見出し画像

なりたかったわけでもないシングルマザーになった理由

「シングルマザーになるためには」なんて手引書ではありません。

私は、26歳の時にシングルマザーになった。
なりたくてなったわけではない。
でもなってしまった。

そして、子育てしながらの私の人生がそこから始まった。

では、なぜ私はシングルマザーになってしまったんだろう。

それを考えながら、その経験から学んだことが何か、ここに書くことで気づいていきたい。


■結婚ってこんなもの?


結婚したのは23歳の時。
社内恋愛禁止の会社で、社内恋愛で社内結婚。
今となっては幸せってこんな感じ?に酔っていたのかもしれない。

結婚して新婚旅行から帰ってきて会社へ復活の日に、
現実はこんなもの?って思ったのを覚えている。

共働きで、当時前夫は会社まで歩いて5分くらい。
私は自転車から電車とバスに乗り継いで1時間近くかかるので、もちろん私の方が早く出て遅く帰る。それでも初ごはん作ろうって思いながら、仕事から帰ってきたら、前夫は同僚と出かけてしまった。

なんだかすごく落胆したのを覚えているけど、
まあ現実はこんなものなのかもしれないなと、淡々と思っている私がいたのは、その時点で何かを察していたのかもしれない。

生活の中で、案外神経質な前夫。
自分がテレビを見るとき、他の生活音がすると怒る。
食べ終わって、すぐに片づけたいのに、テレビを見だすとじゃあ私はいつ夕飯の後片付けをすればいいのって思っていた。どちらにしろ音を立てないように洗い物をする。だけど、やっぱり音はするんだよね。
掃除機をかけてたらうるさい、アイロンがけしてたらその動いている空気感が嫌だとか・・・

何がきっかけで怒り出すかわからない。

だんだん毎日の生活が緊張と窮屈感でいっぱいになってくる。

前夫がテレビを見たり、何かしているときは、邪魔にならないように私は自分を消す癖をつけるようになっていた。

ただ、前夫はずっと一人で生きてきたので誰かと一緒にいることの温かさだとか、愛情に乏しいのかも。
私が愛情を注ごう。そして、子どもができると子どもへの愛情も芽生えるだろうと、そんな期待を勝手に抱いていた。

■妊娠~出産→ねじり倒してやる~な本音

結婚して1年半くらいで妊娠。

妊娠7か月くらいの時、前夫はフリーで仕事をするといって会社を辞めた。

今から子どもができるのにそれって大丈夫なの?と思ったけど
それでも、フリーの仕事を頑張ってくれるだろうと信じることにした。

その頃私は妊娠9か月まで、旅行社のスキーツアーの電話受付のアルバイトに通っていた。

前夫は、フリーの仕事といっても、そんなにすぐにうまくいくはずもなく、毎日何をしていたんだろう。

私はスーパーへ行ってフルーツが食べたいとみかんの前を何度も行ったり来たりしていた記憶がある。

贅沢なんてできなくていいから、毎月決まったお金が入ってくることだけで幸せなんだなあなんて思いながら。

ただただ、子供が生まれたら変わるハズ?なんて期待を持ちながら、バイトに通っていた。

そんな時、
検診に行ったら、先生から言われた言葉が、

「赤ちゃんの胸周りの大きさのわりに、頭周りが大きすぎる。水頭症か、無脳症も疑われるので、検査してみましょう」と。

そのうえ、貧血になっていた。

一人で検診に行っていた私は、もう立ち上がれないくらいショック。
実家の母に電話して病院まで迎えにきてもらい、母の顔を見た途端、泣きじゃくった。

普段泣くことのない私が泣いているのを見て母もびっくり。

そして、アルバイトに通うことはドクターストップがかかり、そのままお産の日まで実家で過ごすことになった。

結局検査の結果、水頭症でも無脳症でもなくただただ頭の大きい子だと分かってホッと一安心。結果がわかるまでの時間はとても長く感じた。

あとは実家で陣痛が来るのを待つ、気持ちは不安だけど、毎日の生活としては実家での上げ膳据え膳の平和な日々。

そして結局頭が大きいので早めに出しましょうという話になり、予定日より20日も早く陣痛促進剤を打ちながら、子宮口を無理やり開く薬を入れながら27時間かけて無事出産。

ただ、今だから言えるけど、あの時、痛みに耐えながらも、
この瞬間だけは、何をしても怒られないって気持ちが私にあって、
陣痛が来るたびに、前夫の服をつかんでねじり倒してやる~~!

