妻は奴隷ではなく家畜

女は男に「出産や家事の義務など」を強制される奴隷のような存在というのがフェミニズムでは自明とされている。ここから、女の解放・社会進出・男女平等は絶対的な正義という観念が出てくる。

私は幸運でした。私は出産や家事の義務など女性を隷属させるいろんなものをまぬがれていましたから。それに、職業的にも私が若かったころは本格的に勉強をする女性はわずかで、哲学の教授試験合格に合格することはエリート女性であることを意味しました。要するに私は男性に自分を認めさせたわけです。
個人的な面では、一番大事なことは働くことです。そしてできれば結婚を拒否すること。
最近になって、子どもを産むことは女性にとって厄介な罠だと思うようになりました。だから母親になるな、と女性に忠告したいのです。
子どもから解放されないと女性は解放されない

しかし、これは根本的な誤りで、奴隷ではなく猫のような家畜というのが実態に近い(「家畜」という言葉に過剰反応しないように)。

哺乳類は乳を出す母親が子を育てるのが普通だが、ヒトは直立二足歩行に伴う体型変化のために子を未熟な状態で産んで長期間育てる必要が生じ、母親だけで子を育て上げることが難しくなった(未熟な子を抱えながら、他の男の襲撃を避けて食料を調達しなければならない)。そのため、他の動物なら精子を提供するだけの男親が、母子の用心棒兼食料調達係として長期間協力するようになったと考えられている(→核家族と家父長制の形成)。

結婚の第一義的な意義が繁殖にあるのは自明である。
労働の性的分業は、カルチャー・ユニヴァーサル、つまり人間社会に普遍的な慣習の一つである。
起源的家族は、夫婦を基本的要素とする核家族型のものであった。
女性のステータスは高かったが、女性が集団の中で男性と同じ職務を持つわけではない。

男は女を囲い込んで養うことで、自分の子孫を残す確率を高められる。女も男に囲われて養われることで、自分の子孫を残す確率を高められる。繁殖におけるwin-win関係である。

この男女の関係は、男→人間、女→家畜、子→家畜の生産物に当てはめられる。

人口の爆発的な増加は、人間以外のほとんどの生物にとって災難でしかない。しかし、幸運にも家畜や作物としての身分を保障されている生物にとってはそうではない。家畜や作物はわたしたちとともに繁栄の道を歩んできたのである。
家畜化された動物の祖先(野生原種)の多くも新石器時代以降に絶滅した。だが、家畜のなかには絶滅したものはいない。ラクダやイエネコ、ヒツジ、ヤギについては、それぞれの野生原種は消滅の瀬戸際にいるが、家畜化された子孫たちは地球上の大型哺乳類のなかで最も多い部類に入るのである。進化という観点からすれば、家畜化されて損はなかったのだ。
だが、家畜の成功にはそれ相応の代償もある。進化の主導権を握られてしまうのだ。家畜や作物がどのように進化するか、その運命の支配権のかなりの部分を、人間は自然からもぎとってしまっている。

人間の女は自由を男(夫)に制限されて主導権を握られる代わりに、妻としての身分を保障されて子育てを成功させる確率を大幅に高められた。繁殖という観点からすれば、「家畜化」されて損はなかったのである。

ところが、ボーヴォワールや上野千鶴子のような子を産むつもりがない女にとっては、自分が男たちから「家畜の一匹」として見られることは耐え難い屈辱なので、女を家畜の立場から解放して人間(男)の一員として扱うことを要求するようになる。この「自由を求める思想」がフェミニズムである。

フェミニズムとは何か。女が男と同じように行動したがることです。ラディカルなフェミニズムが定着したあらゆる国で、女性たちが子どもを作らなくなったのは偶然ではありません。シモーヌ・ド・ボーヴォワールがまさしくそうです。
私はフェミニズムが男との平等を求める思想である以上に、自由を求める思想だと思っています。平等より、私は自由がほしかった。性的な身体の自由はとりわけ重要なものだと思っています。それを結婚によって手放すなんて、考えただけで恐ろしいくらいです。

しかし、女が自由を手放して家畜になったのは、単独では困難な子育てを成功させるためなので、解放されて野生に戻されれれば、たちまち生活と子育てに行き詰まったり、子を産みたくても産めない女が続出することになる。貧困に陥るシングルマザーが多いのも当然のことである。

