行堂嶐 『あんどうりゅう』
ワタクシ行堂の、日記・自分語りなどです・・。 気が向いた時にアップします(´д`)
海事・造船産業を中心にした話題の記事です。 できるだけ、最新のネタを綴っていきたいと思います。
古今東西の商船などのネタをまとめていきます(。・ω・。)
noteでの、はじめての記事です。 自己紹介です(^^ゞ 基本情報 しまなみ海道沿いの何処かで棲息しています。 海事産業で細々と仕事してます。 地元大阪を出て、もう20年近くになりますだおかだ・・・😒 とりあえず、ここでやっていきたいこと 日記 好きな船や歴史などにかかわる、いろいろなネタを整理 学生以来のblogなので、まずnoteに慣れること・・・。 人となり(その1・違和感) 鹿児島で生まれて24歳まで大阪で育ったのですが、そもそも大阪はもちろん、
最来週で41歳になろうとしているオッサンで、入社15年以上になるのに、要所要所でツメが甘いのは相変わらず・・・😒 そう、自分へのグチ・愚痴です・・・。 結局、自分の欠点and弱点って・・・、 いくら自覚していても、それを克服するのは中々難しい。 だからこそ、自分の弱さなんでしょうけど・・・。 ヘンなところで相手に気を遣って、自分が押さえなアカンところを押さえられないのが、ワタクシが全く成長していないところです。 「いまココでこの話題を出したら、相手の気を削いで
夕方、ネットニュースを見ていたら、日本造船界の雄・ジャパンマリンユナイテッドさんの記事が出てきました。 寝る前に、サクッと一考してみます😑 わずか3年間の設備投資に振り向ける額を450億円にするとの事😐 「えらい景気の良い話やな😒」という印象を受けます。 製造業以外の方々からは蛇蝎のごとく忌み嫌われる円安ですが、造船業にとっては、まさしく”神風”と言っても良いくらいの追い風です。 記事では、津事業所のドッククレーンの「吊り能力を切り替える」とありますが、かいつ
相変わらず昔の写真データを整理していると、大学院修了+就職直前のものが出てきた。 鹿児島・鹿屋にある祖父母の墓参りに行った時に撮影したものだ。 大阪から鹿児島なら、飛行機を使用するのが最も早い。 当時は・・・。 しかし、2008年頃というと、かつては一斉を風靡したブルートレインがどんどん引退・消滅していく時期だった。 ニュースで、大阪発の『なは』『あかつき』が3月で引退すると知り、 「廃止される前に、一度はブルートレインに乗ってみなアカンな😐」 と、早速予約
まずは・・・、 縁あって、この記事に目を通してくれて、ありがとうございます。 ビューワー数、そんなに😐 少しずつblog・noteにも慣れてきたところで、気付いたら1,100ビューを超えていました。 これまで一目でも私の記事に目を通してくれた方が居られましたら、そして、今はじめてこの記事を通して私・行堂という存在を知って下さった皆様、改めてありがとうございます。 元々、アクセス数とかをほぼ気にしておらず、今さっき、noteを始めて間もない時以来目にしました😐
後編・最後です。 必ず、故郷へ。 太平洋戦争開戦時、世界第三位の規模といわれた日本商船隊はほぼ壊滅した。 大型の商船は、『氷川丸』以外に大阪商船の『高砂丸』(台湾航路)、関釜連絡船の『興安丸』級2隻など、両手に数えて収まるかどうかしか生き残らなかった。 太平洋航路に絞って言うと、戦争が終わったからすぐに復活というわけにはいかなかった。 中国大陸、東南アジア、(旧)内南洋地域などに数多の日本人が取り残されていたから。 彼ら全員を日本に連れ戻さなければならない。
前編からの続きです。 蹉跌 1937年9月。 『淺間丸』は、香港島沖で災厄に見舞われる。 台風33号接近を控え沖合で避難していた彼女は、大暴風雨に巻き込まれ、同じく避難していたイタリア船『コンテ・ヴェルデ』そしてイギリス船『タランバ』と三重衝突し、あげくに座礁してしまったのだ。 当初「離礁の見込みは無い」と絶望視されていたが、必死の復旧作業により翌38年3月に離礁成功した。 ちなみに、彼女の”船生”およびこの座礁事故のくだりは、下記の本で詳細に描写されている(も
