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なぜならそこに山があるから



「なぜならそこに山があるから」

 「なぜならそこに山があるから」

 山をやっている人間だったら、絶対に聞いたことがあるこのことば。某団体に所属し山登りを教えてもらっていたこどものころ、隊長や副長から数えきれないほど聞きました。曰く、著名な外国の登山家が残した名言とのこと。ゴリゴリの昭和の山男だった隊長は、このことばにはアルピニズムの真髄が凝縮されていると特に好み、ことあるごとにのたもうていました。そのいいかたには、山家の強烈な矜持とともに、山登りの意味もわからぬシロウトの愚問、とバカにするニュアンスがこどもにもわかりやすいぐらいありありとこめられ、ちょっと怖かったのを覚えています。

 それから時がたち、いい歳の大人になったいまでも、このことばを頻繁に耳にします。登山をするひとたちだけでなく、ほかの分野の会話でも、比喩的に用いられます。「なぜ新橋か。なぜならそこにお肉があるから」みたいに。

 朝日新聞2004年3月6日朝刊のコラム「ことばの旅人」から引きます(*1)。

「80年前に世界最高峰エベレストで遭難した英国人登山家ジョージ・マロリー(当時38)が生前、「なぜエベレストに登るのか」と聞かれて「そこにそれがあるから」と答えたことばはあまりにも有名である。
 どこか哲学じみていて、深淵しんえんな意味があるようにすら見える。」

 このように、悟りの境地のようなものを投影するひともいれば、こういうひともいます(*2)。

「『そこに山があるからだ』。かつて、なぜ山に登るのかという、何度も繰り返される質問にうんざりして英国の著名な登山家が答えたという。」

 イラっとした表情が目に浮かびます。同じものを参照しつつも、ふたつのニュアンスはえらく違います。でも、いわんとしていることはわかります。ニュアンスに幅があるのは、このことばが文字どおり人口に膾炙し、幾千幾万の状況で使われ、揉みこまれ、磨き上げられるとともに、わかりやすく伝わる豊かな含意があり、ことさらに多用されたからでしょう。

 それほどこのことばが魅力的だったということだけで名言のほまれにふさわしいと思いますが、「そこに山があるから」という日本語がもともと英語のフレーズであった、という観点から考えると、こんなに違和感のあることばはありません。私は英語を日本語と同じように何も考えず普通にしゃべる人間ですが、元々の英語がなんだったのか、皆目想像がつかなかったからです。“Because it’s there.”ぐらいのことだったんじゃないかな、と思っていました。「山」なんてどこにもはいっていないですけどね。

原典

 この名言は、英国の登山家ジョージ・マロリー(George L. Mallory, 1886 - 1924)のものということになっています。1999年5月5日の朝日新聞「天声人語」から引きます(*3)。

「死の前年、マロリーは遠征資金集めのため、三ヶ月余も米国を講演旅行した。当時の米国は登山や探検への理解がまだ浅く、彼は素朴な質問を浴びせられた。『寒かった?』『チベットはどこにあるの?』『なぜ山に登るのか?』。当意即妙な答えが、有名な『そこに山があるからだ』だったと伝えられる。ところが、マロリーが本当にこのことばを口にしたのかどうか、記録はない。」

 この稿には、島田巽著「はるかなりエヴェレスト–––マロリー追想(大修館書店)」への参照があることから、この書に基づくものであったようです。それによれば、「なぜならそこに山があるから」なんてことをマロリーがいった記録はありませんとのよし。

 ところが、その三日後(1999年5月8日)の天声人語にはこうあります(*4)。

「『そこに山があるからだ』。エベレストで遭難した登山家、ジョージ・マロリーが語ったとされる有名なことばについて、本当に本人が口にしたかどうか、たしかな記録はない、と先日書いた▼そんなはずはない、と読者から指摘をいただいた。国立国会図書館に出かけ、教えられた一九二三年三月十八日付のニューヨーク・タイムズ紙を見た」

 手元にその、ニューヨーク・タイムズ紙の記事の複写があります。やはり、「Because it’s there.」でした。同記事の冒頭6分の1ほどを引きます(*5)。

CLIMBING MOUNT EVEREST IS WORK FOR SUPERMEN

  Why did you want to climb Mount Everest?” This question was asked of George Leigh Mallory, who was with both expeditions toward the summit of the world’s highest mountain in 1921 and 1922, and who is now in New York. He plans to go again in 1924, and he gave as the reason for persisting in these repeated attempts to reach the top, “Because it’s there.”