そんな気持ち満載で痛みに耐えていた。
女って怖いね💦

■血の気が引いた前夫の言葉

息子は元気に生まれて、元気に育ってくれた。
出産後も実家で過ごす。
1か月くらい経ったとき、もうそろそろ家に帰らないと……

と、思うのに全く迎えに来てくれる気配も家に帰ってこいコールもない。

何をしているんだろうか。
仕事はあまりうまくいってないみたい。

そして
2か月経った時、うちの親がしびれを切らして強制的に迎えにきてもらって自宅へ戻る。

ここから、
初の息子が加わった3人の生活。

ただ、前夫は働いているわけではない。
毎日どこに行ってるんだろうって思ったらパチンコに行っていた。

お金を稼がなきゃいけないからどうにかパチンコでって言葉を聞いた時は、もう前夫に対する期待と信頼はなくなっていた。

そんな状態だから前夫はいつも機嫌も悪く、出かけている時間が私にとって安心できる時間。

マンション下の駐車場で車の音がしたら、誰が帰ってきたかをすぐに確かめる癖がついていた。
前夫だとわかると、テレビを消して自分を消し玄関のドアが開くまでドキドキしていた。

そんなある日夜中に帰ってきた前夫は、怒り出した。
お前たちがいるから思い通りに動けないといわれた。
まるで子供が癇癪を起したように出ていけ!と。

夜中だったので、「朝になったら出ていきます。」と言って、次の日の朝が来るのを待った。明るくなるのを待って、息子をバギーに乗せて、歩いて実家に帰った。
電車で2駅程度だったので息子に話しかけながら歩いた。

わかっていた。
前夫は、出ていけといっても私が出ていかないだろうと思っていることを。それまでの私はそうかもしれないけど、息子ができてからは、何よりも息子を守りたいって気持ちが強くなっていた。出産と同時に私の中で優先順位は変わっていたのだ。

朝起きたら、私と息子がどこにもいないことに前夫はびっくりしたに違いない。

次の日話し合おうといってきた。

その時の話し合いで、譲歩のつもりなのか、
これからは何でも話し合おう。話し合って決めていこうと前夫は言った。

でも、そのあとに発した言葉に私は血の気が引いた。

話し合っても、どうしても話が合わないとき・・・

「その時は、俺の言うことに従ってもらう。俺はお前のことを部下だと思っている」と。

その言葉を聞いた瞬間、私の中で終わったのだ。
頭からずっと血が下がっていくのを感じた。

もう何も言い返す言葉はなく、もうどうでもいい!て思った瞬間。

それまでは、私が選んだ道、ここから30年なのか50年なのかわからないけど、このまま我慢して生きていけばいい。って思ってたけど、

もうこの生活はどうでもいいって思った。

■どんな時でもお笑いシーンがやってくる

それから数日後、最後の日が来た。
息子を奥の部屋に寝かして、台所にいた時、前夫が帰ってきた。

機嫌は悪い。いつものように私と息子のせいでうまくいかないことをなじるので、もう腹をくくった私は、「出ていきます。」と宣言。

しかし、私が本気だとわかると前夫は、息子のいる部屋の前で私を遮る。
何が何でも息子だけは連れて出ると思っている私は、必死。

顔を殴られ、気が付くと引きずられて冷蔵庫に壁ドン状態。
私の左ひじから血が出ている。
それを見て殺されるってこういう時なのかもって考えている私がいた。
それでもスキを見て私が突進!
何が何でも息子を抱き上げ、玄関まで逃げた。
追いかけてくる前夫。

玄関を出ようとする私の背中をつかんだ。
恐怖と何が何でも出ると必死な私は、前夫の手を払いのけようと引っ張った瞬間、

前夫が来ていたパジャマの袖がそのままスポッととれた。
あれ?