もっとも、子の有無にかかわらず、経済的・社会的に成功した女にとっては、「女の義務」を果たさないことを絶対正義として正当化してくれるフェミニズムは実に都合がよい。彼女たちは国の政策に影響を与えるオピニオンリーダーになれるので、解放されたために路頭に迷ってしまった女を出しにしてレントシーキングに励んでいる。"Sisterhood"は「ただの女」を煽動するための方便で、最初から存在していなかった。

「男女平等」の資本主義的解決は、エリート女とただの女への女性労働者の二極分解である。この現象は、女性解放先進国でのきなみ起こっている。
Feminism has always and inevitably been driven by the educated and well-connected, but today’s feminists are also obsessed with their own elite, metropolitan lives. This is deeply depressing. It is also having a pernicious effect on politicians and policy-making.
It is a victory over historic discrimination. But it also means that the female elite is increasingly different from other women. Class trumps gender. And inequality among women is rising much faster than inequality among men.
Modern elites depend on cheap labour. Elites always have done, and this hasn’t changed just because the elites are now co-ed..
Workers in these sectors are low-paid. They are part of the 24/7 service economy which underpins professional lives. They are also overwhelmingly female. “Sisterhood” is dead. Different women have very different lives, and interests.

この構図は共産主義革命と同じで、オーウェルの『動物農場』を

🐷→経済的・社会的に成功したエリート女
🐕🐏→🐷の取り巻き(ツイフェミなど)
🐄🐎🐐🐓など→ただの女
農場主→男(のエリート)

とすればぴたりとあてはまる。これがマルクス主義を援用した🐷の当初からの目論見である。

上野 家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。

人間(男)よりも🐷の方がただの女にとっては過酷な「主人」になることも、妊娠・出産のアウトソースを無邪気に語っていたフェミニストが証明してくれている。フェミニズムは「出産や家事の義務など女性を隷属させるいろんなもの」から自分が解放されることを求める思想(個人的なことは政治的なこと)なので、技術的に可能になれば、出産を他者に丸投げする発想が自然に出てくる。「女の仕事」は女にしかアウトソースされないので、ただの女は🐷の賃金奴隷にされることになる。

 卵子凍結の次に来るのは代理母だと思うんです。
 卵子凍結をしても自分で産むにはリミットがあるから、その流れは必ず来ますね。
 そもそも男性って女性のパートナーに代理で産んでもらって、親として認められているのに、女性だけが自分で産まないと認められない、なんておかしいですよね。大事なのは子どもに愛を注ぐことではないでしょうか。

(この子供に対する感覚は、ペットを溺愛するが世話は他人任せにする飼い主と同じ。)

家畜は自由になっても人間ではなく動物なので、自分(と子)の利益の最大化だけが重要で、人間社会の秩序の維持に必要なギブアンドテイクや公正や包摂の観念をhard-wiredされていない。男を囲い込んで養うこともない。これが男女共同参画が社会的排除される男女を増やす根本理由である。

人間は大まかに、「家族」と「共同体」、ふたつの集団に属して生活しています。家族では血縁や愛情を重視し、見返りを求めることなく奉仕できる関係を保っている一方、共同体には基本的にギブアンドテイクの関係が求められます。
翻って、サルはメスの血縁関係を中心に自分の利益を最大化するために群れをつくる動物です。つまり、利益が侵されるなら集団には残りませんし、利益を侵す者を集団に組み入れることもしません。
個人の利益さえ守られればいいなら、人は他人と何かを分かち合う必要がなくなり、他人を思いやることもなくなってしまうでしょう。

上野千鶴子は『女遊び』にこの(⇩)ように書いていたが、フェミニズムとは利己主義者を社会に解き放つ危険思想であることのエビデンスがどんどん積み上がりつつある。

考えてみたら女は昔からエゴイストだったのではなかろうか。それがいろいろな事情でおさえられてきただけなのだが、そのおさえが、このところはずれただけなのかもしれない。

フェミニズムは🐷のために働く女奴隷を必要とするエリート主義的な思想であり、民主主義の基本的な理念とは矛盾しているのである。

古代ギリシャの民主主義がなぜ失敗したのかについて話しましょう。簡単に言えば、その民主主義が「みんなのための」民主主義ではなかったからです。当時は奴隷がいました。奴隷は、民主主義の基本的な理念と矛盾しています。奴隷は奴隷所有者のために働くことを義務付けられており、自分のしたいことを行うことができません。こうしたエリート主義的なシステムでは民主主義は実現しませんでした。


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