行堂、一ヶ月達成や。どや。
私のつたない記事にたどり着いて下さって、ありがとうございます。
そして、一ヶ月綴り続けた私自身にも、ありがとう。
この私が・・・。
三分坊主のワタクシ行堂が、noteの一ヶ月達成との由・・・。
blog自体は2年前からやりたいと思っていながらも、実際始めようとする前になかなか、手がつかなくて・・・。
ま、その引き金となる動機も不純だったし、精神的にも体調的にもどん底に近い状態だったので、今思い返せば、blogどころではなかったのは道理。
それに・・・、
心身共に弱っている時って、やおら色んな事に手を出そうとするものですね。
それを、自制心で何とか心の浮き沈みを抑えこもうと必死だったのが2022年のこと。
そんな中でも、『WEBライティング技能検定』の通信教育と試験を受けて『同実務士』の資格を取ったのは、一つの自信につながった。
wordpressの勉強もしながら、少しずつblogの立ち上げに向けて準備していた矢先の同年9月に、老父と衝突した。
(その話をすると、私の生い立ち・存在そのものの話になるので割愛する)
その直後に、まるでスイッチが入ったように、仕事中に目まいがしたり、耳鳴りも酷くなった。
かかりつけの耳鼻科に行くと、「文句なしにメニエールですね😅」との診断。
先生から、
治療のために、5日間連続で1時間点滴を受けることに。
この歳になるまで点滴を受けたことがなかった。
「点滴の針を刺されるんて、こんなに痛いんやな(´д`)」
39歳にして、身をもって痛みを勉強することもあるのだ。
メニエールの引き金は家族だけではない。
放送禁止用語でしか表現しようのない直属の上司(当時)も原因だ。
人間関係にはわりかし耐性の強い方と自認する私でも、年をとり、大波を絶え間なく喰らい続けると、ふとした拍子に折れてしまうということだ。
自分を過信してはいけないな・・・。
神風
その一方で・・・、
メニエールが発症した2022年9月は、仕事においては怒濤の勢いで大きな案件成立に向けて動き始めていた。
まさに神風が吹いたかの如く。
夏からの急激な円安の進行で、造船業は一気に風向きが好転したのだ。
私の担当業務においても、その影響をもろに受けた。
もちろん嬉しい悲鳴だ。
しかし・・・、
前年2021年春までは「再来年までに会社は終わる」と、誰もが絶望視していた。現場の協力業者からも多くの職人が去って行った。
(『行った』のではなく、そうお願いしたのだ。綺麗事では済まない)
ジェットコースターのように落差の大きな変転に気持ちが全くついていかない。
行堂、奔る
歴史を勉強していて思うのは、一旦ピースが一つでも倒れると、続いて他のピースも続々と倒れていくモノらしい。
私の場合もそうで、一つの案件が成立すると、続いて他の案件も具現化に向けて動き出していくようだった。
2023年に入ってもメニエールの症状は完全に治まったわけではないが、目まいがしなくなった分、気分が快方に向かっていった。
とはいえ、仕事始めの翌日にコロナに感染して数日間ノドの痛みにのたうち回ったのは、今となっては苦笑モノの思い出だ。
4月までにはメニエールはほぼ寛解したといって良い状態になった。
以降は、続く大きな案件の成立に向けて、そして毎年度予算の執行に向けてひたすら体と頭を動かす日々に戻った。
割に大きなトラブルが発生しても、
「いや、大したことないンゴ😄」
むしろ、
「どうせ不具合が発生するなら、これ位ヤバくないと燃えへんな😋」
「敵に不足なし。といったところやで😎」
と、ヘンに気持ちが燃え上がっている自分がいる。
仕事が充実し始めると、blogどころではない。
・・・のではなく、記憶の片隅に追いやられていくのだ。
今の自分という証である、何かを綴りたい。
でも、それに勝るだけの、他のやりたいコトがあるということ。
正確には、仕事と同時並行でblogに手をつける精神的余裕がなかっただけなのですが・・・。
そのまま2023年が終わる。
スタートライン
2024年。
今年は、暗澹たる気持ちで始まった。
元日の能登半島地震に続き、翌2日夕方には羽田空港における日航機と海保機との衝突事故。
繰り返される天災に、昨今取り巻いている多くの不穏な出来事。
そんな時代でも、縁あって命を得た。
命を得て、さらに命をつなぐための糧を得る仕事内容にも恵まれた。
2年来取り組んできた複数の案件も、ひとまずケリがついた。
ここでようやく、仕事から離れて、ずっと手をつけたかったblogに取りかかる余裕が出来た。
新たな旅の始まりだ。