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かなしいきもち

最近、以前取材させてもらった公認心理師さんからの教え(というか、取材する中で学んだ感情に対する姿勢)を生かせる時がある。

今日も、娘9歳が児童館で月イチ参加している、子どもクラブのお迎えに行ったら。

下を向き、浮かない顔で戻ってくる娘。

なんか、あるよね〜。

だって娘の前には仲の良いお友達が3人歩いていて、いつもなら彼女たちとわちゃわちゃしながら戻ってくるのに。

と、思いつつ車に迎え入れて。

「どうしたの?」

そう聞いてみたら、最初は「別に」と言ってたものの、少しずつ表情が崩れ始めたのだった。

「今日は初回だから自己紹介とゲームをやったんだけど。私ずーっと勝てなくて、ドベから二番目になった時にもうやめようよって言ったけどゲームが続いて、それで(おそらく最下位になったらしいけど涙でもう言えない)」

とっても負けず嫌いな娘、非常に辛く悲しかったらしい。

どんどん涙が溢れ、表情がぐちゃぐちゃになり、おいおいと泣き始めた。

「そっか、辛かったね。嫌だったね。でも今まで泣かずに頑張って耐えてきたのね」

そう言うと、娘は「涙が出そうになったから、深呼吸して我慢したの」。

「泣かずに車まで帰って来れて、すごいじゃん。悲しかったね」

やっと我慢から解放されて娘は泣いて、ポロポロ涙を流しながら「もう車出して」と。

これ。

今までは、よく間違えていた。

過去の私は、そうやって悔しくて悲しくて泣く娘に「そんなことで泣かなくていいよ。ゲームなんだし」と、あなたが感じたことは軽いことだという枠組みをはめて、悲しみから離そうとしていた。

ああ、でもそうじゃないな。

悲しみの尺度は私が決めていいことじゃない。私は娘ではないのだから。

大切なのは、今、この子が悲しい、辛いと感じている思いを受け止めること。それを本人が「今私は悲しい」とちゃんと感じて、きちんと消化すること。

それを取材を通して学んで、泣きたいほど胸を痛めてる我が子を前に、慰めるよりも「そっか、辛かったね。今悲しいね。頑張ったね」という、その姿を肯定するような姿勢に少しずつ変えてきたのだけど。

それが、なんかすごい。

先程の会話から娘、5分ほどは泣いていたのだけど、「ねえ、ママ。なぞなぞ出すよ。あのね」そう言って、涙声のまま娘が私に話しかけてきた。そして、ゲームの話は家でも二度と会話に出さなかった。

これらの対応は、心理師さんの取材で見聞きした「感情処理」の真似っこみたいな感じなんだけど、「悲しいと思った気持ち」を、有耶無耶にしてはいけないということだと私は理解している。

それは本当に、自分の心に起こった真実。

それを無かったことのようにされて、うまく切り抜けられはしないよな。

ささやかなことだけれど、それを理解しただけで、感情を昂らせた子どもとの対話が苦しくなくなった。

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