそ、人は過剰に反応するのである。

「卵くらい手で割れよ」というのはきっと視聴者の総意であろうし、波平もわかってはいるのだろうが、そこで引いては一家の大黒柱としての威厳が保たれないのだろう。

「勉強しなきゃなー」と思っているときに他者から「勉強しなさい!」と叱咤を受けて無性に腹が立ち、モチベーションが下がるという現象と同様である。


過度な機械化の風刺

さて、ここからは深読みおじさんタイムだ。

このエピソードはノリスケの失態を面白おかしく描くという要素以外に、過度な機械化を追い求める社会を風刺する要素を内包しているように思う。

機械化・自動化は人間の暮らしを飛躍的に便利にした。

新三種の神器と言われるロボット掃除機・食洗機・洗濯乾燥機などは、その際たる例だ。

しかし、散々論じられている通り、便利さは人間がもつ原初的な能力を衰えさせる側面もある。

子供達の勉強の様子を見ていても、時間がかかるとか、面倒くさいとか、そういったことに免疫がない子供が増えているように思う。

不便であることはそんなに悪いことだろうか。

決してそんなことはない。

むしろ不便であることがプラスに働くことはある。

川上浩司氏はこの不便さがもたらす利益を「不便益」と呼んだ。

たとえば我々が授業するときにおいても、便利な公式をあえて教えずにまずは考えてもらうということが多々ある。

公式に頼らずに立式して答えを出すというのは大変手間がかかり不便であろう。

しかし、そうやって苦心して頭を使い考えることが本質的な理解につながる。

我々は子供たちにとってわかりやすい授業を目指しているが、一方でわかりやすすぎる授業は子供たちの考える力を奪うことにもつながる

だから、あえて不完全な状態で、あえて不親切に伝えるということも行うのである。

イギリスの歴史学者トレヴェリヤンは次のように唱えた。

「教育は、本を読むことはできても、どの本が読む価値があるかを見分けることができない人を増加させた」

George Macaulay Trevelyan (1876-1962)

薬も過ぎれば毒となるが、親切すぎる教育は子供たちの主体的な思考力を奪うのである。


地元川越も不便益で発展した町

来週は地元川越で百万灯祭りが開催される。

そのメインストリートの一つのクレアモールも、かつての町の不便さが発展させた通りである。

かつてのメインストリートは蔵造りの街並みが見られる一番街のあたりであった。

その後、川越鉄道の川越駅(現在の本川越駅)や、東上鉄道の川越町駅、川越西町駅(現在の川越市駅、川越駅)が開設されるが、両鉄道が競合していた関係で接続されることはなかった。

現在これらの駅を活用する際に、その不便さを呪った人も多いのではなかろうか。

しかし、それらが接続することなく存在し続け、駅間を徒歩移動する必要があるという不便さがクレアモールを発展させ、メインストリートが遷移したのである。

便利であることは否定しない。

むしろ積極的に便利さを享受したいと思う。

しかし、不便であること、時間がかかることや非効率なことは、決して常にマイナスであるということはないのである。

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