#高安動脈炎闘病記 31 / 秋のプレイリスト6
31.滾り
ステロイド剤の2段階目の減薬期が始まった。繰り返しにはなるが、プレドニゾロンという、ステロイド剤を服用している。1日あたり、40mg(5mgを朝5錠、昼3錠)の服用を1か月続け、その後朝の服用を1錠減らし、35mgの服用を1週間、次の週からまた昼の1錠を減らし、今(10月21日現在)は30mgの服用で治療を進めている。先週の手術した病院でした採血の結果(-5mg減薬後)でも、引き続き炎症数値(CRP)が0で抑えられているので、まあ減薬は成功しているのだろう。副作用についても、そんなに気にはなっていない。(変化は特にない)左手の痛みだけは変わらずあるのだが、まあ生活もできているし、そんなもんだろう。
治療に専念するために、ともに立ち上げ勤めていた会社を辞め、実家での生活を続けている。最近の携帯は親切なのか不親切なのか、定期的に去年の今頃の様子をプレイバックしてくれる。普通に生きているつもりだったが、それなりにバリバリと働いていたので、見返すとなんだか悔しくなってくる。読書であったり、料理であったりと何かしらの熱をどこかにぶつけていないと、自分の存在価値を見出せないような焦りを持っていた。
今の自分はだれの役にも立っていない、そんな気がしていた。
誰かの役に立ちたい。そこだけ聞くと綺麗事だが、僕にとっては同時に自分の欲望を満たす大きな手段である。
この高安動脈炎闘病記を書くことについても同じだ。全国の患者数が5,000人程度、その上自分のような男性患者は極めて少なく1割程度と言われている。
Googleや生成AIに聞いても、欲しい答えにたどり着くことは極めて少ないし、医者ではないので学術論文を読んだとてすっとこどっこいな僕の脳では到底理解できない。
それならば、自分のことを書き記すことで、同じ病気の人だけでなく、どこかで闘う誰かの、なにかになればという漠然とした気持ちをただ整理しているだけではあるのだが、誰かの目に留まってくれることで、自分自身の存在価値を示したい。
いろいろ中途半端なこんな自分でも、少しは誰かの役にくらいたちたい。
実際に、友人にしか公開していないInstagramにも、入院前から服用を初めての記録をアップしていた。すると、違う病気だけど同じように病を抱えて闘っている友人2人から連絡があった。
僕らの病は、明日急に死ぬものではないのかもしれない。(状況にもよるだろうけど)
ただ、生き続ける以上はこいつと共にいるしかないのは現実だ。
愛しい人や家族らよりも、より近く、自分の中にこいつは住み続ける。
きっと、それによるベネフィットなんてものはない。(あるとしても、それは社会福祉とか、周りの制度のおかげでしかなく、本質的な恩恵とは違うし、失うものと等価ではないと思っている)
それでもたぶん一生一番自分の近くに居続けるこいつを、憎しむのではなく、腐れ縁くらいに思えるようにはなってやろう。
そのために今自分ができることは何なのだろうか。
焦るつもりはない。ないのだが、世界はとても刺激的だ。
滾る思いを爆発させている人たちが僕の心にも火をつける。静かに燃えるもの、がむしゃらに燃えるもの、決心に燃えるもの。
炎症を抑えたはずなのに、僕の心は滾ってしまった。
友人の熱意にうたれ思わず請けてしまった仕事も、結局手は抜けないし、客観的にみて酔狂としか言われないようなことでも、その若きエネルギッシュさは自分自身にとって尊く大切だ。努力できることは立派な才能である。
Instagramではカレー屋の友人が、そのカレーよりもスパイシーな言葉で決意を語っている。
たまらねえよ世界。僕の近くの世界だけでもこんなにたまらねえんだ。
同情ではない、共感でもない。自分自身を重ねているだけなんだ。
僕が諦めたつもりの世の中に、諦めていない奴らの声が谺している。
僕自身も、僕のままで勝負してやろう。
★今日の一曲★(秋のプレイリスト 6)
Mela! – 緑黄色社会
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