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こんにちは、こんばんは、おはようございます!
地方のサッカー大学生こと大津平嗣です!このnoteに興味を持って頂きありがとうございます!これを読んだ方の心を動かし、人生の手助けになれたら嬉しいです!

入院してから今日でちょうど1週間が経ちます。病院から出られない生活、ベッドの上での生活、利き手が使えない不自由な生活。目に映る景色がほとんど変わらない時間が、こんなにもつまらないものだとは思いませんでした。何も出来ないから刺激もない。そんな時間が、僕の中でずっと続いています。

今日はこんな状況の僕だから書ける当たり前のありがたみについてを文章にしていこうと思います。

今日のテーマは『幸せの入口』です。

当たり前にご飯が食べられること、お風呂に入れること、サッカーができることなど、僕たちの日常に潜む様々な当たり前。これが、どれだけ幸せなことか、僕は今それを身をもって感じています。

でもこの感覚、僕は前にも感じたことあるんですよね。僕だけじゃくて読者の皆さんも感じているはずです。ピンと来る方、まさにそうです。コロナでの自粛期間です。

多分生きてきた中で一番退屈で辛い時間だったのではないでしょうか?それこそ僕と同い歳ともなれば、目指していた大会が無くなってしまったり、本当は楽しかったであろう青春の時間が奪い去られてしまったり、苦しい思いをした人々もたくさんいると思います。

でも、その時ふと思いませんでしたか?
今まで当たり前のように生活してきたことって当たり前じゃなかったんだなって。僕が伝えたいのは、この感覚です。この感覚を知った時に、当たり前に生きていることが幸せだと思える、「幸せの入口」に立つことが出来るのです。

僕は、今年で22歳になりますが、まだ大学生なので親に金銭面でたくさんの支援を受けながら毎日生活しています。学費、部費、家賃、光熱費、ガソリン代、食費、お小遣いその他諸々。これだけのお金を親が当たり前のように払い、支援してくれていること。この当たり前がどれだけ当たり前では無いことか、幸せの入口に立つことで気づくことが出来ました。

今は独り立ちをして親元を離れて自分で生計を立てている人も、まだ学生として親から助けて貰って生きている人もみんな親に助けてもらって生きていた時間があったのです。だからこそ、感謝して欲しい。その当たり前を作ってくれた親に、そしてその当たり前に。

僕からは、今あなたが感じている当たり前が当たり前では無いこと、その当たり前ができない人もいるということを伝えることしか出来ません。あとは、これを読んでくれたあなたがその日常の一つ一つの出来事が幸せであると感じ、その当たり前に感謝し、行動するだけだと思います。

この文章を読んでくれた皆さんはもうすでに「幸せの入口」に立つことが出来ていると思います。あとは、これをいつまでも忘れずに意識しながら生活することが、毎日幸せを感じるための大切な要素だと思います。みなさんぜひ、当たり前の日常に感謝して欲しいなと思います。

そして、これを機に両親にいつもありがとうと伝えて欲しいと思います。

この文章が誰かの人生のためになれることを願ってこの文章を終わりたいと思います。当たり前じゃない日常を体験しに海外に行く人もいると思いますが、それってものすごく大切だと思います。日本では当たり前でも海外では当たり前じゃないことって沢山ありますし。ぜひ、当たり前では無い日常を体験しに海外へ行きましょう!僕も大学を卒業する頃に、どんな形であれ海外に行こうと思います!拙い文章でしたがここまで御一読いただきありがとうございました!

P.S.
最近、コロナ期間で聞いていた歌を耳にしまして、胸にグッとくるものがあったので今日はそれをみんなに聞いて欲しいなと思い載せておきます!涙脆くて、久しぶりに聞いた時にコロナ期間の辛かった日々を思い出して泣いてしまったという話はここだけの話にして…ぜひみなさん聞いてみてください!

https://youtu.be/vjc2xRlz1Uc?si=Glhs8DerJTZJD0cP

ではまたあした!


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