“But hadn’t the expedition valuable scientific results?”

  “Yes. The first expedition made a geological survey that was very valuable, and both expeditions made observations and collected specimens, both geological and botanical. The geologists want a stone from the top of Everest. That will decide whether it is the top or the bottom of a fold. But these things are byproducts. Do you think Shackleton went to the South Pole to make scientific observations? He used the observations he did make to help finance the next trip. Sometimes science is the excuse for exploration. I think it is rarely the reason.”

  “Everest is the highest mountain in the world, and no man has reached its summit. Its existence is a challenge. The answer is instinctive, a part, I suppose, of man’s desire to conquer the universe.”

  This is pure romance, call it what else you will, and every man recognizes its touch. It leads into jungles and over deep waters and up through the high thin reaches of the air. Its glamorous trail goes through the doors of moving-picture houses and up one flight to the chop suey restaurant. It beckons to all that is strange. It is inherent in the “dares” of childhood. It makes the timid boy dive from the pierhead, and it sent the British Royal Geographical Society’s and the Alpine Club’s expedition nearer the sky than any man had climbed before without unto himself wings.

 ここでは少なくとも、「何度も繰り返される質問にうんざりして答えた」という様相は皆無です。純粋な冒険心と、人跡未踏の地に歴史的な足跡を最初に刻まんとする野望、そしてその栄誉への憧れが、いきいきありありと語られています。また、「悟りの境地」のような哲学的なニュアンスもありません。“This is pure romance”というわけです。

“Because it’s there.”

 記事にある“Because it’s there.”ですが、巷ではこの解釈について考察を加えたものがちらほらと見つかります。しかし、読むに値しません。それらに共通するのは、「誤訳に基づく」などとしながら、英語を日本語で解釈しようとしていることです。英語は、英語で解釈しないといけません。まことに残念ですが、英語がわからなければ、英語の文章を読解することはできません。ところが、日本人は旧来から「漢文」と称し、漢字を使うお隣の外国の文章を無理やり日本語に置き換えて読解を試みてきたという長い歴史があるからなのか、外国語を日本語で読解しようとする人たちが実に多いんですね(FN1)。

 こういう話を聞いたことがあります。学校の英語の授業で、先生が「『皿洗いをする』は英語でなんといいますか?」と聞いたら、帰国子女の子が「I do the dishes!」と答えた。ところが、先生はなんとこれを間違いであるとし、その理由を、「"do"は『する』、"dish"は『皿』のことです。『皿』は『する』ものではありません」とのたもうたとか。いうまでもなく、この先生は英語を日本語で解釈するという愚を犯していることになんて、まったく気づいていないわけです。

 どの考察も、"it"を「それ」とか「山」とか「エベレスト」とか、機械的に単語を日本語と交換して、「山とはおかしい」とか「それはエベレストのことだ」とか、日本語だけを使って、小さなコップの中でわちゃわちゃやっているだけです。

 “Because it’s there.”の含意を理解する手助けになるのが、その直後の記者のこの質問です。

 “But hadn’t the expedition valuable scientific results?”

 記者はここで、でも1921年と1922年の探検で科学的な成果は十分得られたのではないですか?それでもどうしてまたエベレストに行くんですか?と、目線のずれを演出しています。このやりとりから、その直前の“Because it’s there.”の含意もおのずとわかります。

 記者は、シロウト目線の疑問をわざとマロリーにぶつけて、意図的に会話のすれ違いを想念せしめることで、マロリーの、常人には理解も想像もし難い超人的な挑戦への野望、“Because it’s there.”を強調しています。“This is pure romance”以降で、それが詳述されます。記事はかなりの応援ぶりです。記事の末尾のほうで出てくる“For this quiet young man’s casual comment raises the ghost of such a tremendous adventure as the fireside mind can scarce conceive (*5)” なんてかっこよすぎますね。まあ、マロリーは遠征に必要な資金集めに来ているわけですから、記者ともども意図的に仕組んだものかもしれませんけど。