そんな時なのに、ほんの0.01秒くらいお笑いのシーンが私の頭に浮かんだ。
そのくらい袖が綺麗に肩からとれていたのだ。

夫もその瞬間ひるんだようで、腕を見ながら呆然としている。
私は、パジャマの袖を玄関に投げ捨てて飛び出て、エレベーターに飛び乗った。

そのまま、夜の道を4か月の息子を抱いて歩く。

ただ、あの時の気持ちってなんか不思議で、
自分の中でスッキリ感が漂っていた。
不安と恐怖で泣きそうになるのと、さっきのパジャマの袖が取れてしまったシーンが浮かんでおかしくて、泣きながら笑いながら歩いていた。

現実としては、息子だけ抱いて飛び出たのでバックも何もなく財布もない。
ただ、ポケットの中を探ると20円が出てきた。
神様ありがとう。それで公園の公衆電話から実家に電話ができた。

母がすぐに迎えに来てくれた。

■愛ではなく情がある


いったん実家で過ごすことになり、そこから別居生活が始まった。

あの時すぐに離婚しなかったのは、
愛ではなく、情なのかなと思う。

私と息子のためには別れた方がいいと思った。
けど、私たちがいなくなると、本当に前夫はダメになるのではないかなと、私の勝手な思いだけど、それがなぜかかわいそうだと思った。

そして1年、仕事を再開して、私たちを迎えにきてくれるのではないかとわずかな期待もあったけど、

でもね、やっぱりだめだった。

離婚調停が始まり、そのまた1年後に裁判となり、離婚成立。

息子が2歳になってすぐだった。

結婚はある程度勢いでできるものだけど、離婚はとてもとてもエネルギーと時間と忍耐が必要で、かつ、思い通りにはことが運ばないもの。

というのを学んだが、
ここからがシングルマザーとしてのスタート地点。

私がシングルマザーになった理由
シングルマザーになるためにはこういう経緯とがあった。

■シングルマザーになった経験に学べ

人生に計画やスケジューリングは必須だと思うけど
また反対に人生には予期しないことが起こるということ。
離婚を予期して結婚をする人はいない。
まさか、自分がシングルマザーになる、なろうなんて思っている人もほとんどいないのではないかと思う。
それでもなってしまう。
なったらどうするのか?って考えた時
それでも生きていかなければいけないんだよね。
まして、シングルマザーということは、私一人ではなく、その瞬間子供の人生も背負っている。

あの時、ああすればよかった、こうすればよかったという反省はある。
離婚なんて本当は一方が悪いのではなく、両方に原因があるハズ。
神経質で暴言、暴力のある前夫。
けどね、それが怖くてだんだん何も言わなくなった私がいる。
言わない方がその瞬間平和だと思っていた私がいる。
けど、それはどんどんその状態を当たり前化していき、悪循環になるんだと気づいた時には手遅れ。
だからこそ、今後誰かと関わる時、すべてを我慢してその瞬間を平和にするという考えはダメだと学んだ。
ただ、だからと言ってすぐにできるかというと、なかなかできないんだよね。

でも、こうやって経験したからこそ、少しでも次に生かしたいと思える私がいて、何か失敗すれば、ああ、また繰り返してはいけないと反省する。

シングルマザーになってよかったなんて安易には言えないけど、シングルマザーになったからこそできた経験もたくさんある。
人生には思いもよらない状況になることがあるけど、どんなことがあっても、どうせなら、今自分の置かれた状況の中で、それを生かしつつステップアップしながら生きる力をつけていきたいと思っている。

そして、やっぱり「ちっちゃな幸せ」をいっぱい見つけていきたい。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

#この経験に学べ


この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?