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新撰組の土方歳三

「そうだな。そろそろ帰るとするか」
 函館五稜郭内の陣で一人の男が呟いた。

「土方さん、どうかされましたか?」近くで武具の手入れをしていた市村鉄之助が振り向き尋ねた。

「ん、いや、それより鉄。皆に集合をかけてくれ。榎本さんから舶来の酒を貰ったんでな」
「はい!承知しました。すぐに集合させます」そう言うと鉄之助は揚々と皆の所へ駆けて行った。
「全く元気なやつだ」

 男の名は土方歳三。かつて新撰組の副長だった男だ。 

 江戸時代末期。ペリー来航騒動を皮切りに様々な思想が氾濫し世の中は荒れに荒れた。特に京の街では騒動に乗じて天誅の名の下にテロや暗殺が日々横行していた。

 そんな京の治安を回復するべく召集された浪士集団が新撰組だった。各地から集まった有象無象の浪人集団を土方歳三は破れば切腹の鉄の掟「局中法度」を用いて見事に浪士達を組織化した。

 新撰組の活躍は著しく日々の市中見廻りに加え、池田屋事件や禁門の変などでも大きく功績を残した。
 最盛期には西本願寺に屯所を構えるまでに至り隊士の数は200名を越えた。そして新撰組は名実共に京の治安維持を担う存在として、その地位を確立した。
 だが、その裏側では武士よりも武士たらんとする「局中法度」の名の下に土方は法度破りの隊士に容赦無く切腹を命じた。冷徹に職務を遂行する土方の事を皆が鬼の副長と称して恐怖していた。

「土方さん。今、持ち場に着いてる隊士以外は全員集まりました」

「そうか。今日は良い酒が手に入ったから皆に振る舞ってやろうと思ってな。鉄。皆に配ってやってくれ」土方は数本の酒瓶を掲げ鉄之助に渡した。

 鉄こと市川鉄之介は鳥羽伏見の戦いの直前に新撰組に入隊し、それ以降ずっと土方の小姓として付き従っていた。
 鳥羽伏見の戦いでは直前に負傷した局長近藤勇に代わり急遽土方が新撰組を率いて参戦していた。しかし、新政府軍の掲げた錦の御旗と圧倒的な近代兵器の前に幕府軍は大敗を喫した。
 そして、この日より一転、幕府軍は天皇に対して弓を引いた賊軍と称された。
 生き残った新撰組隊士達も連日離脱や脱走が相次ぎ、この頃結成以前から苦楽を共にしていた永倉新八や原田左之助とも袂を分かつ事になった。
 幕末という時代の大いなる濁流はそれまで絶対的に存在していた権威、主義や思想、誇りさえも全てを飲み込み押し流した。

「土方さん。頂きます」「頂きます」
「おう。だが一応は戦さ中だ。ある程度の節度を保ってな」

 土方の表情は柔らかく、とても鬼と称されていた男のものとは思えなかった。

「土方さん。京での新撰組のお話聞かせて下さいよ」一人の隊士が杯を傾けながら土方に尋ねる。
「ん?」
「おい。失礼だぞ」鉄之助が制する。この頃の新撰組隊士は島田魁ら数名を除いて戊辰戦争勃発後に合流した者が大半だった。

「いや、良いんだ。そうだな、おい。お前ら芹沢鴨って知ってるか?」

 土方は新撰組結成時の筆頭局長芹沢鴨の暗殺や総長山南敬助の切腹。沖田総司や斉藤一の剣技の凄まじさや、伊東甲子太郎ら御陵衛士との油小路決闘に至るまで、まるで旧友との思い出を懐かしむ様に新撰組の歴史を隊士達に語った。

 鳥羽・伏見での敗走後、新撰組は再起を図る為、甲陽鎮部隊と名を改め各地で新たに隊士を募集した。しかし、新撰組の残党がいるとの噂を聞きつけた新政府軍に流山の陣にて土方達は包囲された。近藤勇は事態を収集するため単身で大久保大和と名乗り新政府軍に投降した。
 土方は急ぎ幕臣勝海舟の元に訪れ近藤の助命を嘆願したが土方の願いは届かなかった。
 程なくして元御陵衛士の証言が元となり近藤勇の処刑が決定した。近藤勇は武士たらんとする切腹は許されず、重罪人のそれの如く打ち首の上、三条河原にて晒し首というものだった。
 それほど新政府軍の新撰組に対する怨恨は深く、近藤勇への仕打ちは正にその象徴だった。

