Pirori

きまぐれ準日記の妄言

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きまぐれ準日記の妄言

最近の記事

知覚を再編集するために

絵を描いた。 最近だとAI絵画が話題に上がる。 このトップの絵を見た友人がAIを疑う。 それと同時に新しい知識が累積した。 なぜ趣味に没頭するのか、 なぜ多趣味なのか、 日常生活で絶え間なく考えている。 その中、 先のような知識の累積を経て思う。 知覚を再編集するためだと。 以前、 趣味多さや深さは孤独であることの証拠だ、 と述べた。 確かにそれもそうだとは思う。 加えて、 物事の捉え方が変化する、 つまりは全人格的変容が起こるとも思う。 新しいものを得るたびに、

    • Rapport

      日本語にはない美しい単語が他言語にある。 その中で私が一目惚れした単語が、 " rapport (ラポール)" この言葉を知ってどれほど経っただろう。 なんとなくずっと頭の中に残っている。 アーティストであるキタニタツヤが、 "Rapport"を冠した曲を出した。 紡ぐ言葉があまりに美しかった。 詞を聴き、想いに耽る。 この頃特に身に染みている。 相談事をよくされる。 性別や年齢はあまり問わずに。 同学年の女性、 アルバイト先のアラフォー男性、 定年退職した元教師の女性

      • 宗教であり、血液であり。

        きまぐれな妄言だと自分で保険をかけたことで、やっぱりきまぐれな文章をきまぐれに思い出してはきまぐれな時間にきまぐれに書き殴る。 急かされることなく自由でいたい。 そんな私は言葉の重みにはよく気を遣う性分で、ことあるごとにその組み合わせに感嘆する。 人はそれぞれに文化がある。 琴線の触れ方はそれぞれである。 無意識のうちに摂取した趣味や娯楽、形成された環境や人間関係。 自分たらしめるものは無意識に形成されてきた。 趣味や娯楽、強いては勉学においても、それらは無駄なもの感じる

        • 地方という名のガラパゴス諸島

          「海外旅行が趣味で」 有名企業のインターンシップに参加すると、 そんな言葉が容易に飛び交う。 かつて社会学者ブルデューは、 当人が意識しないうちに身につけた言葉遣いや考え方、センスや振る舞いといった心的傾向を「ハビトゥス」と名付けた。 まさしくそれを感じた。 身なり、経験、趣味、余裕。 探るほどに経済的な差が浮き彫りになる。 生活財源としてではなく、 自身のキャリア形成のためにアルバイトの職種を選択できる階級におられる。 彼ら彼女らと何が違うのか。 ふつ気づいた最も

        知覚を再編集するために

          浪漫チスト・D

          ここ数年、 同世代が活躍する姿を特に見るようになった。 目にする度、 その人には羨望の目を向け、 己には蔑んだ感情を催す。 現在は活動休止してしまったバンドだが、 ロックバンドPEDROのメンバーであり、 かつアイドルグループBiSHのアユニ・Dも、 その羨望の的である。 若くしてアイドルグループに加入したが、 今では確固たる「個」が確立されているように思える。 その人だから出せる色。 色にこだわる性分なだけあり、 その人の唯一性に特に惹かれる。 「歌が上手い」より

          浪漫チスト・D

          笑いと、父と、

          「もうさ、高1だよ?」 録音したラジオの向こうから、 アラフィフのおじさんが熱く話す。 この春高校生になったばかりの娘の話。 『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』に、 レギュラー放送当初からお世話になっている。 1番辛い時期に心の支えとなった番組。 2022年4月6日の回、 パーソナリティの佐久間さんの声が、 いつものようにイヤホンの向こうで跳ねる。 時間の出来たある日に箱根神社に行くと家族に伝えると、奥さんは仕事があり行けない。 一方、娘さんは「暇過ぎる」「神社好

          笑いと、父と、

          今世でもしっかり生きてます。

          『来世ではちゃんとします』なんて言葉は、 今世はちゃんとできてない証拠か。 今世はもうだらしな過ぎて、 今世では親不孝できなそうで、 今世では理想を叶えられなそうで。 人間みな何か拗らせてる。 けれど、 それなりに生きていればいい。 それだけで無問題。 30歳になって婚約相手もおらず、 過去の同級生たちは出産報告に精を出している。 みなさまよしなに王道に沿っているが、 当人は5人のセフレに欲を満たしてもらう日々。 ドラマ上の架空にしては、 時折見せる姿に哀愁を感じずに

          今世でもしっかり生きてます。

          飽くまで

          『本を読まないということは、 そのひとが孤独でないという証拠である。』 太宰治が『如是我聞』に記した言葉である。 この言葉を現代的に、ポップに、 解釈を広げて変換するならば 「趣味がないというのは、 そのひとが孤独から遠い場所に在る証拠である。」 とすることができるのだろう。 孤独からの距離。 それが趣味で表せるように思える。 そしてまた、こうも言い換えられるのではないのだろうか。 「趣味が少ないというのは、 そのひとが自らの欠けているものが見当たらないことの証拠で

          飽くまで

          科学≒哲学

          『理想的な官僚とは、憤怒も不公平もなく、さらに憎しみも激情もなく、愛も熱狂もなく、ひたすら義務に従う人間のことだ』 この社会的システムを謳うマックスウェーバーの引用に、『シニカルで歪んだユーモアの持ち主』はフーコーやベンサムの言葉を引用して返すだろう。 『システムというよりは巨大な監獄では。パノプティコン。一望監視施設の最悪の発展系。最小の人数で最大の囚人をコントロールする』 進みすぎた科学と政治は、哲学による風刺描写の餌になる。 もしも、科学技術によって人間が犯罪者に

          科学≒哲学

          香る花

          時に、語感がひたすらに良い音楽に出会う。言葉選びの良し悪し、メロディーやリズムの良し悪し、色々理由はあると思う。 もし、なぜ語感が良いのかを尋ねられるとするならば、「声が楽器として扱われるから」と答えるだろう。歌声然としたものではなく、あくまで楽器隊の一部としての溶け込み。メロディーやリズムの一部としての調和。それが語感の気持ちよさを演出しているのではと思う。 運転する車の中で流れ続けている『NEE』というアーティストが、その例だと最近感じる。 2019年。受験勉強の暇に音

          香る花

          言葉選びには慎重な性分なもので、書いては消してを繰り返し、結局は簡単な言葉さえも呟くのに躊躇う。 ふと書き物をしたいと思うのは、「書きたい自分の情動」と「書けない自分の克服」が織り重なっているからだろう。 気まぐれで書き始めたこの投稿は果たしてどちらに寄っているのか。気まぐれなりに、忙殺される休みの暇に書き殴ってみたい。