#高安動脈炎闘病記 17
17.トタン屋根のケーキ屋さん
「時間はくすりですから」
入院中も、術後も、退院時にも先生に言われたことば。
一見、無責任なワードに聞こえるが、実際問題そうなのだ。
事実、いろんなことに焦りを感じつつもその言葉を信じて(甘えて)のんびり気ままに過ごす日々。
5月19日、隣県よりわざわざ知人がお見舞いに来てくれた。
せっかくなのでおいしいものを食べようじゃないかと、僕も電車で熊本市内へ向かい、そこで落ち合うことにした。
かつての熊本駅は、良くも悪くも地方駅の雰囲気が詰まった、これはこれで味のある駅だった。
また、いろんな歴史のあやで中心地から離れた場所に駅があり、新幹線開通まで思うような発展を遂げてこなかった。
今の実家は元々祖父母の家で、熊本市内に住んでいた僕は、バスと電車を乗り継いで遊びに行くこともよくあった。
鉄道を使わない熊本県民の中では、割と小さな頃から熊本駅にも触れてきた。
久しぶりに降り立った熊本駅には、JR九州の運営する「アミュプラザくまもと」という立派な駅ビルが建ち、博多駅同様JRくまもとシティとして大型商業施設と化していた。
知人との合流まで、ここで時間を潰しつつその後市電(路面電車)に乗り、「街」へ向かった。
※熊本県民は熊本市内中心部へ行くことを「街」へ行くと言います。
熊本城を望む数百メートルの「通町筋」というメインストリートの停車場で市電を降り、「鶴屋」へ向かった。
鶴屋百貨店は、熊本の老舗デパートで、同時に熊本を代表するブランドの一つだ。
手土産にしろ何にしろ、鶴屋の紙袋に入ることでだいたいの価値が2割ほど増すとされている(個人の感想です)が、老舗だけあって本館は古く、華美な百貨店の顔と懐かしさが入り混じったノスタルジックな空間だ。
吹き抜けにはラジオのサテライトスタジオがあり、この日は日曜日で地元の小学生が1日キャスターを体験するFM番組を放送していた。偶然にも、僕の出身小学校の子だった。
一生懸命に宿題の話をする彼女たちの、思い出の1ページを刻む時間に立ち会えて、胸が熱くなった。
そうこうしていると知人がやってきて、病気を経て痩せた僕の姿に驚きつつも、挨拶を交わした。
知人は、僕と同じ元地域おこし協力隊員で、それぞれ県も違う自治体で活動していたのだが、
これまた協力隊卒業後の仕事で出会った年上の女性だ。
仕事の関係もあるにしろ、同じような悩みも抱えながらということもあり、たまに食事したりとプライベートで会うこともある。
牡蠣が食べれなかった私が、2年前に牡蠣好きになったのはこの人のおかげだ。
何を食べましょうかねえーなんて言葉を交わしつつ、繁華街下通りを歩く。
今度は、「サクラマチクマモト」という新しい商業施設にたどり着いた。そこで、お寿司を食べた。すごく美味しかった。
食後の散歩をし、さらに人気のお店「ナナセキ」に行った。7席しかないから「ナナセキ」だ。
パフェを堪能した後、再び下通りを歩く。
「母の誕生日祝いのプレゼントを買いたい」ということで、再び鶴屋に向かうことにした。
途中で、赤い自転車とコック帽のおじさんが目に入った。
この人は新本さんと言い、「ア・ラモート」という名前のケーキ屋さんをやっている、熊本ではそれなりに名の知れた人だ。
荷台に自慢のパウンドケーキを積み、いろんなところへこの赤い自転車で配達に行く。
実は高校生の頃、学年の講話会に講師としていらしたことがある。
なぜそうなったのかは覚えていないのだが、学年代表で僕がお礼の挨拶を述べ、そのコック帽を貰った。本音は、パウンドケーキが欲しかった。
僕は、思わず新本さんに声をかけた。
愛想よく応えてくれる。
「実は...」と、高校での講話の話をする。
なんと、その講話のことを覚えてくださっていた。
元気にしてるの?と問われたので思わず、実は月初まで入院していて、1ヶ月前に心臓を手術したことを伝えた。
新本さんは、涙を流してくれた。
熱い、熱すぎる。
そしてその様子をみて知人も涙を流している。
「がんばってね、今度お店に来てね!」と新本さんは右手を差し出してくれた。
握り返した掌から、生きる力を貰った。
大好物ひとつ追加だ。
ア・ラモートの、パウンドケーキ。
マロン味。
うちのわんこと、同じ名前。
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