#高安動脈炎闘病記 5

5.Death March

3月は僕の誕生月だ。
段々と歳を重ねることに喜びを覚える年齢どころか、寂しさを感じるようになっては来たが、
それでも産まれたこの月は好きだ。

この一年の生き甲斐になっていた
オードリーの東京ドームライブも終わり、
さあという中、僕の身体は日に日におかしくなっていった。

息が続かない。眠れない。
横になれない。階段がいよいよ上れない。
見たことないくらい脚が太い。
酸素ボンベが手元にないと不安になっていた。

会社の代表と相談し、暫く休みを頂き
故郷熊本で手術を受けることにした。
家族のいない福岡よりも、何かあった時に頼れる熊本の方が良いだろうという優しさだった。
祖父母もお世話になったことがある、さらに大きな病院への紹介状を書いてもらった。

ちょうどその頃、東京で会った親友が九州に帰ってくるタイミングになった。
3月15日、バイクを持って帰るために新門司港へ着くという。バイクといっても原付二種。
高速道を走らず下道で帰る他手段はない。
ちょうど僕も熊本で術前の検査を受けなければならない。
それなら小倉に泊まって、一緒に熊本へ帰るかとなった。

この日は僕の誕生日でもある。
格安のビジネスホテルに泊まり、1ヶ月ぶりの親友と小倉駅前の名物居酒屋で暫しの宴を楽しんだ。


高校3年生の秋、僕と親友であてもなく原付を北へ走らせたことがある。
結果熊本から久留米まで走り、「沖食堂」でラーメンを食べた。月並みな言葉だが、格別の旨さだった。思い出の味だ。
大人になった今では大した距離でもないが、
高3の僕たちには大冒険だった。
峠越えの初冬の冷気に震え上がったのも楽しくてしょうがなかった。

今回の旅路の途中に久留米を通る。
再び同じラーメンを啜るために、ひたすら南へ進む。

何かとコスパや速さを求める日々。それとは逆の下道旅。
一時間おきにタバコ休憩を取りたい、と
変なところだけ大人になった僕ら。

広い福岡県内を走り続け、
お互い体力的にはきついはずなのに、
あの頃と変わらない笑顔で今日も親友はラーメンを啜っていた。
変わらない、優しい豚骨の味だった。

夕暮れ時に無事熊本へと辿り着いた僕らは、それぞれの家へと別れた。

3月18日。
病院で動けなくなった。

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