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「小説 名娼明月」 第49話:阿津満(あづま)の死

 阿津満(あづま)の病勢は、いよいよ募った。十二月五日は雪を以って明けた。真っ白く明け放れた空には、なお小歇(こやみ)なしに綿雪が降る。雪を踏んで寒そうに仕事に出かける長屋の人もいる。
 阿津満は、目をつぶったと思えば開き、開いたと思えばつぶりして、窓の向こうに見える雪を力なくながめていた。
 頭は惘然(ぼんやり)となってくる。そうして眼界にある総ての物が影薄く眼の底に映ってくる。それでいて古郷を思い、亡くなった夫を思った。これから先のお秋の身の上も思い、金吾のことも思ってみた。そしてもはや、自分の病気の快(よ)くならぬということを思って、黯然(あんぜん)となった。
 阿津満は、お秋を枕辺近く呼び寄せて、その手を握り締め、はらはらと涙を流した。

 「金吾を捜し当て、そなたを金吾に渡すまでは、どんなことがあっても死んではならぬと、これまで気を引立ててはいたが、このごろの寒さに一層病勢を進まして、今度ばかりは助からぬ命と知った。今日死ぬるか、明日死ぬるかは知らぬ。けれども、自分が死んだ暁は、そなたは速やかにこの地を発って、金吾を捜し出し、二人古郷備中に帰って、窪屋の家を再興するまでは、どこまでも心を雄々しく持って、気を墜(おと)してはなりませぬ。よく今まで孝養を尽くしておくれであった…」

 と言って、後は涙に消されて声が出なかった。

 「何でそんな心細いことを!」

 と言って、お秋はその場に泣き伏したが、阿津満の病気は、日の暮れるころより、いよいよ危険に迫った。近所の者も、移り変わりやってきて、介抱に手を尽くしたけれど、何の甲斐もなく、阿津満はお秋の手を握りながら、眠るがように呼吸(いき)を引取ってしまった。
 母の死骸に抱き付いて泣き崩れるお秋を見て、長屋中の者は皆袂(たもと)を絞った。

 「もう一度、母上を郷里に連れ帰って、安らかな日が送らせたかった! 金吾を捜し当てて、喜ぶ母上の顔が見たかった! どうせ死ぬる者であったらば、せめて今少し綺麗な家で安らかに死なせたかった! 巡礼の不自由がちな旅も母上と一緒であるから楽しかった! この長屋の詫び住まいも、母上と一緒であるから楽しかった! 寒い夜ごとの門演(かどづけ)も、母上の病を養いたいと思えばこそ嬉しかった! 然るに、今はその母上もない! これから先、何を楽しみにして生きてゆくであろうか!
 思えば、父上大阪に戦死あそばされてより三年余り、その間一日とて母上に安い日、楽しい日とてはなかった!」

 と、お秋は身を破る嘆きと悲しみの中に、近所の助けを借りて、母の野辺送りを終わった。西国の見知らぬ墓地に建てられし一基の新しき卒塔婆(そとば)と、お秋の身から離さぬ新しき白木の位牌、詣るごとに、見るごとに、思い出は思い出を生んで、嘆きはそれからそれと新たになる。
 かくて七日七夜は涙の中に暮した。
 お秋は今一つの役が残っている。それは良人(おっと)金吾を捜し出さねばならぬことである。これは母が死ぬる間際まで重ねて言っておったところである。そうして本来、この旅はそのために始めたものであった。
 されば、いかに母の死を嘆けばとて、お秋はこの事を忘るることはできぬ。

 「今はただ、いたずらに泣き悲しむべき時ではない。一日も早く、旅を続けて、良人金吾を探し出し、古郷に帰って家の再興を図らんこと、これ地下の母上に対する、せめての慰めである。孝養である。
 路金の貯えとては無いけれども、元の巡礼姿に身を窶(やつ)せば、自分一人の飢えは優に凌げる。
 今は日本六十余州、誰を杖柱と頼むべき人もなき真の一人身である。
 艱難も来たれ! 辛苦も来たれ! こごしき岩根も越えよう! 荒(すさ)ぶ海をも渡ろう!」

 と、天下に己(おのれ)ただ一人と、強く胸に刻(ほ)り付けしお秋は、涙の裡(うち)から勇ましく奮い立った。


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