先日、『氷川丸』の記事を書いた。 彼女は姉妹船『日枝丸』『平安丸』と共に、シアトル行き北太平洋航路を担ったが、実は、こちらは太平洋航路の花形ではない。 主役は、ホノルル経由サンフランシスコ・ロサンゼルス行き航路だった。 その航路を担ったのが『淺間丸』『龍田丸』『秩父丸』の3隻。 ふと、この航路の客船たちについて、何か書きたくなった・・・。 圧倒されるぅ・・・(´д`) この航路・・・、 花形航路だけに、日米加3カ国の海運会社間で熾烈な競争が繰り広げられてい
先日綴った『氷川丸』の記事の最後に『ロイヤルウイング』の写真を載せた。 この船は元々、関西汽船が阪神・別府航路用に建造した高速豪華客船『くれない丸』だった。 といっても・・・、 ここではこの船ではなく、この『くれない丸』時代の起点だった大阪・弁天埠頭について、少し呟いてみたい。 上の写真は、私が学生の時に撮影したもの。 1965年から1980年11月に別府航路から退くまで、ここを起点に、別府までの航路に就いていた。 もちろん、上の写真を撮影したのは2000年
私のつたない記事にたどり着いて下さって、ありがとうございます。 そして、一ヶ月綴り続けた私自身にも、ありがとう。 この私が・・・。 三分坊主のワタクシ行堂が、noteの一ヶ月達成との由・・・。 blog自体は2年前からやりたいと思っていながらも、実際始めようとする前になかなか、手がつかなくて・・・。 ま、その引き金となる動機も不純だったし、精神的にも体調的にもどん底に近い状態だったので、今思い返せば、blogどころではなかったのは道理。 それに・・・、 心身
社会人3年目のゴールデンウィークに独りで東京に遊びに出かけたことを思い出す。 原宿でたくさん服を買い込んで、(大阪出身なのに)生まれも育ちも東京ぶりながら、意味も無く竹下通りを徘徊するのが、ムダに愉しかった。 造船業に進まなくても良かったから、東京に脱出して、ここで独りで生きる選択肢も考えれば良かった・・・。 と歩きながら、ふと思ったりもした。 『氷川丸』にて 旅行2日目に横浜に足を運んだ。 幼い頃に夢中になった『あぶない刑事』シリーズの舞台となった、あの横浜
食後でヒマなので、また手を動かしていきます。 大した準備もせずに何か書くネタ・・・、 人間関係が好適でしょうね😆 書き始める前に、数点言い訳を・・・😅 ぶっちゃけ、ホームページってあんまり参考にならない 身もフタもないことを言ってしまうと、各企業のリクルートページの、特に先輩社員のインタビューとか対談って、あんまり参考にならないと思うんですよね( ;∀;) まず、彼らがウソを言っているわけじゃない(はず)。 ただ、ネガティブなことを言わないだけ。 けど、そ
また衝動買いしてしまった😞 水上機と軍艦の組み合わせは反則です😎
晩ご飯を終えて一息つきながら、昔の写真を整理していた。 こんな写真が出てきた。 『さんふらわあ きりしま』といっても、これは先代(and初代)の『きりしま』です。 この写真を撮ったのは、教育実習を終えたあとの大学4年の夏だったような・・・。だから、2005年ですね😅 母の郷里鹿児島に帰省する両親を、大阪南港の”かもめフェリーターミナル”まで見送った折に撮影したことは覚えている。 もっとも、『きりしま』と最初に接点を持ったのは、小学校3年か4年の時だったと記憶し
今日は何の日?? 5月12日。 今日は何の日かご存じですか?? そう、皆さんご存じの『オリンピック』が・・・、 いや、そのオリンピックじゃない😐 そうか・・・、 相変わらずのワタクシ得意の独り相撲のようですな(´д`) 『タイタニック』はとても有名なんですが・・・。 『タイタニック』といえば、処女航海で氷山に衝突して沈没したことであまりにも有名です。 私が中学生の時にレオナルド・ディカプリオ主演の映画が大ヒットした思い出もありますね。 正直いってフネ
デートスポットの海岸通りを、彼女のいないオッサンが独りで歩きます✊ 前編からの続きです。 巨木のようにそびえ立っています 駅前渡船に乗ってすぐに、大きなクレーンが目に入ってきます。 (今回は乗っていませんが・・・😐) JFE商事造船加工㈱さんの120tクレーンです。 もともと日立造船西工場があったのですが、これも紆余曲折あって造船業から撤退し、こちらも今では船のブロック製作などを行っています。 上の写真にも、製作途上のファンネル(煙突)などが見えます。 こち