「やっぱり新撰組って凄いですね。自分ももっと早く土方さんや近藤局長と共に戦いたかったです」
「どうだろうな」土方は少し笑いながら遠くの空へと目線を移した。

 ここに至るまで余りにも多くの死に立ち会ってきた土方にとって辛い記憶の方が色濃く残っていたがそれを話す気にはなれなかった。

 土方は目線を戻すと「実は今日お前らに大事な話がある」と顔の中心に力を込めて言った。
 途端、隊士たちに緊張が走る。

 土方は近藤の死後、大鳥圭介や榎本武揚らと合流し仙台、青森、函館と徐々に北へと戦場を移していった。この頃から土方らは自軍の事を幕府脱走軍と名乗っていた。これは独立宣言とも取られるが、恩義ある徳川家に迷惑をかけない配慮の為だとも言われている。

「俺たち幕府脱走軍は降伏する事に決定した」
 土方から放たれた思いも掛け無い言葉に全員の表情が一変した。

「お前らも知っての通りの戦況だ。しかも先日ご丁寧にあちらさんから最終勧告が届いた。これ以上交戦を続けるのなら舶来物の最新兵器よろしくで、陸から海から総攻撃を仕掛けてくるとの事だ。そうなれば、分かるな」

「いえ、分かりません。待って下さい!」皆を押し退け真っ先に鉄之助が食ってかかった。「こんなの全然らしく無いです。自分はとうに覚悟は出来ています。ここまで来て降伏するなんてありえません」

「鉄。とりあえず黙れ」土方が低く制す。
「嫌です!」鉄之助は涙を拭う事もせず土方の事を睨みつけた。

 土方は感情を押し流す様に大袈裟に息を吐き出した。

「とにかく、これ以上の戦いは無駄に被害や死人を増やすだけだ。榎本さん達と散々話し合って出した結論だ」

「ですが、このままだと自分たちは賊軍扱いです」
「薩長のやつらの汚いやり方には死んでも屈したくありません」
「人数が多い方が正義だなんて絶対に間違っています」
「最後の最後まで戦って私たち、新撰組の正義を伝えましょう」他の隊士たちも次々と土方に訴えかける。

「新撰組の正義か」そう言うと土方は杯に残っていた酒を一気に飲み干した。そして皆の方に向かい不敵な笑みを浮かべた。

「なるほど、確かに寝て起きたら正義の向きが変わってるなんて事があって良いわけがねえよな。なら逆にこんな話はどうだ?お前らは知らねえだろうが、俺ってのは元来嘘付きなんだ。女も随分騙してきたしな。新撰組はそんな俺の嘘から生まれた様なもんだ」
 初めて見る土方の能面の様な不気味な表情に隊士たちの涙に埋もれたはずの目が丸くなった。

「実の所、新撰組なんてものは別にお前らが後生大事に想う様なものでも無い。武士でも無い農民や商人が集まって武士の真似事をしてただけだ。俺は武士のふりをして法度を作り、鬼のふりをし、土方歳三を演じた。全部が演技で、言わば歌舞伎みたいなもんだ。俺は地位を得る為に新撰組を利用した。農家の倅が幕臣にまで取り上げられ今は陸軍奉行並だ。ちなみに俺はすでに新政府からの役職も用意されている。つまりこの北での戦いも言わば俺の出世の為って訳だ。正義なんてものは何処にも無い」

「そんな、では先程の新撰組のお話は?」
「だから言ってんだろ。全部歌舞伎だって。俺は武士では無く物事を打算で考える商人なんだ。その為なら嘘でも何でもつく」

「そんな、信じられません。それが本当なら自分は土方さんを見損ないます」
「そうだ。別にそれで良い。どうだ?まだお前らが俺に付き従う理由があるか?」

「それでは、一体私たちは今まで何の為に戦っていたのでしょうか?」
「俺の知った事か。まぁ今夜の内に武装解除をしておく事だ。明日には降伏だ」

 そう言い残し土方は誰一人とも目を合わせる事なく皆に背を向けその場を後にした。
 突然突きつけられた土方の言動に隊士たちの誰もが言葉を失いその場に立ち尽くした。

 五稜郭内に初夏の風が静かに流れる。


「すまん、近藤さん。新撰組を悪く語っちまった。こうするしかなかったんだ。でも、あんたなら分かってくれるだろ?俺もようやくあん時のあんたの気持ちが分かった気がするよ」
 土方は一人五稜郭の外堀のほとりに腰をかけていた。