なぜ「山」なのか

 さて、このマロリーの金言がどうして日本語では「そこに山があるから」になったのか。先述の朝日新聞2004年3月6日朝刊のコラム「ことばの旅人」から引きます(*1)。

 「マロリーのことばを第2次世界大戦後間もなく日本に紹介したのは、日本の登山界の草分け藤木九三氏だった。その三男で探検家の藤木高嶺氏(77)はこういう。

 『父は戦前、英国に留学し、欧米の登山界に通じており、昭和29年に「エヴェレスト登頂記」という本を書き、その中でマロリーのことばを「山があるからだ」と訳した。「山」は厳密にはエベレストを指すのですが、まあ意訳ですね』

 英国隊のヒラリー卿とテンジンが53年にエベレストの初登頂をした。これに触発された日本隊も56年にマナスル登頂に成功。以後、国内ではヒマラヤ遠征ラッシュが起きた。大学山岳部には入部者が殺到、社会人の登山クラブも次々とできた。ダーク・ダックスの『雪山讃歌』や『山男の歌』も流行、登山は空前のブームに。『そこに山があるから』の文句は山男の流行語となった。京大学士山岳会(AACK)の会長で、64年にネパールの高峰アンナプルナ南峰の初登頂をした木村雅昭京大法学部教授(61)は、『山岳部時代、友人から山に登る理由を聞かれる都度、「そこに山があるからさ」と、マロリー気取りで答えたものです』と回想する」

 藤木九三「エヴェレスト登頂記」から引きます(*6)。原文縦書き。

 「南極や北極に対して“第三の極”といわれる地球の絶点–––マウント・エヴェレスト(八、八四〇メートル=二九、〇〇二フィート)の頂上は、一九五三年五月二十九日、ジョン・ハント大佐が指揮する九回目のイギリス遠征隊によって遂にきわめられた(…)もちろん、氷と雪におおわれた世界の屋根の上に、ひと際高く、天守閣のようにそびえるエヴェレスト峰の頂上をきわめるということは、ひと口にいう冒険やスポーツではない。地上に山があり、人類が存在するかぎり、宿命的な念願だった。かつて一九二四年度に行われた第三次遠征に際し、『帰らぬ登高者』として頂上近くで行方不明になった名登山家ジョージ・マロリーは、知人から『なぜ命がけでエヴェレストに登るのだ?』と尋ねられた時に、何気ない様子で『山があるからだ』と答えたと伝えられる。」

 ここで明らかなのは、藤木九三ならびに藤木高嶺の両氏ともに、マロリーのことばは伝え聞いた話であるとしていることです。両氏が実際のニューヨーク・タイムズ紙の記事にあたった様子はありません。このように最初から伝聞として紹介され、出所からすでに又聞き状態でことばの輪郭を欠いていたこと、そしてその直後の登山ブームの隆盛で流行語化し、人々のあいだで口づてに伝播してことばが一人歩きしたこと、さらにことばそのものにちからがあり発するほうも受けとるほうも含意をこめやすかったこともあいまって、今のような使われかたになったのでしょう。先述の天声人語子の右往左往も、こういう背景があったからでしょう。これは決して悪いことではありません。このように、ことばの語義がその起源から発展変遷していくことは、言語が根源的に持つ、いわば生理的な現象です。

 こうなると、“Because it’s there.”が山全般を指すのか、それともエベレストを指すのかを議論することに意味はありません。我々がいう「なぜならそこに山があるから」は、マロリーが発した“Because it’s there.”がその起源でありその比喩的用法であることは間違いありませんが、無数のフィルターを通過した結果、いまや両者は違うことばである、と認識したほうがよいでしょう。マロリーはあきらかにエベレストへの挑戦のことをいっている一方、我々はそうではなく、人跡未踏でもなんでもない新橋に焼肉を目指して行くときも含め、「それそのものが目的だ」という意味で使っているのですから。あるときは哲学的に。またあるときはまなじりを決して。そしてまたあるときは諧謔かいぎゃくをこめて。

 こういうことばの発展の例は、ほかにもあります。「お客様は神様です」がそのひとつです。これは、三波春夫が昭和30年代に地方公演にて、曲間に司会者とのステージ上のかけあいで偶然発したところ聴衆が歓喜の渦に包まれたのをみて、公演を盛り上げるためプログラムに組み入れて定番化したものです(*7)。それがいつの間にか、特に小売業で「客は必ず正しい」というような意味になってしまっています。ステージ上の大スターが自分を支えてくれるファン、お客様に(お世辞もこめて)感謝するのと、お客様のいうことは絶対だ、ではべらぼうに意味が違いますが、原義から後者が派生して独自の語義を獲得したことは間違いないので、これは違うことばである、と認識したほうがよいでしょう。