「土方さん」
「鉄か」
「はい」

 鉄之助が土方の背中に向かって声をかける。到底納得のいかない鉄之助は直ぐに土方の後を追い五稜郭内を探し回っていた。

「土方さんが今お話されていたのは、近藤局長ですか?」

「ふっ、聞かれてしまっていたか。ああ、近藤さんだ。他の皆も一緒だ」

 土方は振り向き立ち上がると鉄之助の方に歩み寄った。

「丁度良かった。鉄。お使いを頼まれてくれ。これが最後の命令だ」そう言うと土方は一つの小包を胸元から取り出し鉄之助に手渡した。

「これは?」

「まぁ大事なもんだ。これを多摩にいる佐藤彦五郎の元に届けてくれ。これはお前にしか頼めねえんだ。絶対に途中で捕まるなよ」

「ち、ちょっと待って下さい」

 二人の間に沈黙が走る。

「土方さん。死ぬ気なのですね」

 鉄之助の問いに土方は数秒の間、言葉を発さずに、ただ鉄之助の目を見つめる。

「ああ、役目だ。俺が死なないと時代は終わらない」土方はそのまま目を逸らさずに答える。

「役目?なぜです?降伏するのでは」

「ああ、降伏の話は本当だ。俺が死ぬのは新撰組副長として土方歳三としての役目だ。ここまで来たら流石にただ降伏しますってだけじゃ薩長の奴らの溜飲も下がらねえだろ。あいつらには俺の首級って土産を与えてやらねえとな。ここまで来て土方歳三の首にもそれだけの価値がついた」

「それならば自分たちも共に」

「いや、俺一人で充分だ。雌雄は決した今、俺はもうお前たちを誰一人として死なせたくは無い。お前らは新時代を生きろ」

「さっきと言ってる事がまるで逆じゃ無いですか!」

「だから、言っただろ。俺は嘘付きだって」

 鉄之助は土方の覚悟全てを受け止め。涙を誤魔化す為に不器用に笑って見せた。


 翌朝。新政府軍の函館への総攻撃が始まり瞬く間に市街地ともに新政府軍に占領されたとの一報が入る。

「全く気の短え奴らだ。総攻撃はまだ先だと言っていただろうが」土方は一人新撰組の隊服である浅葱色の羽織りを身に纏い馬に跨っていた。

 土方は鳥羽・伏見の敗北以降自ら羽織りを脱ぎ捨て、洋装へと一新させた。そして近代戦に挑む指揮官としての土方歳三に徹していた。
 そして今日その責務から解放されたように土方は久々にサムライへと帰ってきたのだった。

「さぁこれで最後だ。存分に暴れてやるよ」額当てを締め直しながら土方は馬を走らせた。

 五稜郭の陣を出た所で土方は慌て馬を止める。
 目の前に鉄之助を除く隊士たちが全員土方の事を待ち構えるように整列していたのだ。

「おい、お前たち何をしている?武装解除しておけと言ったはずだ」

「土方さんの方こそ、その格好。降伏するはずでは無かったのですか?」

 土方は言葉に詰まる。

「自分たちも新撰組です。最後まで誠を貫きます」

「言ったはずだ。俺に誠は、正義はねえって」

「あんな下手な嘘には騙されません」

「下手な嘘って、お前ら言ってくれるな」土方はつい笑みを溢してしまう。

「大丈夫です。自分たちは死にません。不死身の軍神土方歳三と共に戦うのですから」

「馬鹿野郎共が」
 覚悟の決まった隊士たちの眼差しに土方はそれ以上何も言う事が出来なかった。

「いいか、今日は俺の死番だ」
 そう呟くと土方は函館の方をギロリと睨みつけた。もしかするとそれは江戸の方なのか、あるいは京都なのか会津なのかもしれないし、そのどれでも無いのかも知れない。ただ、その表情はかつての新撰組鬼の副長と呼ばれた土方歳三そのものだった。

「よし、いくぞ。攻め時だ」
 隊士全員がかつて無いほどの鬨の声を上げる。

 そして土方は新たな時代へと向かって真っ先に馬を走らせた。

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