 さて、日本語としてすでに定着したと考えられる派生義はそういうことにしておいて、ニューヨーク・タイムズ紙の記事にある“Because it’s there.”をあえて日本語に訳すのであれば、"it"は「それ」なのか、「山」なのか、「エベレスト」なのか。でも、翻訳することを前提とすればそれは議論の本質ではなくて、記者とのすれ違いで明らかになる “challenge” や “romance” 、そして「うわっ!すげぇ!ってみんなにいわれたい」という少年のような功名心など、どうすれば原典の含意が読み手に伝わるのかが問題であり、伝わればそれが正解です。ただ、実際に適切な表現にたどりつくことは極めて難しいし、しばしばそれは不可能です。言語はその本質において、相互に対応関係がないからです。みんな互いを顧慮することなく、毎日勝手にペラペラしゃべっているだけですからね。例えば “I go to college.” みたいな単純な文でさえ、きちんと和訳できますか?もちろん「私は大学に行きます」ではありませんよ。「昨日の晩飯何食べた?」と聞かれ、“I had a chicken for dinner.” と答えて笑われるのはどうしてでしょう。なにがおかしいか説明できますか?よしんば説明できたとしても、そのおかしさをきちんとこめて読んだひとに笑ってもらえるよう和訳できますか?逆方向ですが、有名な和文英訳の超難問のひとつに、「リンカーンは何代目の大統領ですか」というのがあります。いま流行りのAIでもなんでも使っていいので、やれるものならやってみてください。別に外国語間の話だけではありません。大阪ことばのニュアンスを、標準語で表現することがいかに困難であるかはわかりますよね。かように繊細で難しいものなので、ことばに鋭い感覚と感性をもつ翻訳者という専門職が成り立つのです。

  もちろん私にそんな能力はありません。しかるに、単に「エベレスト」としてしまうと即物的で含意が失われてしまうような気がする。それならいかにも職人的に「山」とか「ヤマ」とかにしたほうが含意を感じられるのでよりよいのではないか。この点については、藤木高嶺が父親の訳についていう「まあ意訳ですね」は素直に腹に落ちます。一方「なぜならありますから。そこに」などとあえて全体をぼやかすほうが前後の文脈と合っているし、「え、なにがあるんですか?まだやることあるんですか?科学的な研究成果ならもう十分手に入れたんじゃないですか?」という記者とのすれ違いも含められるし、読み手の想像を邪魔しないかな…と愚考するところまでが限界です。


(FN1)
 この、「漢文」と称するメチャクチャな外国語読解法は日本人のDNAにガッチリと刻みこまれていて、それが現在の日本の学校における英語教育にも(おそらくほとんど無意識に)強固に受け継がれています。なので、日本の学校教育を受けて英語が身につくひとが皆無なのはみなさまご存知のとおり。

*1
宇佐波雄策、「ことばの旅人 −  そこに山があるから 英国/エベレスト」、『朝日新聞』2004年3月6日朝刊、朝日新聞クロスリサーチ
*2
宇川聡、「インターネット探訪  −  遭難、救出劇を速報 航海の苦闘刻む」、『読売新聞』1997年2月10日夕刊 大阪版、ヨミダス
*3
「天声人語  −  ジョージ・マロリーの遺体発見される」、『朝日新聞』1999年5月5日朝刊、朝日新聞クロスリサーチ
*4
「天声人語  −  そこに山があるからだ」、『朝日新聞』1999年5月8日朝刊、朝日新聞クロスリサーチ
*5
“CLIMBING MOUNT EVEREST IS WORK FOR SUPERMEN”, The New York Times, March 18, 1923, P.151
*6
藤木九三、「世界探検紀行全集 第14巻 エヴェレスト登頂記」、河出書房、1954.2.1、P.3 - 4
*7
参考資料:高島俊男、「お言葉ですが…⑦漢字語源の筋違い」、文春文庫、2006.6.10、P.203 - 205

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